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『不登校少女と三人の美魔女』第二話 美魔女がJCをプロデュース


美魔女トリオと陰キャ美少女


 
「でさ。聞いてる、藤子? うちの姪っ子、モデルにしたら、伸びしろ、ありそう?」

 宮脇サリーンは星藤子の手を痛いほど握って、実家である塾の教室内の、「昭和風勉強机」からズイッと身を乗り出した。

 小学生向けの学習椅子から不自然に伸びる長い脚を横に流し、モデル事務所のスタッフである藤子にすがりつく勢いのサリーン。そんな彼女を横目で見て、聡美は「必死だな、おい」と失笑を漏らした。

 サリーンは、今年四十歳になろうという今も「年なりに」きれいだ。大柄で品の良い「おしゃれ外国人女性」に見えるが、モデル業は一五年も前に廃業している。

 サリーンこと、モデルのサリーは、二十代前半でピークを迎えた。当時、赤文字系雑誌の表紙を飾り、大手水着メーカーのキャンギャルに選ばれるなど、幅広く活躍していたことは、親友として記憶に新しい。

 中学時代から、「どこでも泣ける。なんなら笑いながらでも泣ける」という狂気じみた特技を持つ彼女は、人気ミュージシャンのPVにも出演し、女優としての将来も嘱望されていた。

 しかし、二十代半ばに、大手事務所の「男性アイドルの卵」と交際していることを週刊誌に書き立てられ、流行しはじめていたネット掲示板で叩かれたことを気に病んで、業界を離れ千葉の地元に帰ってきた。

 実家のそばにワンルームマンションを借りてダンス講師を始めたアラサー時代。

 実の兄・カルロスに公認会計士の男性を紹介された彼女は、朴訥とした雰囲気の同じ年の青年と気が合い、あっさりと結婚した。

 現在は主婦の傍ら、実家が経営する塾兼カルチャースクールで、ダンスと英会話の講師をしている。結婚後の姓は宮城だが、「どうせたいしてかわらないし」と、ビジネスネームとして宮脇サリーンを名乗っている。  

 三十代は積極的に不妊治療をしていたが、子供は授かっていない。

「子供はいてもいなくてもいい」

 二十代はそう思っていたはずのサリーンだが、興味本位で挑戦した顕微授精で、一瞬だけお腹に宿した受精卵が育たなかった時は、道に迷った幼児のように派手に泣きじゃくってしまった。
 
 その後、「自然に任せよう」と諦めたつもりだったのに、時折、宿題が終わっていない小学生のような焦燥感にかられるのは、どうしてだろう。
 
 そんな思いを持て余す彼女の、目に入れても痛くない姪っ子が、宮脇ララだ。

「あぁ、ララちゃんね。昔のサリーンにそっくりじゃない。つまり、素質はあるよ。まだ十四歳だしね。でも、まずは、痩せなきゃ、だよね」

 藤子はそう言って、近所のドトールでテイクアウトしてきたカフェラテをズズ、と啜った。

 短大時代にミスキャンパスコンテストでファイナリストになった藤子は、当時・幼稚園から顔見知りで中学からの親友でもあるサリーンの紹介でモデル事務所に所属したものの、そう売れることはなかった。

 身長一七〇センチで小枝のように痩せている彼女は、大きくて丸い「目と目」が離れており、どことなくタレントの「さかなクン」に似た、個性的な顔をしている。

 若さとスレンダーさが最高潮を迎えていた二十歳の頃は、見ようによっては、和製ケイト・モスと言えないこともなかった。

 中学時代は、ニキビ面で、オドオドしたアニメオタクだったが、オタクの性質上、興味を持つと徹底的に極めたくなる。

 青山の短大に進学し、コスプレ的に裏原宿ファッションにのめり込んだ時代には、ちらほらと青文字系ファッション雑誌の仕事も入ったものだ。

 三十をすぎると仕事の傾向も変わり、たまに入るのは、ミセス向けの通販番組やカタログが中心になっていた。

 そういった「息の長い仕事」で求められるコンサバなヘアメイクに馴染めず、モデル業が先細りしてきた現在は、事務所の経理を手伝いながらときおりライターのバイトをして、ウェブに漫画やエッセイを書いている。

 去年、『元モデルが二十キロ太ってまた痩せた話』というコミックエッセイが書籍化され、売れ行きこそいまひとつだが、肩書に「ブロガー 漫画家」が加わった。

「学校では、ララちゃん、おとなしくて目立たない感じだよ。だいたい、似たような女子と漫画ばっかり描いているよ」

 聡美は、ララの通うプロテスタント系の私立中学で英語の非常勤講師として働いている。加えてララが所属している総合文化部・英会話クラブの顧問でもある彼女が、

「まぁ、だいたい中学時代の君たちと同じポジションだよ。スクールカーストでいうと底辺だね」

 とダルそうに呟いたので、サリーンは「ばかにすんな」と丸めたティッシュを投げつけた。

 聡美は、サリーンや藤子ほど際立つスタイルは持たないものの、どこへ行っても「かわいらしい方」と言われる好感度の高い容姿と、明るい性格の持ち主だ。

 大きな瞳とツルンとした丸い顔は、妖気すら感じられるサリーンや、「スタイルはいいけど個性的な顔」と言われがちな藤子とは違い、「老若男女にきらわれない」ソフトな色気を放っている。

