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『不登校少女と三人の美魔女』第三話 ダイエットの極意は金、コネ、情報、知識



ヨガの魔法使い


 
「あら、あら、サリーちゃんは四十代になってもお顔が小さいわね。ほら、なにさんだったかしら引退した歌手の、安室奈美恵ちゃんみたい」

 会うなりこちらを鼓舞するようにバンと背中と叩いてきた、藤井真紀子こと「マダムフジマキ」は御年八十五歳。

 サリーンの母の古くからの友人でもあり、最近台頭してきたシニア向け美容雑誌で「本誌最高齢読者モデル」として、ダンス・ヨガインストラクターと紹介されたこともある人気者だ。

 同時に、サリーンにとっては、小学生のころ最初にジャズダンスとヨガを教えてもらった師匠でもある。

 ちなみにサリーンは安室奈美恵にはまったく似ていない。彼女の中では

「モデルっぽい体系の四十代女性」をまとめて、「アムロちゃん似」という箱に分類しているのだろう。

 マダムフジマキのご主人は、サリーンが生まれる前の月に、脳卒中で亡くなったと聞いている。

「主人を亡くして呆然としているときに、ちょうどベビーカーに乗ったサリーちゃんを見かけてね。あら、こんなキラキラした子が『ついこの前までいたところ』に、あの人も行ったのね、て、元気がでたのよ」 

 マダムのそんな言葉には、聡美の夫でサリーンの大切な友人だった龍之介が早世した時にも、大いに慰められた。

「あらあらあらあら、お嬢さんは、サリーちゃんの子供のころにそっくりじゃない。コピーみたい。かわいいわねぇ。よろしくね。フジマキって呼んでいいのよ」

「先生、娘ではなく姪です。兄のカルロスの長女の宮脇ララです」

 サリーンがララの頭に手を当て、挨拶を即す。ララはマダムのオーラに緊張したのか、

「あ、あ、あ、よよ。よろしくお願いします」

 吃音気味に挨拶する。

「あらまぁ、しゃべり方も昔のサリーちゃんにそっくりね。いいのよ、上手にしゃべろうとしなくても。ゆっくりお話しましょうね。お腹で深呼吸してみて、囁くように、柔らかくそっと声を出してみて」

 ララは、マダムの真似をして深呼吸して細く鼻から吐いた後に、

「よ……よろしくお願いします」

 と囁いた。

「そう。とってもかわいい。若い子の囁き声ってかわいらしいわねぇ。フランスの少女歌手みたい。それにあなた、絶対音感があるって本当?」

「ぜ……絶対音感はあるのに、手先が不器用で、なんの楽器も弾けません。ピアノは習ったけど、うまくいかなくて」

「あら、それは教えていた方の力不足よ。絶対音感があるのはすごいこと。ララちゃんもモデルさんの卵なんですってね。モデルさんのオーディションとかで緊張した時には、話し出す最初の音に音階をつけてみて」

 マダムは、
「よろしくおねがいしまーすー」

 と歌うように挨拶をしてみせた。

「これは大げさだけど、例えば最初の『よ』だけ、『レ』を意識してみるとか」

「よろしくお願いします」

 今度は、滑らかに声が出た。マダムはにんまり笑う。

「そうそう、そんな感じ。おばちゃんの教えは、むかしのヨガの先生に教わったことだから、エビデンスなんて調べていないし最先端じゃないかもしれないし。人によっては効かないかもしれないけど、あなたの叔母様のサリーちゃんも吃音が治った方法だから、あなたには、いいおまじないになるんじゃないかしら?」

 マダムは、目にしわが寄ることも気にせず、チャーミングなウインクを飛ばす。

 ララが、ちょっと大きめの囁き声で、

「ありがとうございます」

 と答えると、「今のは『ド』からね」とほほえみ、

「ヨガをしながら腹式呼吸を練習しましょうか。少しサリーちゃんと話すので、ララちゃん、マットをひいてくださる?」

 照明を落としたスタジオに目を向けた。ララがうなずいて、ピンクのヨガマットを引っ張り出すと、マダムは心底いとおしそうに眼を細めた。

「かわいいわねぇ、いいわねぇサリーちゃん、あんなにかわいい姪がいて」

「でも私、子供はできなかったんです。少し寂しくて、姪を構っちゃうんですよね」

 中年になった自分を「サリーちゃん」と呼んでくれるマダムの包容力に甘えて、思わず本音が口をついて出る。

 マダムは、唇の前に指を立て、

「あなた、あたしに、息子がいるの、知っている?」

 そう問いかける。
「はい。確かアメリカに住んでおられるとか」

 マダムの息子には面識がないが、そんな話を、母から聞いたことがある。

「そ。アメリカの女性と結婚してずっとあっちにいるの。この十年に何回帰ってきたかしら」

 マダムは、片手の指を折り曲げて数えるふりをする。

「その点、姪はいいわよ。私の姪は出版社に務めているの。私が雑誌『ツィッギー』に取り上げられたのも姪のおかげよね。この前も一緒に宝塚を見に行ったのよ」

 顔の前に「推し」の女優の名前が入ったミニタオルを広げて見せる。

「『cool aunt』て言葉をご存じ? アメリカではね、自分は子供を作らず、かっこいい親戚のおばさんになることが、若い女性の間で憧れなんですって」

 マダム曰く、裕福な、子どものいない女性を表現するための『cool aunt』『professional aunt, no kids:PANK』という言葉も流行していたらしい。

