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現役時代×退職後 第10回 ■時代の転換点で思うこと

 久しぶりに新宿御苑を散策した。20年前に幼い子供と戯れていたことを懐かしく思い出す。あれから随分と時は過ぎ、様々な人と出会い、多岐にわたる経験を積んだので、幾分かは成長できただろうか。それにしても、新宿御苑の自然は雄大で、不変性を感じる。

 新宿御苑には緑地が豊富にあるが、目を凝らして見ると20年前の樹形とは異なる。成長した枝、根の盛り上がり、場所によっては樹種の世代交代もある。また、木陰や木の実の変化が、生物の生息域や種類にも影響を及ぼしているだろう。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。絶え間ない自然の摂理は、神秘的である。

 私は、「都市・まちづくり」の分野で勤務している。これまでの約30年間を思い返すと、様々な出来事や社会環境の変化があり、入社当時と比較すると都市は随分と変遷した。
 また、その変容により、集う人やモノも様変わりし、さらにインパクトを受けて、再び都市を取り巻く法制度や社会システムも進化している。この円環は、どこか自然の営みとも似ている。シビルエンジニアは、都市、社会の循環の一役を担っており、そこで、私も素晴らしい人達に出会えたと感謝している。
 人も自然も進化するためには、偶然の出会いがとても大切だ。

 これまで、様々な変化があったが、最近、「標準化」から「多様性」への転換期にあるのではないか、と感じる。また、「標準化」と「多様性」の議論を聴いていると、なぜか違和感を抱くことがある。それは、「標準化」した時の動機と、その過程が喪失され、「標準化」と「多様性」の表層的な議論になり、互いに相容れないものとして認識されているからである。では、「標準化」と「多様性」は相反関係なのだろうか。

 一意見として、「多様性」が求められる背景は、改めて述べる必要もないと思うが、新しい可能性や創造性を生み出すためには大切な観点である。また、自然には、「多様性」はあるが、「標準化」はない。環境の変化に木々が適応するために、時間をかけて工夫しながら成長している。さらに、多岐にわたる樹種が混在することで、レジリエンスが保たれている。自然が持つ「多様性」はしなやかで、長い時間をかけてゆっくりと熟成している。

 一方、「標準化」は人が進化の過程で生み出した「知恵」ではないか。例えば、人類を脅かすパンデミックや紛争の危機を回避するためには、言語や法律の「標準化」は有益である。
 また、インフラ、教育、食料及びエネルギー分野においても、「標準化」は大きな役割を果たしており、短期間に立場の違う持論を収束させる手法としては、とても有効である。

 背景は異なるが、私は、「標準化」と「多様性」は相反する関係ではないと思う。
 人類には「多様性」だけでは克服できない問題があり、「標準化」することで解決を図ってきた。「標準化」と「多様性」は、両立すべき重要なインフラ思想であり、また、「標準化」に加えて、「多様性」が萌芽してきたのではなく、「多様性」から「標準化」が芽生え、さらなる将来の変化に柔軟に適応しようと、「多様性」を堅持、拡張しているのではないか。

 多彩な異論と相対することなく、効率性のみを重視し、「標準化」を推進してきた世代にとっては、どこか「多様性」は後発の流行語の様に感じるかもしれない。しかし、シビルエンジニアには、多種多様なステークホルダーと協働でまちづくりを進めてきた経験があるので、「多様性」は初めて遭遇する思想ではない。

 このため、「標準化」を生み出した動機と、過程を置き去りにせず、「標準化」と「多様性」の互いの思想はしっかりと繋がっていることを次の世代に伝承しておきたい。
 今、時代は「多様性」に関心が集まっている。このような趨勢では、合意形成できる能力と、「標準化」を広く社会に浸透させた「知恵」を有するシビルエンジニアの存在意義は大きい。シビルエンジニアには、より高度な個への尊重と「多様性」の理解を深化させることで、広範な分野で能力を発揮してほしい。

 過去、現在、未来を駆ける中継ランナーとして、多領域でシビルエンジニアが活躍でできるように、あと少し頑張ろうと思う。
                         2023.6.26 執筆:M

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