「ちょっと投げないでよ。ララちゃんを人気者にしたいんでしょう? だったら本当のこと言わないと意味ないよ。勉強だって弱点を把握してから、成績をあげる対策を練るべきでしょ?」

 真顔で正論を投げ返した聡美は、

「あ、でも成績はいいよ。英語は発音がいいし。ただ、やっぱ中東系の顔で太っているから、男子には影で『ムトゥ』って、呼ばれてる」

 と補足。ゴミ箱をバスケットゴールに見立てて、丸めたティッシュをシュートしながら、悪気なくサリーンの地雷を踏む。

「は? ムトゥにそっくりなのは、ララじゃなくて、ララの父親で私の兄のカルロスだから。失礼な。まぁ、ララは父親似だけどさ……」

 サリーンは、インド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』の主人公に似た、陽気な実兄の顔を思い浮かべ頭を抱える。 

「叔母のあたしのあだ名は『マハラジャ』で、姪は『ムトゥ』? なんで、中学男子のボキャブラリーは四半世紀変わってないの?」

 かつて太っていたサリーンは、近所のカレー店「マハラジャ」のふくよかなマダムにそっくりだと、店名をあだ名にされていた。久しぶりにその名を聞いた聡美と藤子は、「あったねー」と懐かしそうに顔を寄せ合う。

「あったねーじゃないよ。うちのルーツはアルメニアだし。ママの祖国はレバノンだし。中東を雑にまとめるな。差別だ、差別」

 机をダンと叩いて、腕の中に顔を埋めた。

「うわーん、ララがかわいそうだよ、忍びないよ! 自分のことみたいだよ!」

「大げさだなぁ。泣く演技? 芸能人時代はもうちょっとうまかったよね」

「演技じゃないよ。本当に泣いているの。聡美、先生でしょ。そんないじめっ子、ぶちのめして追い出してよ!」

「無理。あたしが追い出されるから父兄に」
 
 サリーンの無茶振りを、若干食い気味にスパンと打ち返す聡美。

「冷たい。うちの姪を引き立ててよ、先生なんだから。所詮、器用に生きてる聡美には分かんないんだよ」

 サリーンの理不尽な非難に、聡美は「あ?」と顔を顰めた。

「聡美は、中学時代もスクールカースト上の方だったよね。その後も、どこへいっても中の上の身分をキープしてさ。私や藤子みたいな、スクールカースト最底辺女子の気持ちがわかってたまるか」 

 聡美はそんなサリーンを見て、さも呆れたように「いてて、四十肩気味でさぁ」と肩を回す。

「スクールカースト、って何年前の話? 四十すぎて旦那さんもいて、仕事もあって、若い頃はモデルで。恵まれているくせに今さら中学時代の格付けの話って、田舎のヤンキーか」

「最底辺女子、は私にも若干失礼。いや、分かってはいるけど言い方……」

 藤子もすかさず便乗する。

「私は恵まれてなんかいない。だって、夫はいても、子供はいないもん」
 ふざけ半分でケンカごしになり、不妊というデリケートな話題まで出してきたサリーン。そんな彼女を、まぁまぁ、となだめながら藤子は、おもむろに鉛筆と手帳を取リ出す。

「ちょっと落ち着こうか。具体的にさ、ララちゃんを、あたしたちにどうして欲しいんだって、サリーン?」

 アナログ派の藤子は、今でも考えをまとめる時は、スマホではなく手帳を使っている。

「ララを、痩せさせて美人にする。そしてスクールカーストのトップに押し上げる。最終的には、藤子の事務所でモデルにしたい」

 ただの事務員とはいえ、モデル事務所のスタッフである藤子は、「うーん」と思わず腕組みをする。

 正直、ララが、一〇キロ痩せて、もう少し、体の動きとか物理的な意味での「器用さ」を身に着けてくれれば、こちらから菓子折りを持ってスカウトに行きたいくらいの逸材だ。

 十四歳で一七〇センチを超えており、肉が付いているから分かりにくいものの、顔立ちはサリーンに似て整っている。なによりも、尋常じゃなく頭蓋骨が小さい。

 ただ、かつてのサリーンと同様、酷い猫背で人と目をあわせて話すことができず、全体的に挙動不審だ。若干吃音気味なのも、一族の遺伝だろうか。

 タレントでなくファッションモデルであれば喋りはさほど気にする必要はないが、ララはそもそも酷い運動音痴だという。

 そこが、団体競技はからきしだが、陸上やダンスなどの個人競技だけはけっこうできた、体育大学ダンス部出身のサリーンと違うところだ。

「大学からじゃダメなの? サリーンみたいに、思春期を超えたら自然と痩せる体質かもしれないしさ」

 色黒でやたらと濃い顔立ちにでっぷりと肉が付き、ボサボサと広がる剛毛を、納豆のわらのように乱暴にくくっていたかつてのサリーン。彼女がおもしろいように痩せ、エキゾチックでセクシーな短髪美女に脱皮したのは、十八歳から十九歳にかけてのことだった。

 恋愛適齢期に差し掛かると、期間限定で痩せるタイマーが、遺伝子に仕込まれている家系なのかもしれない。

「それじゃあダメなの」

 と、サリーンは頬をふくらませ、袋をかぶせたストローをプッと吹いて、吹き矢のように聡美の額にあてる。

「あたしだって、オタクだった藤子だって、青春を底辺女子として鬱々と過ごした。だから、大学に行ってもモデルになっても、今だって自己評価が低いままじゃない。なんか、男相手にだって顔色伺っちゃうし」