「いいわねぇ。今の若い人はいろいろな生き方を選べて。日本にもDINKSっていう言葉もあったし、自由でお金持ちでかっこいい叔母さんは昔から先進的な女の子の憧れよ」

 マダムは、子供を産んだことを後悔しているわけではないし、大人になってから縁が薄くなった息子も愛している、と補足した。

「人生百年時代、隣の青い芝生ばっかり横目で見ていたら、つまらないじゃない。あなたは幸せよ、サリーちゃん。そのことに感謝して、過ごすほうが楽しいわよ」

 その時、どこに隠れていたのかマダムの飼い猫が、にゃーん、と言いながらサリーンの脛に尻尾をこすりつけた。

「先生のスタジオにはいつも猫がいますよね。小学校のころから」

 マダムは猫を抱き上げ、ふふ、と笑う。

「本当は、こんなおばあちゃんは責任が持てないから飼っちゃいけないんだけど、猫の保護活動をしている姪が、保証人になってくれたの。姪はね、年寄りに猫を預ける活動をしているのよ」

 飼い主のいない猫と猫好き独居老人をマッチングさせて、定期的に猫の預かり金を払ってもらう。その見返りとして、一週間に一度オンラインで、猫と飼い主の健康チェックを行い、もし飼えなくなった時には団体が引き取るという「レンタル猫見守りサービス」は、有料で「見守り猫」を自宅に居候させるなビジネスモデルだ。

「うちの姪は独身なのよ。パートナーはいるけど事実婚ってやつね。子供がいなくても、結婚しなくても、楽しく誰かをサポートできる活動はいっぱいある」

 マダムは、遠い昔を振り返るような目をして目を細める。

「子供が生まれると強制的に、世界が一人称から、二人称三人称になるのよ。今まで万事『私私』だったのが、子供っていう他者中心の世界になるのは、若いママにはなかなかキツいものよ。でもそれをきっかけに、生き方がシフトしてゆくのは合理的ね。中年以降は、自分のことばかり考えているとつらくなるでしょう?」

 最近、若い頃と変化のない夫婦単位の「快適さ最優先生活」に、虚しさを感じていたサリーンは深くうなずく。

「そう感じたら、大人になるチャンスよ。自分じゃない誰かのために動きやすいように、ちょっと目線を変えてみればいいの。あなたは今、姪ごさんをプロデュースですって。いいじゃない、がんばんなさいよ」

 マダムフジマキのウインクは、星が飛び出してみえるくらい、チャーミングだ。かわいいおまじないですっかり気分が晴れたサリーンは、浮かんだ涙を隠すようにララのほうに目を泳がせた。

痩せたらイケメン寄り


 
 ララの食事制限には、成長期ということもあり「おやつ・間食のみ糖質制限」という基準を設けたようだが、母親の百合の影響でケーキを毎日のように食べていた彼女には効果てきめんで、

「ママケーキがなくなっただけで、スルスルと痩せたんですけど」

 ペタンとしたお腹に触れる。

「あはは。原因はアニキの嫁だったか」

「それにしても、コンビニ、って、意外にダイエットに向いているんですよねー。成分表に糖質が書いてあるから、食べていいおやつが一目瞭然で」

 公園のベンチでビーフジャーキーをかじっているララはワイルドで、およそ二ヵ月ほどで、見違えるように「野性味」が増していた。

 糖質制限をはじめた彼女は、

 一・毎日体重計に乗る、血糖値を測る
 二・極力、一食で摂取する糖質量四十グラム以内
 三・簡単な筋トレ
 四・毎日ラインでトレーナーに状況を送信
 五・三食の糖質制限は無理なく。間食のみ本気で糖質オフを目指す
 六・エレベーターはなるべく使わず階段移動(自宅は四階)

 というルールを、自分なりに守っているもようだ。

 今日は藤子が、ララのダイエットを題材にしたコミックエッセイの取材をかねてサリーンとララを呼び出した形だが、公園のベンチでのんびり話しているせいか雑談とさほど変わらない。

 若く代謝がいいだけあって、彼女は順調に痩せている。まだ十代ということもあり母親の尽力は欠かせないが、トレーナーにアドバイスをされた、「コンビニ活用糖質制限術」も役立っているらしい。今かじっているビーフジャーキーも、公園の前のコンビニで裏の成分表示を確認しながら購入した、お気に入りのおやつのようだ。

 それにしても、二ヵ月で、変わったものだ。

「あんたって、もともと顔立ちは美人だとは思っていたけど、イケメン寄りの美女だったんだねぇ」

 サリーンがせっかく褒めたのに、トラックの音と道端の猫に気をとられていたララは、気の抜けた表情で「ええ? なんて?」と聞き返してきた。

 今の彼女をひとことで表現すると、ゆるい雰囲気の美少年。

 天パのショートボブヘアは、サリーン行きつけの青山のサロンで「不器用な子なんで、スタイリング、楽なのにして」とオーダーしただけあって、扱いやすさは抜群だ。

「サリーン行きつけのプライベートサロン、いいね。ララの骨格にぴったりだし伸びても扱いやすそう。私も行こうかなぁ」

「いいよ、今度藤子にも紹介するよ。亀山さんはカリスマ美容師ブームの生き残りだから、技術と接客の安定感がすごいの。当事はテレビで『ショートの魔術師』って呼ばれていたんだから」

 ララの髪は、寝起きに洗面所で洗ってタオルオフし、整髪料を刷り込んだだけで、エンゼルのような「無造作くせ毛ヘア」に仕上がっている。ダークブラウンのカラーも爽やかで、納豆の藁のようにひっつめたロングヘアよりはるかにかわいらしい。

 プロの指導で十キロ痩せたことももちろん大きいが、それ以上に、つながって見えるほど濃かった眉間や、「まろヒゲ」と揶揄された鼻下うぶ毛など、不要な毛を医療脱毛したことも、垢抜けに影響している。

 太っている状態では「痩せたらきれいにはなるだろうけど、顔が濃すぎるからお色気系になって、コンサバしか似合わないかな。うちの事務所、グラドルは扱ってないんだよなぁ」という藤子の予想は、いい意味で裏切られた。

 もともと、百七十一センチで七十五キロだったララは、十キロ痩せた今もモデル体型ではない。十代女子の感覚では、健康的だがぽっちゃりしていると評価されがちな体重だ。

 それでも、小顔さや足の長さ、クールでワイルドな目鼻立ちが肉の下から掘り出されて主張をはじめ、充分美少女に見える。モデル事務所のスタッフでもある藤子が彼女を連れて歩いていると、「新人さん?」と聞かれることも増えてきた。

