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「朝鮮戦争」を読んで

興奮冷めやらない。

昨晩10時頃、読み終わった。結果、昨日は2時まで寝れなかった。
もっとも、この「朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀」を読んだ読後のせいだけではないが、それでもすごい衝撃だった。とくに、南進からの最後にいたる部分は、一気に行った。

コロナ隔離中に読もうと持ち込んだ一冊。読み始めは年明け早々ぐらいだったから、途中放り投げて、最近また読み進めていた。他にも数冊持ち込んでいるが、まさかこれが一番先とは。

「朝鮮戦争」でAmazonを検索してみると、もはや大分下の方にしか出てこない本。実際Amazonでは中古で買った。93年の初出とのことだから、月日とともに、忘れ去られる運命なのか。

骨太の物語

きっかけはある尊敬する音楽仲間のFacebookの投稿。その方が推薦されていた書籍が目に留まった。同じ萩原遼さんが書いた「朝鮮と私 旅のノート」だ。本当に素晴らしい。ジャーナリズムと人の心を、人間味あふれるお人柄が存分に出ていて、とても胸いっぱいになった。

「ノート」のほうはいわば後日談のようなものだ。そのライフワークである集大成が「朝鮮戦争」だ。北朝鮮側の文書のみで、朝鮮戦争の南進を客観的に証明したことの意義は、決して忘れ去られるものではないし、何ならもっともっと注目を浴びてもよいものだ。本当に素晴らしいことをやり遂げていらしている。その情熱、その想いの強さ、ライフワークに賭ける血を、感じる。

朝鮮戦争のこと

いろいろな思いが込み上げる。私個人の思い出。朝鮮戦争というキーワードは、我々在日コリアンには、避けて通れない。私を含め多くの在日コリアンが、自分の腹の中に納得感を決めて、収めているモノだ。その収め方に、正解はない。いろんな収め方があるだろうし、好き嫌いもあるだろう。

私の場合、小学生のときだったか、アボジ(親父)が嬉々として朝鮮戦争を語ったことを思い出す。

「朝鮮戦争はな、実はな、北から攻めてきたんや。ほとんどやられる、釜山の方まで完全にやられてたんやけど、アメリカがインチョン上陸作戦を決行してな、一気に巻き返したんや!でもな、今度は中国の100万の義勇軍が鴨緑江を渡って来たんや、、、」

私はこの最後の下りがすごく衝撃に残っている。一矢乱れぬ赤い、軍隊。鴨緑江がどれほどなのかイマイチ分かっていない小学生の私は、川をも大軍で歩いて渡ってきたイメージがすごく強い。「中国、すごい。こわい。」という感じだ。

戦争好きなアボジの趣向はともかく、そんなイメージをはじめに持って、朝鮮半島の歴史、日本との関係、在日、そして列強。多くを学んだ。古くて新しい、過去ではなく現在の話。

複雑な時代だけれど

ショウ・ザ・フラッグじゃないけれど、左とか右とか、もしくは共産党とかアメリカとか、リベラルとか保守とか、何でもいい。萩原遼は、元共産党幹部というユニークな経歴ながら、アメリカの図書館で膨大な量の資料を、もちろん韓国語や英語を駆使して読み込み、この本をつくり上げた。

その膨大で気の遠くなるような作業を、私はやることができない。その恩恵を、たった一冊の、400ページ弱の文庫本で伝えてくれる。頭が下がる。こんな素晴らしいことは、ない。本の素晴らしさ。内容の素晴らしさ。資料の読み込みの丁寧さ。何よりも、想いの尊さ。「連帯」という言葉が出てくる。政治的なワードとも取れるが、私はもっと、「寄り添う」とか、「一緒にいく」という意味を感じた。私は、このようなことをやり遂げられた萩原遼氏に、大いに感謝の念を表したい。

私は、概要的な、教養的な内容を知ることを否定しない。まずはそれが始まりだ。全てはそれがないと。Wikipediaでも何でも良い。世の中、知らないことばかりだし、どんどんと新しいものが生み出される。それに追いついて理解して消化することに、疲れている人も多いだろう。強迫観念にだけは気をつけて。

そんな時代だけれど、本質はそうじゃない。気がする。好きなもの。やりたいこと。一度、止まって、また歩き出そう。一度寝て、また起きよう。

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