 心当たりがあるのか藤子は、ウンウンと深くうなずく。

「一番モテた時代だって、彼氏の顔色ばかり伺って、いい思いなんかしたことなんてない。思春期の劣等感は一生モノ。ララには明るい青春を過ごして欲しいんだよ」

「でもさぁ」

 現場を知る教師の聡美は、さも煩わしそうにストロー袋を手で払い、顔をしかめて見せた。

「本人は納得しているの? あのカーストを登るのって、並じゃないよ? それに今はさ、出版不況でファッション雑誌も人気ないから、モデルになったくらいで、クラスで尊敬されるとも限らないしさ」

「もちろん、本人から言ってきたんだよ。『サリーンちゃん、あたし、変わりたい』って」

 サリーンはスマホを掲げて、ララからのラインメッセージを開いて見せる。

「そりゃ難しいけどさ、そこは大人がお膳立てして登らせるしか無いでしょう、山を、カーストを、ソーシャルクライマーって言葉あるじゃない。あんな感じでしたたかに、よじ登るの」

 無駄にキリリとした表情でそう宣言したサリーンを尻目に、藤子は、「はてソーシャルクライマーとはなんぞや?」と、無知を隠すように目を泳がせる。

 藤子はライターらしくときおり伊達メガネをかけ、白シャツに細身のデニムが似合う「サブカル大人女子」に仕上がってはいるものの、実は国語以外の勉強ができない。

 一方でサリーンは若い頃にメディアで演じていた「お馬鹿なハーフモデル」の物言いが未だ抜けきっていないが、趣味は「クイズ番組を見ること」で、地域の競技クイズサークルに入るほどの雑学王でもある。

「ソーシャルクライマーってアレだ。低所得者層の貧乏女子が、アッパークラスを目指して成り上がろうとするっていうやつだね。懐かしいね。九十年代に流行ったよね。ケネディ・ジュニアの嫁、キャロリン・ベセット・ケネディとかさ」

 ポカンとする藤子に気を使ってか、教師らしく解説する聡美に、サリーンは、

「言い方……成り上がる、って……」

 と、控えめなツッコミを入れる。

 実の両親が離婚しているサリーンは、二度目の父親こそ塾経営者のお金持ちだが、幼少期は、貧乏で苦労しているのだ。

「ハリウッドの青春映画みたい。陰キャがダイエットしてモデルになったプロムクイーンになる的な、ベタなスクールカーストクライマーものっスカッとするよね。いいよ、暇だし。なんだかブログのネタにもなりそうだし」

 独身の藤子は適当な相槌を打つ。

 小五の一人娘が半年短期留学中のシングルマザーである聡美は、

「あたしも暇だから別にいいけど。それと、ブログネタにするなら個人情報ぼかしなよ。ネットは怖いよ」

 また教師らしいことを言う。

「藤子とあたしだけでなく、子持ちの聡美まで協力してくれるとか、心強いんだけど」

 叔母バカ全開のサリーンは、ウキウキと立ち上がり、さっそく姪にラインを打ち始めた。

 ララはいつも、大人を不安にさせるほど返信が早い。まるで起きている間中、SNSやラインを開いては閉じ、開いては閉じを繰り返しているのではないかと疑いたくなるくらい、瞬時に既読がつくのだ。

 この時も、送信から返信までに一分とかからなかった。

『ありがとうございます。スクールカースト、登りたいです。でもあの身分制度、インドのカースト並みに強固なんで、正直厳しい気がします。小野田聡美先生もそこにいるなら、先生はご存知だと思いますが……』

 横から画面を覗いた聡美は、サリーンからスマホを奪い取って、異様な速さの「ガラケー文字入力」で励ましの返事を打ち始める。

『聡美だよ。大丈夫、サポートするから任せといて。こっちには大学時代『あのカースト』を登った女が二人もいるんだから。ちなみにインドのカーストも根強く残ってはいるけど、最近は政治家が人気とりで下位カーストを優遇しているんだって。新聞曰く』

 聡美の豆知識に、サリーンも藤子も、へぇ、と声をあげる。

 陰キャの底辺女子が、スクールカーストの頂点を極めたい。そんな切実な望みから、『ララの改造計画』は始まったのだ。
 

タワマンカーストと未亡人


 
「ふぁー。やっぱ気持ちがいいよね、タワマン最上階は。ねぇ、タワマンカーストとか、本当にあるの? そしたらやっぱりここのママ友のボスは聡美なの?」

幕張を見下ろすタワーマンションの三十階、最上階のベランダで伸びをするサリーンに、聡美は、

「ないよ」

と、と即答する。

「えっ? 一番上の階でもボスママじゃないの? シングルマザーの未亡人だから?」

と混ぜっ返す藤子も、聡美に睨まれて「わ、ごめん」と謝った。

「学校みたいに、同じ年で同条件の人間を押し込んだ集合体じゃないんだから、カーストなんて作りようがないよ。うちは分譲だけど、例えば三階に賃貸で住んでいるママ友は内科医で旦那は産婦人科医。乗っている車も旦那はルノーで嫁はプリウスだし」

 聡美はベランダから見える平置き駐車場を指差す。

「どうしてそこに住んでいるか、っていったら、たまたま職場に出やすいけど実家にも子供を預けられる部屋を探してそこがあいていたから。で、それでどうやって、車も買えない、中学校の非常勤講師のあたしがマウントとるわけよ」