「あんたさ、横目でチラッとこっち見る『流し目』がすごいいいよ。イケメン風」

 ララの「えぇ?」という「聞き返し」には答えず、サリーンはスマホで彼女の横顔を撮影する。

 無駄な「毛」を退治したことで暑苦しさが消滅し、持ち前の「濃さ」を「ワイルドな美貌」に昇華させたララだが、目元だけは過剰なまでの彫りの深さを残している。

 捲れあがった上唇や、細いのにツンと上を向いた鼻梁、歯並びはいいのに、前歯二本だけがややすきっ歯気味なところは、白人モデル風。彫りが深く素顔でも目頭にアイラインを引いたような瞳は中東風。目ヂカラのインパクトに対して、若干心もとないほど細い顎とやや狭いおでこは、和風。

 アンバランスのようで、絶妙に整合性が取れた顔立ちは、「通りすがりの猫にビーフジャーキーをあげていいかどうか」くらいしか考えていないであろう横顔も、神秘的に見せている。

「流し目王子、いけますかね」

 ララは睨むように眉にシワをよせてみせる。サリーンの脳裏にアイドル出身中年俳優の若き日の顔が浮かび、しばし見惚れてから「バイクが似合いそう」とつぶやく。前言撤回。イケメンではない、もっと過剰ななにか……。ややレトロなこの顔にハマる表現は、「ハンサム」か「男前だ」。ララは笑って、

「ファッションってコスプレですよね。ハマると、もっと化けたいからダイエットもはかどります」

 いっそう男前な笑顔を作る。

 これといって高い服を着せているわけではないが、今日のララはティーン雑誌から飛び出してきたように爽やかだ。

 サリーンから譲り受けた、ラルフローレンのメンズの青いシャツとサーフブランドの黄色いハーフパンツは、ブルーとイエローのコントラストが公園の緑によく映える。

 同じ服を、四十代のサリーンは、あえて素足に、偏愛する「ジミーチュウ」のヒールサンダルをひっかけて、「若作りではなく遊び心」になるよう工夫して着用していた。

 リアルに若いララは、ハイカットのコンバースでも充分かっこいい。見た目的には仕上がってきている。しかしながら、

「よし、ちょっと動画もとってみようか?」

 姪にスマホを向けて動画モードを起動すると、視線が気弱にキョトキョトと泳ぎ、動揺を隠すように浮かべた作り笑いで、片頬だけ、十代らしからぬ不自然なほうれい線が浮き上がる。

 どうやら、「動画」というワードがララの「緊張スイッチ」も押してしまったらしい。

 サリーンは、心のなかで舌打ちをする。挙動不審さが、顔立ちの良さをみごとにかき消してくる。「見せて」、とスマホを奪ったララも、再生した瞬間に顔を曇らせ、

「……無駄に顔の濃い変態……」

 頭を抱える。

 分かっているなら、なおせ? と言いたい思いもあるが、分かっていても容易には変えられないのが性分というものだ。

「あ、今、嫌なフラッシュバックが……」

 藤子が、悲しげな顔をして目頭を抑える。

 ララほど不器用ではないものの、オタク系女子からモデルになった藤子にも覚えがある。少年雑誌のミスコンテストに落ちた後、落選理由となった自己アピール動画を見た社長から、

「写真写りやスタイルの問題じゃなくてね、あなた、目や首の動きが落ち着きがなくて、挙動不審なのよ」

 と言われたものだ。

 基本、オタクというものは身振り手振りや表情に独特の「落ち着きの無さ」があり、端的に言うと「キョドっている」。慣れ親しんだ環境ではなりをひそめていても、緊張すると途端に「キョドり」が際立つのだ。

「地味キャラだったけど、私にはあんまりそれはなかったな。ダンスのステージ慣れしていたせいかな」

  サリーンは優しい手つきで、ララの髪を直す。

「やっぱり顔はあたしにそっくりでも、今のララは静止画向きだね……。なんとかならないものかな、そういうの」


「なんないですね。だって緊張するんだもん」

 動いている自分の「気持ち悪さ」にショックを受けたララは、ジャーキーを食べる気力もなくしてため息を落とす。

「なんかごめん。凹ませて。取材は動画じゃなくて音声でいくよ。で、今の生活はどんなもんなの」

 モチベーションが下がったララに気を使い、藤子はスマホをかばんに仕舞
い、古き良きライター七つ道具、ボイスレコーダーを取り出す。

「うん。まぁ順調に不登校児です。週一回保健室登校して、あとはオンライン学習。ヨガとダンスとウォーキングは土曜日曜に行っていて、軽い筋トレは毎日、サリーンちゃんにズームで付き合ってもらいながら家でしている」

 ララはそう言って、思い出すように額にシワを寄せる。

「たまには近所のジムも使っていて、ホットヨガダンスとかエクササイズ。暇なときはサリーちゃんが付き合ってくれている」

 サリーンは藤子に、「最近、割といつも暇」とピースサインを作る。

「パーソナルトレーナーの涼子さんには、毎晩ラインで、食べたものと体重、やった運動を報告しているよ。日曜日には、ズームでミーティングもしてくれている」

 中学生にしては規則正しすぎるスケジュールのように思われて、サリーンは思わず疑いの目を向ける。

「それって目標だよね。実際にできているのはどんな感じ?」

「全部、できてます」

 ララは、木の棒で土に凸凹のマークを書きながら答える。

「そこはウチの変人ぶりがいい方に出ていて。予定変更ストレス、っていうみたいなんだけど、一旦ルーティンにハマっちゃうと、融通がきかないくらい、毎日同じことを繰り返す」

