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「宮崎駿のインタビュー集を読んで考えたこと」

 (1か月くらい前に書いた文章です)
宮崎駿のインタビュー集を読みたくなり図書館で借りて読んでいました。(宮崎駿のことはずっと思い浮かべていなかったのに突然読みたくなったのは、たぶん新しい映画が公開されるので、宮崎駿のことを考えている人がネット上にいっぱいいてそれを見たからだと思います。)

 いくつか借りてきたのですが、読んだのは、渋谷陽一がインタビュアーの以下の2冊です。(amazonのリンクの版は私が読んだ版と違っているみたいですが、まあ多分中身は一緒でしょう。)

『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』ロッキング・オン、2002年

『続・風の帰る場所 映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか』ロッキング・オン、2013年

 インタビューの渋谷陽一さんは、私にとっては、私がファンであるエレファントカシマシの宮本浩次さんをデビュー当初から見出して、エレカシが全然売れない中、激推しし続けた人です。だから、基本的には私は信頼はしていますが、思い込みの激しいすごく癖の強いインタビュアーなので、時にはそれが鼻につくこともあります。非常に読みが鋭いので、結局インタビューされた人の信頼を勝ち取っていくのですが、毎回、毎回、闘いになったり、渋谷陽一が思い込みを押し付けたり、インタビューされる人が抵抗したり、時には渋谷陽一とインタビューされる人だけが納得しあって読者が置いてけぼりになったりと、渋谷陽一のインタビューでしか見たことがない光景が展開されます。宮崎駿も例外ではなくて、最初のインタビューなんて、渋谷陽一の思い込みに対して宮崎駿ががんがん抵抗している様が見て取れて、でも次の作品になると、渋谷陽一の読みが外れていなかったということもわかり、といった、渋谷陽一節前回の、刺激的なインタビュー集でした。

 で、ここからは、私が読みながらと読んだ後に思った、本の内容とは直接関係ないことです。

・天才と天才じゃない人は100と0ぐらい違う。(たとえば、宮崎駿作品と、宮崎吾朗の『ゲド戦記』)

・私が宮本浩次と羽生結弦を好きになったのは、インタビューによるものだ。天才がどのように作品を生み出すのか、またはどのように自分自身を作っていくのか、その軌跡をたどるのが私の喜びだから。

・私が文学を知りたかったのは、天才の作品がどう生み出されていくかをたどりたかったから。

・天才について語るのは喜びだけれど、天才じゃない人について語るのは作業にしかならない。


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