 サリーンと藤子は、そんなもんか、と顔を見合わせる。

「それに、うちのマンションは最上階がペントハウスじゃないし、低層階は上層階より広く作ってあるの。二階は窓から桜が見えるのが売りだし、一階はロビーだから足音を響かせても苦情が来ない。子持ちや高齢者に人気だよ」

「価格はー?」

 とサリーンが、素朴な疑問を口にする。

「正直そりゃ高層階にいくほど高いけどたいした価格差じゃないし、最上階のひとつ下の二十九階は共有施設があるから安い部屋もあって、二階の広い部屋とそれほど値段が変わらないよ。住人に経済的な格差ができないように、工夫してあるんじゃないの」

 不動産屋顔負けの聡美の説明も、庭付きの一戸建てに住んでいるサリーンには、いまひとつ響かないようだ。

「でもさ、高齢者や子持ちが低層階を好むのは分かるけど、二階に住むなら、なんでタワーマンション選ぶんだ?」

「コスパがよくて便利だから」

 聡美は、また、間髪入れずに回答する。

「そこそこの管理費で、いたれりつくせりな設備がついているのは、『大規模物件』ならではなんだよ。ゴミ捨て場は各階にあって二十四時間使えるし、クリーニングもタクシー配車もフロントに頼める。これ、管理費を払う世帯が多くなきゃ成り立たないよね」

 藤子とサリーンは、「ボタンひとつでフロントにつながる」というモニターに目をやる。

「限られた立地に多くの世帯が詰め込まれている。管理費を抑えて手厚いサービスが受けられるわけよね。世帯が多いデメリットもあるけど。大規模修繕とかするときに、みんなの同意を得るのが大変だとかね」

 不動産関連のネットメディアに、タワマン営業担当の取材記事を書いたことがある藤子も、かぶせるように諳んじる。

「それと、人口密度が高いから夏は暑い、っていうのもデメリットのひとつかな。藤子、詳しいね。まぁ、ここ、管理費は安くないけどね。でも、月二万五千円しか払わないでここに住めるのはありがたいけど。ほんと、龍くんの親に感謝だわ」

 聡美は、亡き夫の小野田龍之介の名前を口にして、自嘲気味に笑う。

 龍之介の妻である彼女はもとより、生前から彼と友人関係だったサリーンと藤子も、彼の話題になった時に、悲しげな口調になる時期はとうに通り過ぎていた。

 サリーンはふと、六年前に龍之介と死別した直後の聡美の取り乱しぶりに思いをはせる。

 あまりにも突然の夫との別れに茫然自失となった彼女は、およそ半年間、仕事を休んでいた。

 心療内科に通いながら子供を実家の母親に預け、「睡眠薬を適量飲んで昼夜寝て過ごした」という聡美。

 しかし、三人のうちの誰よりも芯の強い彼女は、半年過ぎた頃からつとめて明るく振る舞うようになり、生きている頃と変わらず自然に龍之介の名前を口にすることも多くなった。

「ほんと、頭金だけじゃなくてローンも全部払ってくれた龍君の実家には、気を使わないとバチがあたるよね」

 聡美の言葉に、藤子が目を見張る。

「頭金だけじゃなくて、家全部もらったの? 団信の保険金が降りたんだと思っていた」

 サリーンは、住宅ローンを組む際に「団体信用生命保険(団信)」に加入していれば、死亡時に保険金で残りのローンが支払われ完済されるシステムを、例に出す。

「それが違うんだ。実は龍之介が生きているうちから、ローンはなかった」

「龍くんの実家が太いって、どれくらい太いんだ。寺でしょ?」

 藤子は、自分のややたくましくなった二の腕を揉みながら、「太い太い」とまくしたてる。

「太いなんてもんじゃないわよ。龍くんは確かに寺の次男だけど、都心や、地方の県庁所在地とか栄えている地区のお寺って、いいところに土地を持っているじゃない? 今は『本業は不動産投資家』っていうお宅もけっこうあるよ。坊主丸儲け的な」

 藤子よりも龍之介と親しかったサリーンは、わざとらしく地元民なら誰もが知る小野田本家・大筑寺の「持ちビル」の名を耳打ちする。

「すごいいい場所にビル、持ってるんだね。マクドナルドが入りそうな駅前角地! 実家極太。マッチョだけあるね、龍くん」

「まぁ、同じ年の私学教員だったから。玉の輿っていっても本人はそこまでエリートじゃないよ」

「ママ友はみんな、聡美の旦那さん……龍くんが亡くなった経緯は知っているの?」

 聡美はさり気なく飾られた家族写真に目をやり、ゆっくりと首を振る。

「あんまり詳しくは話していないよ。離婚したシンママだと思っている人もいるかもしれない。ただ、女医のママ友には、話したよ。風邪もひかない健康優良児が、三十代で心筋梗塞を起こして、ぽっくりいくことって珍しいのか知りたくてさ」

 三人は、同時に目を伏せる。

 告別式の夜、まだ幼かった娘をかき抱きながら、龍之介の好きだったジャクソン5の『I Want You Back』を聞くともなく聞き、放心したように揺れていた彼女の削げた頬をつたう涙を、サリーンと藤子は忘れることができない。