 ADHD事情に比較的詳しいサリーンは、

「専門家じゃないからあくまで雑感だけど、それはADHDよりアスペルガー寄りの症状じゃないのかな。それか、うちの旦那みたいに神経質とか」

 とつぶやく。

「そう。いろいろまざっているんですよね。同じことの繰り返しが苦にはならないと言うか、逆に『今日は藤子ちゃんと約束があるからスクワットができない』とかのほうが、イライラする」

 スクールカウンセラー曰く、複数の発達障害の特徴が複雑に絡み合っていることは、珍しくないみたいですよ。と、ララは意味ありげに、凸マークをまるで囲むララ。

「じゃあさ、トレーナーに食べたものとか運動とか報告するのも、まったくごまかしなし、だったりするの? 女子中学生が?」

 食いしん坊のサリーンは、信じられないと手を広げる。

「ケーキ食べちゃったのが恥ずかしいから言わない、とかないの? あたしなんて、この歳でも悪気なく小さな嘘とかつきがちなんだけど。血糖値が少し高いんだけど、健康診断で怒られるのが嫌でさ」

 自分のリアルな弱点までさらけ出して、ララの本音を探ろうとするサリーン。

「私も嘘をつくこととか、ごまかすことありますよ。人の目も気にするし。でも、食べたもの報告ではないかな、いまのところ。あ、血糖値も測ってます」

 ララは、「アナログなんですけど針のやつで」と、小枝で小指を突いて見せる。

「さっきの毎日やっていること、ちょっと抜けてたかな、もっと詳しく書くね」

■毎日食べたものを写真に撮ってトレーナーに報告
■朝晩に体重を測って報告
■朝に血糖値を測って報告
■夜にオンラインでサリーンと運動
■ホットヨガ、常温ヨガ、ダンス
■朝昼の主食は雑穀米ご飯か低糖質パンで夜は基本的に主食無しで他タンパク質をたっぷり
■おやつは糖質が少ないものをチョイス

 ララは、地面を黒板のようにして、木の棒でダイエットのポイントを記述する。

 血糖値は、指先に針を刺すタイプの測定器を使っているらしいのだが、おもしろがって一日何度も測っていたら「血糖値が高いと過剰に眠くなる」という体質も突き止めた、とララは胸を張る。

「血糖値や体重を一日に何度も見たくなるのは、分かります? 出かける時に水道の蛇口が閉まっているか何度も確かめるみたいに、癖になっちゃうんですよね」

 サリーンと藤子は同時に「分からん」「むしろ見たくない」と首を振り、藤子が

「『神経症的な傾向』に一貫性があるというか、ダイエットには向いているのかな」

 とつぶやき「やりすぎ注意」とメモをする。

「涼子さんがプロで。最初のミーティングで、自分が高校時代にリバウンドで九十キロまで太った話とか、夢遊病状態で角砂糖かじってた話とか、際どいエピソードいっぱい教えてくれて」

 トレーナーの涼子は、

『中学生なんて、失敗して普通だからゲーム感覚で糖質制限をして筋トレもやってみて、覚えている範囲の食べたものをラインに書き込むだけでいいよ。あたしのことAIだと思って恥ずかしがらないで』
 
ララに自分の過去を打ち明けたらしい。

「報告しているというより、アプリに入力している感覚。あと、うちのママのおやつが格段にヘルシーになりました、パウンドケーキの変わりにフルーツヨーグルトケーキとか、ダイエットふりかけとか、作っています」

 ララはさらに、「ふりかけ・しょうが、にんにく、とうがらし、じゃこ、ごま、かつおぶし、梅」と地面に書き、「茹でたキャベツにかけても美味しいよ」と付け加える。

 涼子と友人関係にある藤子は、漫画で涼子の「有能ポイント」をアピールしようとレシピをメモする。さらにメモの最後尾には「涼子は、ほぼAI」と書き込んだ。

「金、コネ、情報、知識。ありがたいことに、ウチはサリーちゃんのおかげで全部ある程度、揃っているから、そりゃあ、痩せますわ。健康食品会社の母も『便利』です」

 ララは、指を四本立てて、説明する。

「全部あれば話が早いけど、このうちの二つ三つあるといいですよね。まぁ、たくさんならお金だけでもなんとかなるかもだけど、情報だけしかないのはキツそう」

 おもむろに「金、コネ、情報、知識」と、トピックスに使えそうなキャッチーワードを繰り出すララ。

「知識と情報はどう違うわけ?」

「全部涼子さんの受け売りなんだけど。例えば、ネットさえあれば、痩せるための情報はある程度無料で溢れているわけだけど、知識がないと取捨選択ができない」

 また、サラサラとメモを走らせる藤子。

「知識がなくても、コネか金があれば、知識がある人に、『自分の年齢と体質で、このサイトに書いてある糖質制限やってもいい?』って聞けるわけです」

「なるほど、これから私が書こうとしているエッセイは、『情報』カテゴリってことになるかな。いいね。涼子のようなプロのトレーナーの知識とダブルで使っていただけばより効果的です、って、抱き合わせ商法で宣伝できるわ」

 無償協力してくれている涼子に報いるべく、「金、コネ、情報、知識」と手帳に二重線を引く。

「涼子さんが、最近は情報が溢れすぎて使いこなせない人が多いからね、って。逆に言うと、四つ集まれば、ひとつひとつはささやかでいい」

「確かに、知識だけでも、情報でアップデートしないと意味ないね」

「普通の会社員や主婦のお小遣いレベルのお金でも、最初だけトレーナーさんについてもらって、慣れて知識がついたら、自分でネットを見ながらトレーニングだってできるし」

「じゃあさ、具体的に、苦手なダンスはどう克服したわけ?」

 藤子にそう聞かれ、ララは、「別に克服はしていないけど」とつぶやきながら、体育の準備運動のような可もなく不可もない動作で、ボックスステップを踏んでみせた。

「どう?」

 どう、と言われましても……。藤子が微妙な表情を作り、サリーンが苦笑いを漏らす。

「ま……真面目に練習したみたいだね、サリーンと。ごめん。正直に言うと、特筆すべきことはない、普通のボックスステップに見える。あえていえば少しカクカクしているけど、まぁ普段踊り慣れていない人なら、そんなもんじゃない? くらいで」

