シガテラ

徒然なるままのアフォリズムです。 写真とカメラと読書が好きです。

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写真表現の役割について

写真の「自己表現」という枠組みにおいては、 写実という結果に対して納得性を遡及するプロセスが主体です。 一方、絵画はキャンバスに表現を付け足していくプロセスが主体となるため 同じ芸術という枠組みでも、表現をインプットする方法や分析方法が全く異なるのではないかと思うことが多くありました。 最近になって、細かい考察ができる知見とアウトプットする語彙を得れたのでここに記そうと思います。 前置き この内容は、「映像の修辞学/ロラン・バルト」「寝ながら学べる構造主義/内田樹」の中

    • 写真の1回性について(アウラについて)

      皆さんは、オリジナルとコピーの違いを意識した事はありますか。 コンピュータ技術が発達した現代において、コピー&ペーストで情報を拡散する事は容易になりましたが、コピーされるモノとコピーされたモノの違いを意識した事はありますか。 この記事では、芸術における1回性の重要性を説いた「アウラ」と言う概念について紹介したいと思います。 この記事でちょっとだけでも写真に対する魅力が伝われば幸いです。 また、アウラを意識することはQoLは爆上がりにもつながるので是非ご一読ください。

      • 2023年の読書ランキング

        読書のあとに散歩をして自然を観察し思慮することと、ジムの翌日に筋肉痛になって身体の成長を感じることが同じ感覚であると気づきました。 いずれも自己成長感、自己肯定感が高まるもので、QoL爆上がりテクニックとして読書は生活必需となっています。 私は、読んだ本に対して、読了後に10点満点の総合点評価をつけています。 それを今年読んだ本の中からランキングにまとめました。 上から10冊は心の底から「なにか面白い本ある?」という質問があったときに紹介できる本です。 本を読みたいけど、

        • 息吹/テッド・チャンの記録

          息吹はこれまでに読んできた本の中でも、5本の指に入る最高の作品です。 特に、P66.67の息吹のエクリチュールは、未来への希望と現在の失望が入り混じった物凄く感傷的な文章になっています。 この度、Wiredにてテッド・チャンへのインタビューが掲載されてたのでここに残します。 にしても、Wiredのアンテナやセンスには脱帽です。

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          AIの台頭により人間は活動領域を変えねばならない

          生成AIの発達により人間のできることと、AIによってできることの区別が難しくなってきた。 これは産業革命が起きた時も同じである。 人間による手足を使った仕事が機械に奪われ、それにより事務が生まれた。 そしてその事務は、80年台後半のコンピューターの登場により、また業務の内容が効率化された。 利便性の向上により、人間は活動領域を変えてきた。 AIはこれと同じように人間のさらに活動領域を細かいものにするだろう。 そう考えたときに、「人間にはできるがAIにはできないこと」が条

          AIの台頭により人間は活動領域を変えねばならない

          29歳の幸福論

          29歳最後の日に自転車のチェーンが外れ、会社から家まで歩いて帰りました。 29歳の1年間を振り返って一番思い出に残っている日、というより、自分の今後の人生の方向性が急激に切り替わった日が2023年7月16日だなと思います。 7月16日に、ふと「そろそろ家を買うことを検討するか」と住宅展示場に行くことをなんとなく決め、なんだかんだで9月には土地と家を購入していました。 慎重派の自分がこんなにも行動開始から購入決定まで短いとは思いませんでした。 なんとなく投企している感じがした

          29歳の幸福論

          「家の購入を決意すること」への不安について

          土地と家の購入を決意した。 この決意をするまで、家を購入することでローンの期間が発生し金銭的にも、物理的な行動としても「今後身動きが取りにくくなる」という漠然とした不安があった。 この不安はとても表面的で、この不安の源泉はなんだといろいろ考えた結果、以下の結論になった。 それは「今の価値観が今後数年後また数十年後に同じままかという不安」があることだ。 なぜなら、人間の体は7年周期で細胞が入れ替わるのと同じように、時間という制約がある中で嫌でも「何かしらの経験」が発生する。

          「家の購入を決意すること」への不安について

          「同じ」とはどういうことか。何に価値を置くか。

          美術館でゴッホの絵をみんなが見ている。 しかしその絵はレプリカである。限りなく本物に近い精巧に作られたレプリカである。 オリジナルは、その美術館の倉庫に眠っている。たくさんの人々がレプリカを見て、ゴッホに、作品に感銘を受ける。 なぜゴッホはこの絵を書こうと思ったのか、過去このような景色が実際にあったのか。どのような思索のなかこの絵を描いたのか。自分もこのような絵を描けるようになるのだろうか。など思いを馳せる。 この際、人に与える影響度においては、レプリカ作品の方が貢献度が高