 それでも、出棺の折り、誰からともなく龍之介の母校である慶応義塾のカレッジソングを口ずさみはじめ、やがて大合唱になった時……深々と頭を下げた聡美の所作からは、威厳と覚悟が滲んでいた。
 

陰キャ少女とADHD


 
 脱線しまくる話を回収するように、聡美がバタンと窓を閉じる。

「はい。ここらでそろそろ戻すよ、ララちゃんの話。教師としても、心理カウンセラーとしても、実感しているんだけど、そもそも、スクールカーストは、密な環境で作られがちなわけよ。まさにタワマンとは逆でさ」

 日々の予定を書き込んでいるホワイトボードに、三角形を描く聡美。

「同じ年で同じ服を着せた男女を、小さな教室にギュウギュウに押し込めているんだから、異分子は目立つし排除される。無理もないよね、って」

 現役教師、聡美の見解に納得をしたのか、藤子は「分かりみ」と若者のような相槌をうつ。

「だから、痩せればいいとか、美人になればいいって話だけではないよね。外見も大事だけどさ。まぁ、さっきのタワマンの話じゃないけど、密な環境から物理的に距離をとるのが応急処置じゃない? で、ララちゃんは結局、学校に行っているの?」

「それは……」

 教師の聡美が口を開こうとするが、先にサリーンがムスッとした顔をした。

「行かせないよ、不登校。行かなくていいっていったの。幸い、うちの実家は塾なんだしさ、今の時代、オンライン学習もできる。三年生になってクラス替えするまで、ホームスクールにさせてもらうことにした。これで落ちるなら推薦なんていらないよ」

 ララの両親は、今回のいじめ騒動にかなり動揺しており、サリーンの介入を歓迎しているようだった。

「ララの父のうちの兄貴・カルロスも、本人がいいなら『それでいい』って。うちの兄貴、ララにはちょっと、無関心なところがあるんだけど」

「ええ、なにそれ。ネグレクトとかしてないでしょうね?」 

「むしろ、物理的には、甘やかしているよ。ただ、ちっちゃい甥っ子が、兄貴や嫁さんに似て優秀だから、そっちのほうに目がむいてる傾向はあると思う。たまに埋め合わせするように娘を買い物に誘ったりして、兄夫婦もララに気は使ってはいる気はする」

 藤子が「『埋め合わせ』っていう時点でちょっとねぇ」と、首をすくめる。

「まぁなんにせよ、サイコと距離をとっていると。それ、すごく良い判断だと思うよ。心の健康を守るのが第一。スクールカーストを登る以前に、いじめ問題では、生徒の心を守るために取り急ぎ『距離を置く』のが先決だよね」

 聡美は一旦言葉を切る。

「あのさ……ちょっと聞きにくいというか、踏み込んだこと聞くけどさ……」 

 にわかに頬を引き締め「教師の顔」を作り、デリケートな話題を切り出した。

「単刀直入に聞くけど、ララちゃんは、定形発達? ララちゃん、焦ると吃音気味になるところがあるじゃない? 発達障害の傾向は?」

 聡美の亡き夫の龍之介は発達障害児の教育領域を専門としていた教師で、妻である聡美も大学では児童心理学を学び、療育施設でパートをしていたこともある。

 サリーンは、

「傾向はあると思う。あたしもララも」

 とあっさり答える。

「私はADHDの傾向はあるけど、普通に社会生活は送れちゃう程度。ララも傾向はあるけど、あえて病名を付ける必要は、ないんじゃないかっていうのが、主治医と両親の見解でさ」

 聡美は、「なるほど」といって、腕を組む。

「『グレーゾーン』問題が、まさに、ここで起こっていたか。そりゃ、ララ
ちゃん辛いわ」

「待ってグレーゾーンってなによ。話が見えない」

 子育て未経験どころか結婚経験すらなく、発達障害、と聞くと、「席に座っていられない落ち着きのない子供」や、「人と目をあわせて会話のできない子供」のイメージする藤子は、得意の「知ったかぶり」を繰り出すのも忘れ、質問する。

「身近にいないと詳しく知らないよね、例えば藤子はADHD、ってどんな症状があるか知ってる?」

「なんか、ネットの記事読んだことあるぞ。小学校の頃クラスに一人はいた、いつもウロウロしたり、落ち着きのない子供とかじゃなかった?」
 聡美は「そうとも限らない」、と否定する。

「ADHDは『注意欠如多動性障害』のことでだけど。そこから『多動』を抜いたタイプもいるんだ。落ち着いていてウロウロ歩き回ったりはしないんだけど、うっかりしやすかったり、片付けができなかったり、不注意が目立つタイプ」

「ウロウロしなきゃ、普通の人じゃない? 片付けは私も下手だしうっかりしているよ。それくらいなら、ちょっと気をつければ学校では困らなくない?」

「だから、病的に注意力がないの。自分の意思だけでは『気をつける』ことも難しい。遅刻をしやすい、忘れ物が多い、得意なことには集中しすぎる」
 聡美の説明に続いて当事者であるサリーンも、「自分の欠点」でもあるADHDの特徴を諳んじる。

「あたしも、ダンスとモデルは続いたけど苦手なことはすぐ投げ出しちゃう。空間認知力が弱くてボーっとしているから事故にあったり、けがをしやすいとか、いろいろ困ったことがでてくるんだよ」