「目立たない動き、ってことは、大成功なんですよ。今までならウチが、例えば『いきなり音楽が鳴って全員踊りだす』みたいなパーティーピーポーな場に放り込まれたら、フリーズして棒立ちします。それから焦って痙攣するみたいに高速で揺れてみたりとか……」

「なるほど」

「前は、病的な目立ち方していたから。今なら、とりあえず左右か前後に揺れとけ。定期的に膝折って、脚をボックス的に動かしとけ、って、下手ながらも、踊る集団に埋もることができるでしょ」

 藤子が、中学生までの子供時代、そんなに「踊るシチュエーション」があっただろうか? という疑問を口にしたところ、

「今日日、小学生ほど急に踊らされるイベントが多いんです。運動会やキャンプファイヤー、ハロウィンですら油断はできない」

 ララが吐き捨てるように言ってのける。本当に、心底、嫌だったんだなぁ。踊りが、と思われる表情で。

「なるほど。大変だったね、ララ。かっこよく踊る、じゃなくて、埋もれることが目標ってことか。賢明。で、どうやって、埋もれる人に進化したわけ?」

「最初はひたすら、お手本を見て反復運動。言語化してブツブツ言いながら覚えます。『ケッ、トン、クロス』とか」

 ララは、脚を蹴り出してからリズムに乗ってクロスする動きを、謎の呪文とともにやってみせた。

「そのあとは『コマ送りレッスン』をしました。曲と動きを細かく分断して、コマ送りっぽく覚える、ってやつ。あと体のパーツごとに覚える。手のふりつけより、重心を支える足の動きを先に覚える」

 ララは出来損ないのロボットダンスみたいに、カクカクと動いてみせた。

「コマ送り?」

「ほら、映画の博物館とかで、見たことないですか? パラパラ漫画と同じ原理で、静止画を連続で映し出して、動画に見せるやつ」

 藤子は「なんかのアニメの博物館で見たー」と答える。

「ダンスを細切れにして一場面ごとに徹底的に練習して、その後に『どの音の時にどの動作を出すか』も頭に詰め込んで、ちょっとずつ繋げる練習をする。時間はかかるけど、最終的には一曲分覚えられる」
 想像して見るだけで、回りくどく、途方もない作業に思われるが。

「まどろっこしい、って思っているでしょ。でも、よく考えたらウチ、ピアノを習っていた時とかも、それに似たやり方を編み出して、人より時間をかけて覚えていたんです」

 ララがピアノを習っていたのも初耳だ。

「そもそもウチの頭には、音楽に乗って流れるように自然に動く、って回路がない。もしくはその回路が動いてないから苦肉の策でね。目の前の点に集中して、点を積み重ねて、線にしてゆく。点描の絵みたいに」

「点に集中して線にしていく、って考え方は分かるかもしれない。大人でも、キャパ以上の仕事を受けちゃってパニックになったら、細かい作業まで全部紙に書き出す。そして、優先順に並べたら、何も考えず一枚一枚やっつけていくよ」

 つまり、ララのような不器用なタイプの子供は、楽器を習うとか、音楽が流れてきたので体を揺らす、といった日常的な出来事で回路が混乱して、「仕事が立て込んだ大人」並みのパニックをおこしているということか。

「藤子ちゃんの場合は、体の外に『仕事』ていう『やること』が多すぎてパニックになったんでしょ。ウチの体感としては、それが頭の中だけで起こっている」

 ララはこめかみでぐるぐる指を回す。

「頭の中の回路を繋ぐ優先順位なんかを、まずは意識的に体に覚えさせなきゃいけない。って、これもマダムフジマキさんの見解だけど」

 マダムフジマキは、障害児のダンス療育にも携わっていた優秀な人なんだ。と、ララは藤子に説明する。

 藤子は、「ちょっと、一般の女子向けのダイエット本のダンス指南書にはならない内容になってきたぞ。載せられるエビデンスもなさそうだし」と思いながらも、「参考程度」とメモをとる。

「なるほど、まずはそこから練習を初めて、今は?」

 エッセイには使えなくても、ララの経験には興味がある。

「今現在の状況としては、下手だけど定番の短い曲をいくつか通して踊れるようになった。だから先月から、シニア中心の『健康ダンス ヒップホップクラス』に参加したの」

「シニアダンスもマダムのところね。ヨガの先生もしている八十五歳のマダムなんだよ」

 サリーンが、藤子に向けて、自慢げに口を挟む。

 どうやら、ララは順当にステップアップしているようだ。

「そこでは、先生はシニア向け超初級のダンスを教えつつ、映像では、普通のダンスを流して、レベルにあわせてどっちを練習してもいいの」

「そりゃ、おじいちゃんおばあちゃんもとっつきやすいね」

「そう、で、最後のフリータイムで、リズム感を養うために『音楽に合わせて適当に体を揺らす』時間があるんだけど、ウチの一番嫌いな『自由に音楽にノる』みたいな文化に慣れるのに、役立った」

 ララは、シニアにも人気だというジャクソン5をハミングしながら、「律儀な」動作で縦揺れをしてみせた。あまり抑揚のない踊り方で、例えるなら「娘の引率でライブに連れてこられたお母さん」。お世辞にもかっこいとはいえないが、リズムが大きくはずれているわけでもなく、奇異には映らない。

 さらにララは、聡美の紹介で、コミュニケーション能力をあげるセッションにも参加していることを明かす。

「コミュ力増強のために、『コミュニケーション講座』のカウンセラーさんとのセッションもやっているんです。サリーちゃんの中学の友達だから藤子さんも知り合いかな? 心理士の鈴木久美子さん」

