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RoubaixのLa Piscine(ラ・ピシーヌ美術館)を訪れる-その② 特別展 シャガール-

RoubaixのLa Piscineの常設展の記事で、シャガールの特別展「LE CRI DE LIBERTÉ. CHAGALL POLITIQUE」は別枠で紹介する旨述べた。

正直、この展示を見るまで、シャガールの作風にはあまり興味がなかったが、時代背景と併せて鑑賞すると非常に興味深かったので(恐らく、この展示に携わった学芸員が敏腕だったのだと思う。凄く魅力的な展示だったから)、私のように食わず嫌いの人のために紹介できればと思う。


LE CRI DE LIBERTÉ=自由への叫び

※今回の展示"LE CRI DE LIBERTÉ"についての説明

入り口の説明

マルク・シャガールは、二度の戦争と流浪に彩られた生涯の中で、20世紀の歴史にしっかりと根ざした作品群を生み出した。ロシアでの幼少期からフランス、ドイツ、アメリカ、メキシコを経て地中海に落ち着くまで、シャガールはこの世紀の混乱の中で世界を横断した。彼の芸術は、彼のユダヤ人としてのルーツと、彼が出会ってきた文化や生きてきた経験に耳を傾けることによって育まれた深いヒューマニズムに貫かれており、人類とその権利、人間同士の平等と寛容に対する揺るぎないコミットメントのメッセンジャーである。自由を求める強い叫びを背負った彼の芸術は、ユダヤ文化に根ざした嘲笑とユーモアの絵画的語彙と組み合わされた詩的な力と想像力によって超越され、彼が戦ってきた戦争と芸術的な戦いを目に突きつける。鉛筆と筆は画家にとって平和の武器となり、この「炎の中で鍛えられた20世紀」の闘いを反映する。ドローイングとペインティングは、「時代を目撃した画家」の無条件の理想主義、人間と人間の間の調和と普遍的な平和への揺るぎない信念を明らかにし、新たな視点と歴史への対話を生み出しつつある。

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※シャガールのサイト

マルク・シャガールMarc Chagall, イディッシュ語: מאַרק שאַגאַל‎‎, 1887年7月7日 - 1985年3月28日)は、20世紀のロシア(現ベラルーシ)出身のフランスの画家。生涯、妻ベラ・ローゼンフェルトを一途に敬愛し、ベラへの愛や結婚をテーマとした作品を多く製作していることから別名「愛の画家」と呼ばれ、また華麗な色づかいから「色彩の魔術師」とも呼ばれる。
故郷ヴィテブスクは人口65000人の半分以上をユダヤ人が占めている町で、シャガール自身もユダヤ系である。

1910年パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へ戻る。この最初のパリ時代の作品にはキュビスムの影響が見られる。1915年に母が病死。同年にベラと結婚。10月革命(1917年)後のロシアでしばらく生活するが、1922年、ベルリンを経由して1923年に再びパリへ戻る。1941年、第二次世界大戦の勃発を受け、ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命。同郷人で最初の妻ベラ・ローゼンフェルトは1944年にアメリカで病死した。1947年にパリへ戻り、1050年から南仏に永住することを決意し、フランス国籍を取得。

Wikipediaより抜粋

それでは作品へ移ろう。

※作品群① サーカス、青の世界

Le Cirque(訳: サーカス) 1922/1944年
La Route à Cramberry Lake 1044-1952年頃

※作品 自画像

※作品軍② 戦争、故郷、ユダヤ

(上)La Départ pour la guerre(訳: 出征) 1914年
(下)La Fusillade(訳: 銃撃) 1914年
「町の上で、ヴィテブスク」のコレクションの一環①
「町の上で、ヴィテブスク」のコレクションの一環②
Le Buisson ardent(訳: 燃える灌木) 1965-1966年
最後の方に展示されていた作品だが、完全にユダヤのシンボル・要素満載なので、
この括りに入れてみた
トーラーを蠟燭の明かりで照らしているのか。
これも描かれている主体がユダヤなので、この括りに

※作品軍③ 初期の作品

Étude pour Purim 1916-1917年
En avant, en avant(訳: 前へ、前へ) 1918年
タイトルは忘れたが、キュビスムの影響がみられるので、この括りに入れてみた

※作品群④ ユダヤ国立室内劇場

Étude pour L'Introduction au Théâtre national juif de chambre
(訳: ユダヤ国立室内劇場の紹介) 1920年
Homme pissant(訳: 小便男) 1920年

厳選した作品、特に気に入った作品のみを紹介したが、実際にはこの5倍くらい作品があり、彫刻や、残忍なシーンを描いた作品もかなりあった。
それゆえ、私のNoteでは実際の展示の流れには沿わず、大まかにシーン別に分けてみた。

※終わりに

40代の今、かつての自分を振り返って言えることだが、正直、20代前半(つまり美術史を専攻し、日々、宗教画と向かい合っていた時代)にはこの深みが理解できなかった。その後は2,3年、酷い食中りにでもあったように暫く美術・芸術とは遠ざかっており、建築を見ることから徐々に再開し、、、と、もし仮に30歳くらいでシャガールを鑑賞しても、確実に彼の作品の良さには気づけなかったと思う。

ここ数年、シナゴーグにはまり、東欧の幾つかの国を訪れ、ユダヤの文化にも少し触れ、ミラノのユダヤのイベントにも参加して興味と知識を深めている最中、イスラエルで戦争がはじまり、暫くこの方面の趣味を封印していることを下の記事で触れた。
もし、このシャガールについての記事を気に入ってくださった方がいらっしゃれば、下の記事も併せて読んでいただければ、と思う。


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