見出し画像

ロシア人のアーティスト父子の展示"Piazza senza nome(訳: 無名広場)"を鑑賞する

先日、閉鎖から2年ぶりに場所を変えて生まれ変わったというギャラリーを訪れた。大元のギャラリーには、恐らく行ったことはないと思う(私には人名や地名、固有名詞等を忘れる兆候が26歳からあり、当時は老化の始まりだったのかもしれないが、今や完全に老化の一環で、忘れたら最後、思い出せないのだ)が、場所も完全に辺境に移ったため、たとえ行ったことがあったとしても、完全に新しいギャラリーとして見ていたと思う。
さて、新生のギャラリーの初の展示は、AlexanderSasha Brodskyというロシア人の父子アーティストの"Piazza senza nome(訳: 無名広場)"という作品である。

展示は、大きな土のインスタレーションと、恐らくは主には息子の作品だと思われる版画が数点、やや広めの一室に配置されていた。

下が展示会の説明である。

この展覧会では、インスタレーションの壁面にデザインされた窓からしかアクセスできない、巨大な生の土のインスタレーションが展示される。このさびれた広場の中心には、3つのオベリスクが1つずつ並んでいる。ドローイングや彫刻が添えられたこの作品は、一見集団的に見える都市状況における個人の孤独について考察している。そのアイデアは、マトリョーシカ建築を復元するというもので、想像上の都市の空間がインスタレーションの空間の中にあり、それがまた土台の空間の中にあるという、めくるめく視点の戯れへと滲んでいく。

展示会案内を意訳

アーティストについても、私同様、ご存知のない方が殆どだと思われるので、Bioを載せておこう。

Alexander Brodsky(1955年-)
長くペーパー・アーキテクトとして活動したロシア人建築家。モスクワ生まれ。ユダヤ系ロシア人で、エッチングで提案するのを得意とする。
1978年にモスクワ建築大学(ロシア語版、英語版)を卒業。
同級生のIlia Utkinと共に、「WanderingTurtle」「あるガラスの塔」などの幻想的な作品を発表し、1980年代には数多くの国際建築設計競技に入賞、ペーパー・アーキテクトとしては世界的に知名度は高い。

Sasha Brodsky(1995年-)
モスクワ生まれのビジュアルアーティスト、版画家、ミュージシャン、New York在住、ブルックリンで活躍。
彼の作品の特徴は、生活を取り囲み形づくる建築物とは切っても切り離せない、しばしば孤独で複雑な人物を中心に想像し取り込んでいることである。

Wikipediaと展示会案内を参照・抜粋・意訳

SashaのHPとインスタがあるので、リンクを貼っておこう。

それでは、作品の紹介へと移ろう。
メインの作品を最初に見せるか、最後に見せるか、非常に悩ましいところではあるが、やっぱり、伝わってくること、感じることが無数にあるので最後にし、ささっとSashaの作品を紹介してしまおうと思う。

作品①
作品②
作品③
暴風雨の中、天井がガラス張りの美術館か何かを模写したのかな、と。
一番親しみやすさを感じる作品でした。
作品④
作品⑤
これのみ紙ではなく生地にプリントされた作品、かつオベリスクが描かれていて、土の中のインスタレーションのモデルになった、もしくはその逆なのかな、と。


さて、お待ちかね(でしたよね??)のメインの土のインスタレーションへ移ろう。
一見すると、砂漠に投げ捨てられて時間が経ち干からびた棺っぽい感じがするが、よく見るとひび割れのところどころに歪な穴が開いている。穴は、側面の四方全てに1個から3,4個開いており、興味本位で全て覗いてみたが(鑑賞者は私一人だったので、自由にじっくり20分以上かけて覗いてみた…笑)、この後方の穴が一番大きくて覗きやすく、ちょっとした角度によってはオベリスクが全て見えるので、写真はこの穴から全て撮った。加えて、意図的なのか、最終的に作り直したのかは定かではないが、側面の一部の土が生乾きのようで(写真内の右側の中央上部)、色が違っていたのも印象的だった。

かなり高さがあるので、2メートル以上の身長がないと、上部から覗くことはできないと思う

このように、外から見ると非常に無機質な物体だが、近くに寄ると、土の壁と壁の間に目の粗い緑色の針金の網が配されていて、「おっ、ここにもグリーンボーダーが?!」と一瞬思わされた。

それでは実際に穴から中を覗いてみよう。
他の穴からだと、オベリスクの一部もしくは噴水しか見えず、夥しい人間を釘で表現しているのはよく見えたが、全景が殆ど見えなかった。

どうですか?ハッとさせられる、というか、圧倒されるなにかがありますよね?
右目から左目に移して見てみると、見える風景もがらりと変わる気がします。
上の写真では、砂漠、戦争、荒廃を感じさせられましたが、こちらの写真では18~19世紀の広場という感じ。
空をもう少し見えるように写してみると、心なしかより平和な感じに見える。
オベリスクの右側を隠し、壁を少し強調してみる。
こうすると獅子に見つめられる格好になる。
フェイドアウト①
フェイドアウト②

たった一つの穴から覗いただけでも、角度を変えたり、光の加減で随分違った表情を見せる作品だと思わされた。

ちなみに、オベリスクがある国・町が世界にいくつあるのかと、断片ではなく碑のかたちを残して3つある町・場所が存在するのかを調べてみたところ、どうやら、エジプトのカルナック神殿とローマのみ、碑のかたちをしたものが3本かそれ以上存在し、それ以外の国・都市では2本以下、もしくは断片のみの残存であることがわかった。


※下のサイトが詳しいので、興味のある方はご参照ください。


土のインスタレーションの外観は、カルナック神殿の外壁に近いように見えるが、エジプトのオベリスクの近くに配されているのは大概スフィンクスで獅子ではないので、総括すると、やはりこの世には存在しない、アーティストの想像上の都市が展開されているようだ。
また、「舞台は都会、名もない大きな広場に、3本の背の高いオベリスクが並んで立っている。周囲には人だかりができ、集団の中での孤独について考えさせられる」という説明があるため、個人的には、砂漠の要素が少しあるように見える瞬間があったが、アーティストの意図はそうではないらしい。

ある程度大きな都市に住まわれている方、住んだことのある方なら誰しもが一度は感じたことのある、雑踏の中の「孤独」。今この瞬間にも全世界に無数いる孤独を感じている人々の、見えない思い、聞こえない声を、土壁に囲まれた特定不可能な広場の上に表現したのが、今回の作品、ということなのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?