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‘恩讐を越える’
これはやや恨み辛みを乗り越えるという意味に受け取りがちなのですが、‘恩’という漢字が入っているように、個人的な感情を超越したという意味が正当です。

例えば、10代の頃、些細もない理由がきっかけで何年も口をきかずにいた友人がいました。子供時分の了見の足りないアタマで考える良い悪いの判断と、プライドが宿り始める自我が優先した所為だと思います。もったいないことをしたと今にして反省します。一生の友人になるかもしれない関係性を自ら断ち切ってしまったのです。

そして、その後折々で知り合った人たち全ての方と良好だったかと思い返せば、現在まで継続している人たちの方が少ないのは認識できます。
往々にして環境の変化が人間関係を一旦リセットできる効果を生み出す反面、自分自身の了見の広がりや寛容性、或いは忍耐力、こうした内面的な成長はどうなのか、どこまで達観という側面での大人に成り切れているのか微妙な点は残ります。

ミュージシャンのジュリアン・レノン氏が60歳になったとの情報をご自身のSNSで表していたのですが、その関連投稿の中にオノ・ヨーコ氏がジュリアン氏、彼の実母のシンシア氏、更にヨーコ氏とヨーコ氏息子のショーン氏の4人が仲良く笑顔で、一堂に会す写真を上げていました。

これぞまさに‘恩讐を越える’ということに他ならないのだろうと、私の胸は少しだけ熱くなったのです。
それぞれの哀しみが時間を経て昇華され、偉大な魂はしっかりと2人に受け継がれている証左、この2人をこの世に残した彼らには父、愛すべき伴侶への感謝をこの一枚から十二分に伝わってくるものでした。
愛情の問題は複雑で、合理性でなく合意性なので、寛容的になり難いが故に時間の力に頼るしかありません。
とは言え、40年以上の月日が事件から経過している現在への感慨をこの写真は表しています。

ふと自分自身に置き換える、内面性において成長したというには言い切れない未熟さを私は今だ感じるのです。
こうした一枚の写真から人生観や気付きを顧みる、日曜の朝で良かったと思う瞬間があります。


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