【児童精神科エッセイ】日韓交流 子どもからみる心のバリアフリー
私は児童精神科医です。さらに父親として、子どもと関わっています。例えば教育相談。児童や養育者からの相談を受けたり、教育現場における指導をしたりしていますし、児童の保護者としての立場からも、教育現場を見ております。
最近は日本への海外からの移住者も増えており、地域によってなのかもしれませんが、公立校だったとしても、多国籍学級になっているクラスも増えてきているようです。あの子は、どこの国の出身、あの子はどこの国の出身。と、好奇な目で日本人以外の子たちを、子どもたちも見てしまう傾向があります。
我々日本人は、他の国とは違い島国ということもあって、他の国の人との交流は、大陸続きで他の国がある人たちと比べると、どうしても「日本人以外の人」という目で見てしまいがちです。それは、大人であっても、子どもであっても同じことです。日本人か、日本人以外かというだけではなく、地域コミュニティー意識も強いため、「隣の県から引っ越してきた人」というだけでも好奇な目で見ますし、都会から田舎に引っ越してきた、田舎から都会に引っ越してきたというだけで、イジメの対象になることもあります。そんな中で、海外の子がいれば、たとえ同じ地域で育っていたとしても、「日本人じゃない子」として見られ、差別や偏見、さらにはイジメに繋がっていくことは安易に予想できるのではないでしょうか。
とくに、大人が特定の国に対して偏見を持っていれば、親の背を見て育つ子どもたちが同じように偏見の目を持って、同級生である海外の子を見てしまうようになります。韓国の人たちに対しても同じことが言えます。歴史的背景や政治的視線であれば、多少思うところはあるかもしれません。ですがそれは、一般市民同士では関係のないことです。韓国の人であろうが、日本の人であろうが、区別する理由はどこにあるのでしょうか? たしかにお国柄の性格や習性はあります。でもそこは「違うから変」「違うから受け入れない」ではなく、韓国ではどうなんだろう? 日本ではどうなんだろう? とお互いに議論し合うことで、双方が国や人を尊重することが大事だと思っています。これこそが、心のバリアフリーの本質です。
そういった考え方が、大人社会に発展すれば、真の韓日交流になるのではないかと、私は考えています。