「知っているはずだよ。あたしと聡美は同じクラスだったけど、藤子は小学校時代のミニバスが同じかな」

 藤子は、中学時代は小柄なバスケ少女で、ナイフのようなヤンキー美少女だったが、現在では身も心も「丸く」なった同級生の顔を思い浮かべた。

「ダンスもコミュニケーションも初級編としては、一定のリズムを覚えたら、嗜む程度なら適当でいいんですね。まぁ、達人にはなれないけど、困ることもない、って低いレベルの話だけど」

 ララは、相槌の練習をするように、目を見開いて口角を上げ、おおげさにうなずいてみせた。

「無理に『よく喋るおもしろい人』にならなくてもいい。ほどよく相槌を打ってニコニコしていれば、邪魔にはならないんですね。女同士の会話でも『合コンさしすせそ』とか使って、受け流す。『さすが、知らなかった、すごい、せやな、それな』ってやつ」

 合コンさしすせそ、は、女性が合コンで繰り出すとモテると言われている相槌のことだが、確か『せ』は「センスいい」、『そ』は「そうなんだ」だった気がするが……。

「なるほどね。確かに、今までのララの場合は、おとなしいのに、喋れるモードのときは自分の話をまくし立てちゃうところもあったね。仲良くなるまでは、適当に相槌を打って、ニコニコ聞き役に回っていたほうが、印象がいいかもね」

 ララは、「それなんですよ。治さなきゃ」と反省の言葉を口にする。
「私が若い頃は、『天然ボケ』っていう言葉が流行ったんだけど、そんな感じで、おっとりしたキャラでいくの、いいんじゃない?」

 ララは、「天然ボケ、知ってるよ」と得意げな顔をして、そんな瞬間の表情を藤子が撮影した。

「よし、今回の撮れ高はオッケーかな? これ、うちのモデル事務所に送ってみるね」

 モニターでララの顔写真を確認する藤子。サリーンが「やった」と手を叩く。

 事実ララはきれいになったし、コミュニケーション能力も、ポーズを取るためのリズム感も、上手とは言えないが底上げはできている。今の段階でも、コマーシャルオーディションくらいは受けられるのでは? と思い、事務所の社長に写真を見せてみることにした。アップショットと顔写真をチェックしていると、

「今の体重でモデル、いけるんですか? 多様性の時代ですな」

 ララが他人事のような感想を漏らした。
 

ララ、ダイエット停滞期を迎える


 

「サリーちゃん、やっちゃいました」

 とララから電話があったのは、一七一センチ、六十キロと「モデル体型ではないがすっきり健康体重」まで順調に痩せた頃。彼女は俗に言う「体重が落ちない停滞期」を迎えていた。

「やっちゃったって、何がよ」

「ピザポテト、二袋とハーゲンダッツ二つ食べたら、翌朝二キロ太りました」

 悪いとは思ったが、サリーンは電話越しに笑ってしまった。

「あらら。涼子さんには言った?」

「はい。言いました。『あるある。あたしなんてそこで吐いて過食になったんだから。吐かなきゃいいよ。ピザポテトとアイスに感謝して、大事に栄養にしないさい。正直に報告して偉い。引き続き仕切り直していこう』だって」

 「ピザポテトを二袋食べて吐く」というパワーワードは、かつてモデルだったサリーンにとってよく見聞きする「身近な地獄」だったので、実感を込めて「ほんと、吐かなきゃいいよ」と重ねて言う。

 過食嘔吐とは、「痩せたくて吐く癖がつく」という生易しいものではなく、いつの間にか「吐くことに快感を覚える脳に改造されてしまう」危険を孕んでいるのだ。

「でもうち、停滞期が辛くて、こんなに減らないのならまた『やる気スイッチ』が壊れて、いろいろ食べちゃいそう」

 ララは、意気消沈したように声を落とす。

 涼子曰く、糖質制限に体が慣れたことで、より少ないエネルギーでも活動できるように体が適応してしまうので、停滞期は来るのは「ごく自然なこと」だという。

 諦めずに続けていればまた減り始めるものだが、ララは自信がないようだ。
 「うち、すぐに結果が出ないのに続けるの、苦手なんですよ。誰でもそうだろうけど、特性的にすごく苦手。このままだと、過食に逃げる心配すらある」

 脳の報酬系が刺激されないとやる気が出ないんだな、と予測したサリーンは「十四歳でそれが分かっているだけすごいと思う」と、ほどよく「褒め」を挟む。

「だから、ネットで見たファスティングをやりたい、って涼子さんに言ったんですけど。涼子さんは、ママかサリーンちゃんの協力があれば、十六時間の野菜スープファスティングならいいよ、って」

 ファンスティングとは、一定期間断食を行うダイエット方法で、停滞期の体に刺激を与える意味で行われる方法だ。

 固形物を食べないものも知られているが、ララがティーンエイジャーとい
うことで、今回は休みの日に「十六時間だけ野菜スープと水分のみ」という方法で体に揺さぶりをかけるらしい。

「なんか、ママが張り切ってトマトベースの野菜スープ作り始めた。涼子さんいわくホルモンバランスを整えるのにも有効みたいで」

 当該のスープは、「キャベツ、にんじん、玉ねぎ、ピーマン 、セロリ、トマト、にんにく、ホールトマト」を水とコンソメで煮込んで、オリーブオイルと塩で味を整えるシンプルなものだ。

 ホルモンバランス、と聞いて、目下プレ更年期で「揺らぎ世代」真っ最中のサリーンのやる気スイッチも刺激された。

 十六時間か……。

「私もやりたい。ララ、あんた、ロングスリーパー?」

「ええ。寝ていいと言われたら昼間で寝ます」

「私もだよ、若い頃は休みの日に『笑っていいとも』の音楽とともに起きていた。十六時間なんて、六時に夕飯食べて昼まで寝てれば余裕じゃない。よし、連休泊まりに来なよ。一緒にスープファスティングをやろう」

