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生きていて、よかった

家族経営だった小さい会社が壊れかけたとき、
その家族も当然ながら壊れていく。
その最中にいた私自身も亀裂の入ったボロボロの崖に片手でぶら下がっている状態だった。

いっそのこと、手を離して、落ちていった方がずっと楽かもしれない・・と思っては、悔しさと恨みの力で何とか持ちこたえていた。

そこには感謝や愛はない。

あるきっかけでお祓いにいったほうがいいのではと親戚から助言をもらった。会社経営をしていた祖父には内緒にしてお祓いしてもらうことにした。なぜなら祖父はそういった宗教じみたものを嫌っていた。

なかなか予約がとれないという、そこは大きな鳥居に普通の一軒家が佇んでる。呼び鈴を鳴らすと、浅葱色の袴を着た優しそうな女性がむかえてくれた。歳は当時三十台半ばくらいだろうか。

六畳くらいの和室に大きな神棚があり、そこに座ると、その女性が見えたものを次々と言うので、必死にメモをする。殆どなんのことかわからないながらも、そんな時間がしばらく続いた。

守護霊さまか、ご先祖さまなのか、聞いた言葉をそのまま言葉にしているような感じだった・・・と、今なら素直に思えるが、その時は少しの猜疑心と、今の状況を変えなければという思いの方が強かった。

その女性の言葉を聞いていると、数年前に自身の商売が上手くいかず自死した親戚のおじさんが出てきた。生前、うちの会社の経理も少し手伝っており、とても頭脳明瞭な方だったので、無意識に私はそのおじさんがいてくれたら今の状況から抜け出せたかもしれない、と思った。しかしそんなどうにもならない甘えた気持ちが、状況を悪くしていたようだ。

あんなに良い人だったのに、自分で命を絶ってしまうと、呪いのような念になるのか、とガッカリもしたが、おじさんの霊は当時付き合っていた主人の首を縄で締めているという。同棲していたアパートは築五十年の古い建物だったのであまり気にしていなかったが、彼の座っている壁からいつもギリギリと縄で締めるような音が気になっていたのは事実だった。

祝詞と般若心経が印刷された紙をいただき、近所の川に流すお祓いのやり方を教えてもらう。
はじめての体験でへとへとになりながらも、帰宅すると、主人が急に体が急に軽くなったんだよね、と教えてくれた。心配するのでお祓いに行くことは伝えてなかったので本当に驚いた。

実家に掛け軸と短刀と能面があるから祀ったほうがいいときいてきたのだが、みたこともきいたこともなかった。半信半疑で祖父に事情を打ち明けて尋ねると、とても驚きながら、押し入れからそれらを出してきた。

神様事はとバカにしていた祖父もさすがに信じてくれたようだ。掛け軸は表装し、短刀と能面も床の間に祀った。亡くなった祖母の親が宮大工だったので、お寺や神社でいただいてきたものらしい。祖母が元気な頃はなにかあると祀っていたらしいが、長い間、忘れ去られたものたちだった。

掛け軸には大きな龍が描かれており、少し怖いくらいの迫力だが、現在も実家の床の間でみんなを守ってくれている。この出来事は目に見えないものを大切にしなければならないと気が付かされた人生の大きなターニングポイントとなっている。

今ここにいること、生かされていること、
愛にあふれていることに感謝して今日も手を合わせる。生きていて、よかった。

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