「うーん、なるほど。じゃあ、ADHDはそれとして、グレーゾーンはグレーだから『ちょっとだけそんな感じ』てやつ?」

「グレーゾーン問題は、ADHDでもアスペルガーでもぜんぶひっくるめて、症状が軽度で、病名が付かない子のこと。そのせいで、公的な支援が受けられない、障害児と健常児の狭間にいる子供たちが、問題になっているんだよ」

 でもさ、と藤子が口を挟む。

「病名がつかないほど症状が弱いなら、むしろ問題ないし嬉しくない? がんばれば社会に溶け込めそうだし」

「それ。父兄もそう思っちゃうから困るの。それで、問題になっているわけ」

 自身の専門分野とあってか、聡美はいつも以上に饒舌になる。

「例えば、発達障害と診断されて、専門の私立とか療育施設に通えば、その道の専門家をまじえて、じっくり問題に取り組めるでしょ」

「たしかに」

「脳の弱いところを伸ばすトレーニングとか、逆に、強みを伸ばす学習とか。なにより、自己肯定感が低くなって無気力にならないように、ケアもできる。そうすれば、人によっては素晴らしい才能を発揮できたりもするんだ」

 エジソンやアインシュタインも、発達障害だった説もあるんだよ、と、雑学王サリーンが例をあげた。
 
「今私が教えているみたいな普通の学校では療育のプロはいないから、なにかのきっかけで『空気の読めない奴だ』『いつも遅刻する』『散らかしてばかりいるだらしのないヤツ』って嫌われたり。成績が良ければ良いで『手を抜いている』って誤解されるかもしれない。それでうつ病になっちゃう可能性だってあるわけで」

「そうそう聡美の言う通り。ほんとそれ。あたしだって、遅刻したくらいで厳しくしたら、うつ病になっちゃうかもしれない」

 昔から遅刻グセがあり、今日も三十分の遅刻で、二人にコーヒーを奢らされたサリーンは、ドトールのカフェオレのカップをペシペシと叩く。

「おわびにコーヒー奢るとか、当事者側が細かいフォローを心がけるのも、発達障害で社会を渡る処世術のひとつだから。貸し借りなしで自分も気が楽でしょ」

 聡美に言い返されると、サリーンは「それもそうか」と納得した顔をする。

「まぁ、私はララと違って繊細じゃないから、私は、ポジティブタイプ」

「補足すると、サリーンの場合は、本人は鬱になりにくいけど、周りが大変なタイプだね。よかったな、サポートしてくれる旦那が見つかって」

 聡美にそう言われ、サリーンは「えー。こっちも旦那のサポートしてるんだけど」と年甲斐もなく口を尖らせる。

「だから、教師としては心配なわけよ。ここまで生き抜いて図太くなったサリーンはともかくとして、ララちゃんはまだ若いじゃない? 普通の学校なんか『定型発達の子ども用』にできているんだから」

「でも私たちの頃よりいいよね。兄貴に聞いただけだけど、私立だしスクールカウンセラーさんは、いい人らしいよ」

「うんカウンセラーの村田さんは同僚としても信用できる。あと、もし繊細すぎる傾向があるなら、今回のいじめなんてトラウマになりかねないよ。今相当、しんどいと思う」

 聡美は、ララの心境を慮る。

 姪の苦境に思いを馳せ、髪の毛を小指に巻きながら顔を顰(ひそ)めるサリーン。

「うちのララはさ、確かに太っているけど、見た目だけなら、陰キャグループにいるのが不思議なくらいかわいいじゃない。身だしなみに気を使って明るくなれば、ちょっとぽっちゃりしたモテる美少女でもいけると思うの」

 最近のララの写真を見たばかりの藤子と聡美も、うんうんとうなずく。

「でも実際は、髪もひっつめた剛毛のままで、暗い。姪にかぎらず中高生でさ、陰キャでしんどそうな子は、多くが不器用だったり繊細すぎたりするよね」

「教師としてもそう思う。でもそういう子は、伸びしろしかないでしょ」

 聡美は「我が意を得たり」顔で力説する。

「ララみたいに一歩踏み出すにも熟考しないと動けない子は、生きているだけで人よりずっと頭を使うから、洞察力にあるいい女になるかもしれない」

 サリーンは「あたしみたいに?」とニヤリと笑い、藤子に「あんたは能天気すぎ」と否定されてまた口を尖らせる。

「ま、ララちゃんは金の卵だよね。思慮深いタイプだし、きれいだし、スタイルもいい。ということで、あたしの『改造計画』見てよ」

 と、聡美はパワーポイントでまとめたらしい『ララ改造計画』の資料を広げる。
 

陰キャ改造計画始動


 「ほんと、ありがたいです。ウチなんかのために藤子さんや先生まで。サリーちゃん有能すぎ。お三かたは、もはやプロ集団すぎて、アベンジャーズです。後光がさしておられる。助けてくださると聞いて泣きました」

 子供の頃から顔見知りの藤子の手をギュッと握ったララは、アニメキャラのようにカクカクした動きで、感謝の言葉を捲し立て握った腕をブンブンと上下に振る。藤子は「いやいや」と照れながらも、

「ララちゃん、大きくなって。ていうか一人称は今もウチなんだ?」
 
と、戸惑いを隠せない。

 サリーンに「こら、『私」でしょ?」と訂正されたララは、照れ笑いを漏らす。

 四年ぶりに、「小学校の頃、東京に行くとよく遊んでくれたモデルのお姉さん」である藤子と再会したララは、「ウチ、小三くらいからあんま変わってないですけど」と、キョトンとした目で首をかしげる。