 ララが「『笑っていいとも』とは?」と呟いたのを無視して、サリーンはアイパッドで「ファスティングトマトスープの効能」を検索しはじめた。

「それなら、よかったらうちに泊まりに来てください。母と弟がおばあちゃんちに行くので、父と二人きりなんですが、出ていけと行ったら喜んで飲みに行きますよ。なんなら軽井沢の別荘にゴルフに行くかも」

 サリーンは実兄のカルロスがいそいそとオールナイトで遊びに出かける姿を生々しく想像し、「でしょうね」と呟いた。
 

 
 そもそも、食事をせずに昼間まで寝ているのは健康的なのか、というララの疑問に答えて、涼子は、

「駄目ということはないけど、十二時はやりすぎ。早起きは三文の徳っていうしね」
 そう言いながら、朝ごはんの変わりに飲んでいいバターコーヒーのレシピを送ってくれた。

 バターコーヒーは、バターとMCTオイルを混ぜたコーヒーで、十グラムのグラスフェッドバターと大さじのMCTオイルを混ぜるだけで完成する。

 叔母と姪の「お泊り祭り」が開催された連休初日、予想通りカルロスは「ガールズナイト楽しんでな」とウインクしながら、ウキウキと軽井沢の別荘に出かけていった。

 サリーンは、

「我が兄ながら、分かりやすすぎるだろ、あの男」

 と脱力し、ララにポンと肩を叩かれた。
 
 十八時に百合の作ったトマトスープを飲み、雑穀米ご飯と、手羽先と味噌汁とサラダとゆで卵を食べたサリーンとララは、近所のスーパー銭湯に行ってホカホカになった後、サブスクで海外ドラマを流しながらカモミールティーを飲んだ。

 トマトをはじめとする野菜を細かくして、にんにくと生姜を加えてトマト缶と水で見込み、コンソメと塩で味付けしただけのスープは、涼子曰く、知人の消化器内科の医師も食べているという健康食らしい。

 「夜にどうしてもお腹がすいたらスープなら飲んで良い」と言われていたが、ケチャップは好きだがトマトを好まないサリーンとララにとって、正直、それほど食欲をそそる味・香りではなかった。

 それゆえに、涼子に許可されたコーヒー、無糖炭酸水だけで、さほど苦労せず海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』に集中することができた。
 ドラマの内容が、「おもしろいけど残虐シーンも多分に含んでいる」ことも、食欲減退に一役買った気がする。

 シーズン一の半分ほど視聴したあたりで軽い眠気を感じたので、夜十時頃に眠りを誘う目的で、アロマオイルを垂らした風呂に入り、お喋りをしながら床についた。

 ララとサリーンは、二人揃って寝起きが悪い。

 とりわけララはそれがADHDの症状なのか、「朝は吐きそうなくらい眠い」ことに悩んでおり、朝食抜きなどむしろ願ったり叶ったりだ。学校がある日は、朝食を抜いたことで昼前に空腹に苦しむことになるので、バナナと牛乳を流し込んではいるが……。

 しかしこの日は、「半分しか開いていない目」をこすり、バターコーヒーをすすって朝の情報番組を流しているだけで、あっという間に十六時間後の十二時がやってきた。

「回復食は、野菜スープと、ゆで卵と、ツナサラダね。欲しかったら玄米パンも食べていいよ」

 サリーンに昼食を用意されたララは、

「嘘、あんまり好きじゃない野菜スープがけっこう美味しく感じる」

 と目を輝かせた。

 スマホからは、ラインを知らせるアラートが鳴り、開いてみると涼子からだった。

「どう?」

 とだけ書かれたタイミラインに、ララは「大成功」というスタンプを返信する。涼子からは、

「それはよかった。メリハリが大事だから夕飯は野菜だけじゃなく、お肉か魚もしっかり食べてね。ご飯も少しならいいよ。午後はお散歩でもなんでも、体を動かすといいと思う」

 というアドバイスが届いた。

「ご飯もいいなら、白米炊いとく?」

 サリーンに聞かれ、ララは首を振る。

「ママから聞いているかわからないけど、ウチ、元々、豆腐とか白飯とか『白くて味の薄いもの』を、残しがちなんですよ。ふりかけモリモリとか醤油ガッツリとか味が濃ければ食べるけど。なので、玄米や高野豆腐のほうが元々好き」

 パウチの「雑穀米」を取り出して、レンジを指す。

「へー、ダイエット向きだ。人それぞれだね、私は白いご飯大好きだけど」

「でもラーメンとかパスタは好きなんですよね」

 そんな会話をしながら、初日のファスティングはあっさり過ぎ去った。
 蓋を開けてみれば、十六時間の間には、せっかく作った野菜スープすら、軽い一食分程度にしか口にしなかった。

「中学女子にはあまり無理をさせたくない」という気遣いに反して、ララの食欲より睡眠欲が勝ったせいで、はからずも正統派のファスティングに近いやり方になったようだ。

「寝ぼすけファスティング」

と、

「やりすぎでなければお菓子オーケーのチートデー」

 を、二週に一回程度挟んだおかげで、スルリと停滞期から抜け出して、ララの体重はまた減り始めた。
 

ダンスの回路、つながる


 
「回路がつながったぞー」

 電気工事士のような雄叫びをあげて、ララとサリーンが、藤子の部屋に飛び込んできたのは、それからさらに二ヶ月後のことだった。

 話の方向性が見えない藤子をよそに、今回の「ララ改造計画」のプロデューサー的存在の聡美が、重々しくうなずく。聡美は事前に彼らの話を聞いていたのか、訳知り顔だ。

「えーと……。どういうこと?」

「百聞は一見に如かず。藤子にそなたの舞を見せてみよ、ララよ」

 ダンス講師サリーンは、バッグからアイフォンを取り出しスピーカーに接続し、トーンズアンドアイの『ダンス・モンキー』を流す。

 三人の中年アベンジャーズは、しめしあわせたように無言でササッ、と後退りし、美少女のためにスペースをあける。

 鍵盤を叩くようなイントロが流れ出すと、ララは伸び伸びした動作で体を揺らし、手足を大きく振る。

 藤子が、感心したようにポカンと口を開ける。これは、ダンスが必修科目となった最近の若者の中でも、上手に踊れているほうなんじゃ、ないだろうか。

 主に腰や肩の動きが柔らかくなった。フリが正確な上に、時折、音楽を吸収しながら、楽しむように緩急を入れて踊る姿は、平均的なキッズダンサーといった風情だ。

 プロになれるほどうまいとは思えないし、「美形フィルター」がかかった上での評価ではあるが、素直にかっこいいと思える。たまに軸がぶれることはあるが、何より、本人の表情が楽しそうなのだ。

