見出し画像

「ノマドの生き方が好きなのは、最後のさよならがないから。」現代のノマド生活はいわばグリーフケアの一環だった。オスカー大本命と言われるノマドランド鑑賞記録


【本作概要】

2021年公開。中国人監督クロエ・ジャオ作。主演を務めるフランシス・マクドーマンドは製作にも携わっている。本作では彼女と、デヴィット・ストラザーン以外に俳優は起用されておらず実際に車上生活を送っている人々が起用されている。






あらすじ

リーマンショックの影響によって、住み慣れた企業城下町を去ることになるフランシス・マクドーマンド演じるファーン。彼女は先にこの世を去った夫との思い出から、家族との思い出まで、これまでの人生のあらゆる思い出とともにキャンピングカーでノマド生活を始める。季節労働を渡り歩きながら、各地で様々なノマドたちと出会っていくロードムービーだ。


圧倒的映像美に魅せられて

本作は、展開するストーリーはさることながら、その映像の美しさにとにかく圧倒される。 予告編からも見てとれる通り、とにかく空が映し出されるシーンが多い。 朝焼けの空、夕暮れの空。主人公であるファーンが移動する先々は、周囲に目立った建造物がなく、とにかく広大な砂漠や草原が印象的な土地の数々。


画像1


そのおかげで、遠くまで見渡せる景色が観る者の印象にとにかく残る。 


ファーンが移動する先々は広大な砂漠や、とにかく澄んだ水辺、まるで人の手で作られたかのように幻想的な岩山など壮大な大自然にとにかく圧倒されるばかりだった。


人間がちっぽけに思えてしまうくらいの広大な自然の魅力に魅せれられるあの感じは、以前「レヴェナント:蘇えりし者」を鑑賞した時のあの感覚に似ていた。魅せられたというより、とにかく自然に圧倒されて驚愕したという方が正しいかもしれないけれど笑


画像2



ストーリーなんて一瞬どうでもよくなってしまうくらい(失礼)の映像の美しさ。本作を通してとにかく心が洗われる気持ちになり、コロナ禍である今…とにかく旅をしたいという感情に襲われます…



また、作品全体を通して感じられる儚さやスロウな雰囲気は、以前紹介した、ガス・ヴァンサント監督作の「永遠の僕たち」に通じているのでは…?なんてことも思いながら鑑賞していました。




淡いトーンが印象的。鮮やかな色彩で魅せるというよりは、淡色を基調としたグラデーションで魅せる作品。 スロウな音楽がありとあらゆる場面で流れるのも今作との共通点と言えます。



グリーフケアの一環として描かれるノマド生活



本作を通して、いち観客である私は終始こんなことを考えていた。 「成り行きでノマド生活を始めた…?」 「この生活を抜け出したくない主人公の動機は…?」 「戻ろうと思えば屋根の下でも暮らせるよね?なんでノマドするの??」



気づいたら、こんな視点から本作を追ってしまっていた。


 とにかく旅好き?

放浪する所以とは…

 後半、彼女の姉家族と団欒するシーンにて、初めて彼女の価値観が垣間見える会話の中から、現代の色々なしがらみから逃れたいのかな?なんてなんとなくの答えを見出しかけて作品を見進めていた。



作中では度々、比較的若年層のノマドも登場する。 彼らは記憶にも新しい、タランティーノ作品である「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にて描かれているヒッピーのようなスタイルをとっているように感じられた


画像3


(こんな感じ)



 彼ら若年層ノマドたちは、どちらかというと、世間一般に浸透した価値観に対して、反抗する意味も含んで、ノマドという生き方を選択しているように感じられた。


主人公であるファーンや彼女と同年代の比較的年齢層の高いノマドたちとは対照的。


作品終盤、ノマドコミュニティのボブが語る以下のセリフが比較的高い年齢層の彼らが、なぜノマドとして生きているのかについての答えを明示してくれる。

One of the things I love most aboout this life is that there's no final goodbye.  ノマドの生き方で一番好きなのは最後のさよならがないこと。


自分の息子が自殺による死を選び、別れを告げることになったボブ。


そんな彼でも、思い出は残り続けるものだと言い、過去の思い出に対して無理やりさよならをする必要なんてないんだと、ファーンに告げる。


これまで出会ってきた彼女と同世代のノマドたちも同様。生きてきた年数が多ければ多いほど、出会いの数だけ別れを多く経験してきた。


喪失感にうんざりとしてきた彼らが取ったノマド生活。


彼らは悲しみや喪失感に目を背けるのではなく、むしろしっかりとそれに向き合い、消化するための一環として旅をし続けるのだ。


道中でファーンが出会い、登場するノマドたちも決して彼女にさよならとは告げない。 

 See you down the road. またどこかでね。


こういって道中出会った人々と、出会っては別れ、また再会して、そんな風に穏やかに緩やかに本作は進んでいく。


ファーン自身夫を亡くし、夫を思い、その喪失感に暮れる中で、物語の最後、彼女はかつて夫と暮らしていたネバダの土地を訪れる。


ボブの言葉を聞いたファーンにとって、悲しみに溢れた帰還ではない。改めて自身の大切な相手と、その思い出を胸に、また日々を生きていこうと糧になる瞬間で。そのシーンを持って本作は終わる。

人間誰しも生きていれば味わう喪失感、悲壮感。 その感情の乗り越え方は人それぞれである。 以前、学生時代に遠藤周作について講義を受けていた際に習ったことがある。彼の著書として知られる、「沈黙」や「深い河」はグリーフケアとしての物語であると。


当時、そんな講義を受け、思ったのは、いわゆる芸術家と分類される人々にとってのアウトプット作業=グリーフケアとなっているケースが多いということ。


 音楽家、作家、作曲家、画家。現代まで知られる名作を残した芸術家たちの多くは、その名作を残すまさにそのタイミングで苦悩の真っ只中にいることが少なくない。そして、自ら命を絶ってしまっているケースも。


私は自他共に認める生粋の人好きなので、それを生み出した人自身を深くまで知ることが出来るからと、芸術作品がとにかく好きだ。


人が生み出したものには、グリーフケアの役割だけに留まらず、その人が何に影響を受け、何を考え、感じたのかの全てが集約されていて、とにかくそれを生み出した人自身を知ることに繋がるその瞬間に私はテンションが上がるタイプだ。


なので、私自身、グリーフケア=何かアウトプット作業が比較的その効果を為すものなのではないか?と過去に自分自身が考え固めていたことを真っ先に本作を観て思い出した。 そして、グリーフケア=アウトプット作業、なんてそんな考え方から脱却することのできる素敵な作品だった。


旅することで、思い出を道連れに(言い方)、しっかりと消化することによって行うグリーフケア。


原作に惚れ込み、映画化権を獲得。フランシス・マクドーマンド自身、役作りのために実際に車中泊をし、実際のノマドたちとの交流の元に撮られた本作だからこそ感じられるリアルで自然なストーリー。


日本時間では明日の10時に開始されるアカデミー賞授賞式。 私自身は作品賞、監督賞、主演女優賞、撮影賞をとるのでは?なんて予測を立てている本作。明日の結果を楽しみに眠りにつこうと思います。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?