「内弁慶なの、この子。昔から。慣れるまでおとなしいくせに、一回なつくと、よくしゃべる」

 サリーンがそういうと、聡美が、

「そうそう、喋る内容も語彙も、おもしろいしね。学校とは別人だよね」
 
と、ララの頭をくしゃくしゃっと撫でる。

「そうなんです。地味キャラのくせに、躁状態になると喋りすぎて、叱られることもあります。ちなみに叱られると地蔵のように固まります。宮脇ララ、そんな変な行動が半ばパターン化しております……」

 自信なさげに弱点を開示して、目を伏せるララ。

 聡美は、「地蔵のように固まる緘黙」があるなら、やはりなにか特性がありそうだな。と思いながらも「この時点で断定はできない」と、言葉を飲み込んだ。

「聡美さん……小野田先生、英会話クラブ行けなくて面目ない。いかんせん、サイコがどうしてもダメで……って大丈夫ですか? 特定の生徒に入れ込んで怒られませんか?」

 ララが、心配そうに眉を寄せる。人の顔色を伺いがちで「気にしい」だというところも、彼女の特徴のひとつだ。

「そんなこと子供は気にしなくていいよ。私は友達の家に遊びに来ているだけだし、非常勤講師だし、もともと来年には違うバイト先探そうと思っていたしね。療育系の学校で働きたくてね」

 聡美は安心させるように笑い、ただね、と、言葉を付け加える。

「ただ、もしかしたらララちゃんやサリーンは嫌な気持ちになるかもしれないんだけれど、私は、別にサイコさんも嫌いではない。ていうか、今回の事件は胸糞悪いけどね」

「なんで。あいつ最悪じゃない?」

 サリーンが思わず口を挟む。

「最悪だけどさ、なんとなく昔の自分に似ている気もするし、あいつもあいつで大変だとは思う。これってもしかしたら、要領いい女子側に立ったポジショントークかもしれないけど」

 ララは、一瞬怯えたような顔をするも、

「分かります。もともとうちも意外に、嫌い寄りの好き、でした。今はクソ寄りの大嫌い、だけど」

 と、重いため息を落とす。

「うちとサイコって、同じプロテスタントの教会の英会話に行っていたから、半年前に教会のボランティアの募金活動で、ペアを組んだことあるんですよ。その時は、お互いに気を使うから話もしたし、好きな漫画とか共通の話題もあって」

 ララは、サイコとの蜜月をボソボソと振り返る。

「話せないこともなかった。で、その時も言われたんです、『実は隠れ美人だよね。もったいないから髪切りなよ』って。嬉しかった。『美人だよね』って、いじめられた時と同じワードなのに、状況とニュアンスで天国と地獄ほど違うなって」

 傷ついたプライドの疼きを痛みでごまかすように、形の良い唇に八重歯を立てたララ。聡美は思わず、顔をしかめる。

「分かるよ。差別用語なんか使わなくても。褒め言葉だって、状況にあわせた、声のトーンや言葉のチョイス次第で、いくらでも人は傷つけられる」

 ララも、共感するように深くうなずく。

「そういうこすいテクニックの効果を実感するのってだいたい中学生くらいだから、教師に対しても無駄に振り回してきて、正直ウザいんだよね」

 聡美の口から教師らしからぬ本音が飛び出したことに驚いたララは、プライドの痛みをしばし忘れたように、目を丸くする。

 サリーンは、聡美があえてラフな言葉を投げて空気を変えたことに感謝するように目配せをして、三人の意見をまとめてバージョンアップした「ララ変身計画書」を机に広げる。

「はい、そのサイコとやらは、嫌な奴だけど、ひとついいことを言った。まず、ララには髪を切ってもらいます」

 深い意味もなく幼少期から長髪だったララは、急な提案に驚き、ボサボサのくせ毛をギュッと握りしめる。

「えっ? ベリーショートとか? ウチ、デブなのに輪郭出すの?」

 藤子は、輪郭はきれいだって、といいながらララの髪を耳にかける。

「デブじゃないし、そのスタイルも同時に改善するの。いきなりベリーショートはキツければ、ショートボブでもいい。さっぱりしてもらいます。切った髪はヘアドネーションでもして寄付してちょうだい」

 自身も髪を切って痩せたことにより、別人のように変身したこともあるサリーンは、藤子の提案に首がもげそうにブンブンうなずき「あと眉毛つながっているところも剃るよ! 永久脱毛」

 と補足。ララも、観念して「レーザー痛くないところがいい」とつぶやく。

 勢いとノリで畳み掛けるようにしゃべる藤子のペースを落ち着かせるように、教師・聡美が淡々と、次のページをめくる。

「もちろん、ララちゃんも意見を言っていいよ。まず、この計画の柱は三つ。ひとつは、外見を磨く。ダイエットとヘアメイク、服装なんかでルックスを変える。これは。藤子が担当です」

 サリーンが、「いいな。楽しいやつ」と羨望の声を漏らす。

「二つ目は身体能力。ウオーキングやダンスなんかで、リズム感を養う。ヨガもいいね。これはサリーンが責任者になります。三つめはコミュニケーション能力の底上げ。これは私担当ね。まず、ダイエットは、藤子の彼氏が協力してくれるんだっけ?」