「はーい、オッケー。イケてるイケてる」

 と、サリーンがパンパンと手を叩く。動きを止めて微笑むララの顔は、見違えるほどシャープになっていた。


「もう『ほぼモデル』といってもいい仕上がりだね」

「ウチを『ほぼカニ』みたいに言わないでよ」

「ちょっとララ、一体どうやったわけ? 急にうまくなったじゃない」

 藤子が感心しながら肩を叩くと、当の本人は、「わからない」と首をかしげる。

「何回も何回も、やっていたら、ある日、ウチにはないと思っていたダンスの回路が急に繋がったみたい。この曲が聞こえたら、何も考えなくても体が勝手に動くようになった」

 ダンス講師のサリーンが「つながったかー」と目頭を抑える。

「そこまでくると、基本はもうオートマで動くから、余裕がでてきて、ダンスYouTuberとかのかっこいい遊びの部分とか、真似してみたくなるんだよね」

 聡美は、「そういうもんかもね」、と頷き、

「そういえば留学中、ある日いきなりテレビから流れる英語の意味が分かるようになったなぁ」

 と回想を挟む。

「その日まで、学校では飛び飛びの英単語を聞き取るのが精いっぱいで……。でもそこからいきなり流れるように聞き取れるようになって友達ができて、スラングとか使ってジョークが言えるようになった。あんな感じかもね」

 ララは動きの変化を「オートマ」と表現したが、むしろ、普通の中学生ダンサーがオートマ車なら、彼女はマニュアル車なのかもしれない。

 簡単に運転できる機能は搭載されていないが、試行錯誤して操り方を体に覚えさせれば、もう忘れることはない。アレンジも入れながら微調整したり工夫も加え、踊る楽しさも、格別なものになるだろう。

 藤子は、さほど広くない廊下を三歩下がって、ララの全身を俯瞰で見る。これは、すごく、いいかもしれない。ライターではなくモデル事務所のスタッフとして、武者震いのような痺れが背骨をくすぐる。

 いささか猫背なのが気になるといえば気になるが、ショートニットとスウェットパンツでへそをチラリと露出して水を飲んでいる彼女は、美少年オーラに満ちており、おばさんファンに囲まれた韓流スターのような爽やかさだ。

 まだ少し二の腕は健康的だがスレンダーで、シンデレラ体重とはいわないまでも、美容体重には達しているのではないだろうか。

「サリーン、これは、いけそうじゃない? モデル的に」
 
藤子がサリーンに目配せすると、サリーンもごくりとつばを飲んでうなずく。モデル業界にうとい聡美は、

「モデルとダンス、なんか関係あるの?」

 首をかしげた。

「ファッション雑誌でポーズをとるって、半分踊っているようなものだからね。特に、顔だけの美容モデルじゃなくて服を見せるファッション撮影の場合は、リズムよく上半身だけ撚るとか、脚を交互に出すとかね」

 元赤文字系カリスマモデルのサリーンが、ひらりと一回転しながら説明する。

「野外の撮影はそうでもないけど、スタジオなら音楽をかけて盛り上げていくこともあるから」

「これは、オーディションいれていきましょうかねぇ」

 藤子が、スマホを握ってそうつぶやいたまさにそのタイミングで、ライン着信のアラートが震える。

 画面には、有名イラストレーターに描いてもらったという、モデル事務所の社長のアイコンが点滅している。

「こちらのオーディション、ララちゃん、いかがでしょうか。もし競合などなければ、叔母のサリーさんもいかがですか? 」
『G社タブレットのCMです。監督は、映画も撮っている・ジョナサン・G・ブラウン。ハーフのティーンとその母親(リアル親子歓迎)。留学中の娘が卒業パーティーのドレスをオンラインで母親に見せて踊っていると、彼氏が入ってくるという内容。映画のワンシーンのようなイメージ。オール媒体 競合 パソコン・タブレット オーディション十月六日 麻布十番 第七山川スタジオ 撮影日 十一月三〇日』
「ペアオーディションが難しい場合は、女の子単独も可です。ただ女の子だけだと金額もグッとタイトになります。サリーさん、なんとかなりませんかねえ」

 藤子は思わずサリーンの肩を掴んで、興奮気味にラインの画面を指差す。

「サリーン、あんた、今モデルやってないっていったよね。うちの事務所から出られる? 競合とかない?」

 元カリスマモデルのサリーは、目を細めてややスマホを遠くに離し文章を熟読すると、昔とった杵柄で瞬時に内容を理解する。

「田舎のダンス講師に競合なんて、ないけど、CMオーディションってあたしブランク何年だよ? 二十年? オーデとか、私の初陣は下手すると四世紀半前だよ」

「姪のためだ! いける! あんた、腐っても『ビバ』専属モデルのサリーだろー」

 藤子にあおられて、サリーンがゴクリと息を飲み、無言で親指をたてる。

 そうだった、いつの間にかすっかり忘れていた。若者の運命が動く時は、こんな風に、嘘みたいにトントン拍子にことが流れるものだった。懐かしく甘酸っぱい感傷に浸る藤子の傍らで、中学教師・聡美が、

「初陣は四世紀半前って、武士なの? 四半世紀だろ四半世紀」

 と、冷静に訂正していた。

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