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うつではなく双極症では?と気付けた理由

おはようございます。
久しぶりの記事になります、onemuです。

さて、今回は題名の通りわたしがなぜうつではない、双極っぽいと気付いて診断に辿り着けたのか、について書きます。
"双極症患者は病識を持ちづらい"ということはなぜなのか。そのあたりもおそらく伝わるかと思います。


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わたしとうつ状態とは長い付き合いになります。初めて寝たきりで引きこもりになり、身体が動かなくなったのは17歳の冬でした。今から7年ほど前のことです。
そこで睡眠障害を疑ったものの、睡眠外来に行くと単なる睡眠リズムの乱れだと一蹴されました。

それでも、確かにあるこの異常な眠気はなんなのか。それを調べていくうちに出てきたのがADHDというワードだったのです。心療内科に行き主治医と過去のエピソードなどを話すとわかりやすいADHDとのことでその場でほぼ確定だと言われました。知能検査なども受けた結果、服薬が必要だと判断されたことでわたしの人生は狂わされることになります。

最初にADHD対策として出されたストラテラが効かず、抗うつ薬のジェイゾロフトも効いている気がせず、副作用ばかりが目立って苦しみ、なんだかなあという治療の日々。
あまりに効果を感じられないストラテラの代わりにコンサータを出されてから、はっきりと服薬していない状態での自分の出来なさを自覚することになります。コンサータで半日は無敵状態になれると知ってから気分も上がり、やっと元の自分に戻れたと思っていました。

でも冷静になった今考えると"躁状態になっていただけ"だったのです。薬漬けの頭でもなんとか大学受験をこなし、合格をもらったことで気持ちが大きくなった18のわたしは、進学に必要なお金を用意するためにアルバイトをしようと思い立ちます。少し前まで引きこもりだった寝たきりのわたしが、自転車で40分もかけて飲食店に出向き、「短い間ですが働きたいんです!!」とハキハキ元気に喋っていたのです。
ちなみに面接は全て落ちました。あまりにハイテンションなので不気味だったのかもしれません。しかも、大学進学に伴って家を出るときに躁状態で気分が良かったからか、父と母(毒母)に宛てて手紙も書いていました。感謝だけでなく就職したらフランス(毒母が好きなのです)へ旅行に連れて行くなど、現実味のないことばかり書いた記憶があります。これで最後の親孝行だし、と思っていた気もします。毒母から離れられることが嬉しくて仕方ありませんでした。

*余談ですがわたしは30まで生きたら死のうと漠然と思っていました。これは小さい頃から死にたかったこと、人生の楽しいところは大体それくらいまでに味わっておけるんじゃないかと思ったからです。


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そして、24才の現在。抗うつ薬は副作用ばかりがしんどく、副作用が少ないことが理由でトリンテリックスを飲むも効果はあまり感じられずなんとなく処方され続けているだけ。
仕事を辞める他なくなり、体力も落ちて引きこもりかつ寝たきりだったのに。コンサータとトリンテリックスと日照量増加に伴う躁の波が来たのです。とても元気になり、ネットでもリアルでも高額な買い物を止められず、過活動で夜更かしや徹夜もできる、急に思い立ったら止められない、人と関わることを過剰に求めすぎる。
あ、あの時とまったく同じだと思いました。


また、わたしには趣味を通して仲良くなった双極Ⅱ型(最初は波が相当激しくⅠ型と診断されていたらしい)の友人がおり、東京に弾丸へ会いに行ったときも「onemuちゃんまさかと思うんだけど躁になってるとかじゃないよね?無理してない?」と聞かれていたのです。「なるほどな、まぁでもわたしはうつだしな、関係ないよね?」くらいに聞いていました。

でも、家にいても落ち着かなくて、
隣県のライブまでいきなり飛んでいって、
1人カラオケで一晩中歌い続けている自分を
客観的に見たらあまりにおかしくないか??
と思ったのです。

その友人に「わたしやばい、躁な気がする」とLINEを入れると、状況を知った友人が焦った様子で「onemuちゃん、今すぐお医者さんに行きましょう。躁のあとはでっかい鬱がきます、その前に」と説得されました。ここでやっと、わたしはおかしいことしてるんだと気付くのです。

また、ありがたいことにここの記事を通して、主治医に伝えたいことを資料にして持って行くという方法を教えてもらったばかりでした。
メンタルに不調をきたしはじめた17,8の頃から現在までのここ7年間にやらかした出来事を包み隠さず書きました。思い出せるもの、記録に残っているもの全てかき集めてまとめ、プリントアウトして持参しました。先生はそれを見て、基本躁っぽい感じなのね、とつぶやきながら読み、ひどいエピソードに差し掛かるとひどく驚いたような顔で読み込んでくれました。診察室ではぐったりしていることが多かったけれど、その同時期に過活動でもあったのでびっくりしたと思います。そりゃ双極は見つけづらいよなぁと思います。誰も好き好んでやらかした話を先生にしませんから。ずっと言い出せずにいたのですがかなり奇想天外な7年間でした。

この2つの奇跡があってはじめて、双極っぽいというわたしの訴えに取り合ってもらえたのです。

処方してもらったリチウムを飲んでから、ネットでポチポチものを買ってしまうのがぴたりと落ち着きました。出かけるよりもほぼ家で休んでいます。
うつに戻ってしまった感じと自分では思いますが、きっと周りから見れば躁が落ち着いただけなのでしょう。リチウムは不思議な薬です。死にたさや憂鬱さも抑えられている気がして、今まで体験したことがないくらい効いている感覚があるんです。効くということは双極なのでしょう。

次の診察は火曜日、明日の予定です。
そこで双極だと告げられるのだと思いますが、診察が終わったら結果もお知らせします。

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