          「同じ」とはどういうことか。何に価値を置くか。

          2023年4月29日14時00分00秒の座標情報

          写真の話です。 哲学的疑問① 全人類が同時に瞬きをする瞬間は、誰にも認知できない瞬間である。 哲学的疑問② 唯一性について →「〇〇が同じだとする」というifの話の場合、「同じ」という定義が、 ・個数的に同じか ・性質的に同じか を定義しなければならない。 実体の唯一性を意識すると、座標が唯一無二のものとなる。座標が違えば、そのモノ(ここで言う実体)の経験が変わるから、実体には唯一性が伴う。 この2つの疑問から 「それぞれの唯一性をもった実体が過ごす『瞬間』」を可視化す

          2023年4月29日14時00分00秒の座標情報

          俺的無神論

          神は自然だとして、その神が恣意的になることはあり得ないと思う。 なぜなら自然そのものが意思することは私たちもその中に含まれていることであるから(スピノザ的考え)、その中に含まれているものを取捨選択することはないということ、また仮に取捨選択をする場合、それは恣意性が生じているので自然(神)ではない。 「信じる者のみ救われる」という教義を説く宗教はその点で恣意的、選民思想的になっており、その選民のみを最適に選ぶ神は神ではない。

          荘子の哲学/中島隆博を読む「鶏となって時を告げよ」

          この本は学術文庫版で、原本は岩波文庫の『「荘子」鶏となって時を告げよ』である。 ■感想 ・ウィトゲンシュタインの言語ゲームの考え方は古代中国にもあった。ウィトゲンシュタインに通ずる「俯瞰した諦め」を荘子に感じた。この諦めのことは達観とも言える。 ・この本自体は構成が体系化されていなく、読みやすい本でもないし求めているものが昇華された本でもなかった。荘子の入門書としてはお勧めしないが荘子の考えを知っている場合に様々な研究者の解釈に触れることができる本。 ・荘子を含む昔の中国哲

          荘子の哲学/中島隆博を読む「鶏となって時を告げよ」

          金閣寺 / 三島由紀夫を読む

          金閣寺/三島由紀夫を読みました。 三島由紀夫の作品に触れたのは初めてなので感想を残します。 読書期間:20230109-20230117  星5/10 ※評価軸は、以下の記事で触れています。 ■感想 物語のテンポはゆっくりだが、その時々に感じる主人公の精神世界の描写が多い話だった。 美を悪と捉えて、美の究極である金閣寺を焼く発想は面白いと思った。 実際、どこかでこのような紹介文に触れて読みたくなった 文面から想起する情景が幻想的でかつリアリティもあり、文面そのものを

          金閣寺 / 三島由紀夫を読む

          2022年の読書遍歴と俺的評価ランキング

          2022年も終わりを迎えます。今年に入って本格的に本を読むようになって、今では友人と隔週1回の読書会を行うまでに読書活動にのめり込んでいます。 今年読んだ本について ・納得性 ・新しい気づき ・有用性 ・自己意識の再確認 などといった「自己意識の形成の大きな要素となったか」という軸で、 読み終えるたびに10段階評価+感想をメモしていました。 感想は省き、評価内容をこちらに投稿します。 俺的評価ランキング※八桁の数字は読書期間です。 幸福について ショーペンハウアー 20

          2022年の読書遍歴と俺的評価ランキング

          28歳の幸福論

          28年間生きて蓄積された経験や人生観をもって自分の中の幸福とはなんぞやと、現時点での答えが出ました。 それは、幸福とは「苦痛なきを目指し、苦痛なき生活の中に楽しみと快楽を、自身の内的源泉から求めることができること」でした。 これだけ見ると抽象化されていますが、2021年から22年12月6日までに幸福を感じたふとした習慣を蓄積しました。 幸せは小さな出来事の積み重ねと思います。 以下、徒然なるままに書き記した28歳の1年間に感じた幸福の瞬間です。 こどもにぬいぐるみを

          28歳の幸福論

          最近の自省録(アフォリズム)

          ・ステートメントありきの作品よりも芸術作品単体が独立して感動を形成している方が高尚と思う。なぜならステートメントは芸術作品単体の意味を補完する役割を果たしており、それは文学に依存するからである。仮に文学や言語が消失して、そのステートメントに書かれている文字列が意味をなさなくなった世界があったとして、芸術作品単体から発する意味や感動を、客体に共有できるモノであった方がいい。その理由としては、人間の感性は経験的もしくはアプリオリからきており、その感性を芸術作品単独の汲み取りにより

          最近の自省録(アフォリズム)

          ゴッホについて、Twitterであるアカウントが流れてきたことに関する考察

          この記事は、2022年7月28日0:37にTumblrに投稿した記事を転記したものです。 優れた芸術の条件として「明快であること」「誠実であること」「新鮮であること」がある。(トルストイの言葉を借りる) 上記3条件が揃ってかつ、人間性も含めた点で、俺は小さい頃から今のいままでゴッホに惹かれている。 幼少期に絵画の好きな祖母から、岸田劉生やゴッホの画集を見せられ、絵画から汲み取る言葉では言い表せない、画風の威圧感の中のユーモラスな魅力を感じていた。その頃に向日葵の落札のニ

          ゴッホについて、Twitterであるアカウントが流れてきたことに関する考察