 藤子は『元モデルが二十キロ太ってまた痩せた話』というコミックエッセイで、マンツーマン指導パーソナルトレーニングジムのトレーナーからリモート指導を受けた経験がある。その流れで、そのうちの一人と交際するはこびになっていた。
「彼氏、ですか! 噂の藤子ちゃんの彼氏! 十歳年下って聞いた」
 にわかにニヤニヤしはじめるララ。藤子は照れくさそうに顔をしかめつつ、

「指導するのは彼氏じゃなくて、彼氏のジムの後輩女子。男性だと相談しにくいと思って」

 と、筋肉質な若い女性の顔写真が表示されたスマホをかざして見せる。

「彼女は東京にいるから、そんなに会う必要はなくて、最初にミーティングの後はリモートで、ティーン向け糖質制限や筋トレの指示をだしてもらうから」

「でも、お高いんでしょう?」

 通販レディ風に若干本気の不安をにじませてそう問いかけるララに、藤子は「ただ」と、誇らしげに胸をはる。

「ただほど高いものはないですよ。そこに、どんなからくりが?」

 ララは怯えたように目をしばたかせる。藤子は、ご明察、とつぶやき、

「中学生にしては経済観念がしっかりしているねぇ、感心。大丈夫、ちゃんと、お互いに得はある。痩せた暁には君を漫画化させてもらおうじゃないか」
 
「ふぁ? なんでうちを漫画に?」

「叔母のあたしも聞いてないけど。匿名でしょうね、さすがに」

 ララとサリーンは、同時に驚きの声をあげたが、聡美はある程度想定内だったのか、少し眉毛をあげただけだった。

「個人情報なんか出しませんよ。十四歳の少女が半年できれいに痩せる過程をコミックエッセイにして、協力者のところに、ジムとトレーナーの名前を入れる。載せるウェブ媒体の方は企画が通っているし、前回の流れで書籍化もあるかもしれない」

 藤子は、トレーナー無料協力の裏事情について説明した。

「独立したばかりで駆け出しのトレーナーさんは宣伝になるし、ララちゃんはただで痩せられる。私はネタができる、とウィンウィンウィンなわけですよ。もちろん、ララちゃんが同意してくれるならだけど」

「痩せなかったら、どうなるの?」

 ララが恐る恐る問いかけると、

「フィクションを入れるしかないよね。もちろん、取材に基づくフィクションですって断って。それでも、監修としてトレーナーさんの名前は入れられるし宣伝にはなる」

 そこで言葉を切り、「できれば痩せて欲しいけど……」と補足する。

「どちらにしろ、トレーナーさんは、まだ顧客が少ない人だから、同意してくれているよ。あえていえば、あたしが創作しなきゃいけないから、あたしの取り分が少なくなるってだけ」

 藤子がそう答えると、ララは、ホッとしたような表情で、「匿名ならぜひ」と、快諾した。

「はい、このミーティングは来週木曜日を予定しています。次はサリーンの身体能力」

 聡美が進行を即すと、サリーンは資料のページを捲るだけでなく、新たに二枚のパンフレットを出してきた。
 表紙には、なにやらラジオ体操のようなことをしている中高年女性の集団と、ヒールを履いた白髪の女性がプリントされている。

「え……なに、これ?」

 ララが、若干引き気味の声をあげる。

「ウォーキングとヨガとダンス教室のパンフレットだけど? あえて、最初は、高齢者におすすめの超初級リハビリヒップホップクラスと、ヒール転倒予防ウォーキングクラスに参加してもらおうかと」

 そこでサリーンは、「いろいろ体験でやらせて気に入ったのだけ残そう」とガサガサと別のパンフレットも引っ張り出す。

「あとは、夜にやっている『暗闇ホットヒップ・ホップ』もいいよ。ホットヨガのダンスバージョンで中年女性に人気のやつ」

 ダンス教師のサリーンは、「暗闇ほんとにいいよ」と重ねて言い、

「人目が気にならないなら続くかも。ほら、ララは昔キッズダンスやらせたら、ついていけなくて笑われて、固まっちゃったじゃない?」

 どうやらララは、ダンスに挫折した経験があるらしい。

「だからまず、簡単なリズム運動の反復を丁寧にやるシニア&リバビリヒップホップや人目を気にしない暗闇コース、上達したら若い子のクラスにうつってもいいしね」

「でも、リハビリクラスでこんな若い子浮かない?」

 藤子が疑問を口にすると、

「そうだね、理由もなく若い子が高齢者クラスは浮くから、ララは建前上、『脚を痛めたリハビリ中の中学生』て、紹介させてもらおうか」

 聡美がストーリーを作る。

「がんばります!」

 ララは、アニメキャラのように顔の前で「グー」を作って、言葉少なに決意宣言をする。

 そんな姿がかわいらしくて、中年三人の目尻が自然と下がった。

 かつて三人も通りすぎた「迷いの青春時代」の匂いを振りまくララの登場に、中年アベンジャーズはいつになく燃え、そして萌えていた。

  老後にもぐりこむための心地良い穴を掘るように、若さをすり減らし目の前のタスクを淡々とこなす。そんな日々に飽いて「中だるみ」を感じていた美魔女トリオの前に、「仕事人としての経験値の見せどころ」とも言うべき逸材が現れた。

 空回りしかねないほど張り切った中年女性の夢を載せて、ララ変身計画の火蓋が切って落とされた。
 

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