ウサギとカメ。「賢いこと」とは?
最近の「賢い」こととは昔の意味とはだいぶ変わってきている。
なにが本当に賢いことで、立派なことで、利口なことなのだろうか。
賢いとは、正しいことじゃないだろうか。
今風に言えば「コスパがいい」ことにもなるのだろうか?
しかし、コスパが良いことにもいろいろある。
いいことはもちろんコスパがいいに入るが、悪いこと、ネガティブなこともコスパに入る。
たとえば、ウサギがカメを見くびって居眠りしたにもかかわらずカメに勝ってしまったら。それは正しいとは言えなくなる。
だからコスパがいいという言い方はできない。
しかし、ここ最近コスパのいいウサギが正しいと思う人が増えているように思う。
それはどうしてだろうか?
昔、賢いとは正義。
悪は愚かだった。
「愚か」は悪まではいかないが、「愚か」は愚かさゆえに悪を行ってしまう。
たとえ知らずにやったとしても、愚かさから出た悪も悪で、その悪を行ったものも悪となってしまう。
なぜ愚かさが悪なのか。
それは自分を失っているからだ。
そこには本来の自分はない。
本来の自分を失えば、不安しか残らない。
自分に対する信頼も失われる。
そのうちなにをするにも不安で不安でしょうがなくなる。
そして引きずられるように安心感を求めて他人に従ってしまう。
不安は自分を見失っている証拠。
善とは自分を信じられる心。
自分をどこまでも信じられる行いを重ねていけば愚かさから脱皮できるだろう。
自分を信じることを人生の中で発見するんだ。
人生は自分が主役。
だからこそ悪役にはなりたくないだろ。
他の誰よりも。
人生のわき役になりたくないだろ?
他の誰よりも。
自分を信じられる行動を重ねていけば、慈愛の手が伸びてくるはずだ。
スポットライトに照らされた人生のステージに立つ
あなたに。
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