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金閣寺 / 三島由紀夫を読む

金閣寺/三島由紀夫を読みました。
三島由紀夫の作品に触れたのは初めてなので感想を残します。

読書期間:20230109-20230117  星5/10
※評価軸は、以下の記事で触れています。

■感想
物語のテンポはゆっくりだが、その時々に感じる主人公の精神世界の描写が多い話だった。

美を悪と捉えて、美の究極である金閣寺を焼く発想は面白いと思った。
実際、どこかでこのような紹介文に触れて読みたくなった

文面から想起する情景が幻想的でかつリアリティもあり、文面そのものを美しいと感じることが多かった。

読んでいる途中、イデアとしての金閣寺で進めていたのだが、金閣寺の写真を見てみたくなり調べたら過去に焼失していることがわかり、この作品は実話を基にしたフィクションであることを知った。※普通順序が逆だよね笑

上記の経緯があるため、読み始めるときの没入感よりも読んでいる途中からより深くのめり込んで読むことができた。

以下、ハイライト

「柏木を深く知るにつれてわかったことだが、彼は長持ちする美が嫌いなのであった。たちまち消える音楽とか、数日のうちに枯れる活け花とか、彼の好みはそう言うものに限られ建築や文学を憎んでいた。彼が金閣へやってきたのも、月の照る間の金閣だけを求めてきたのに相違なかった。」
主人公が友人柏木の哲学を分析するシーン
「彼の手の動きは見事と言うほかなかった。小さな決断が次々と下され、対比や均整の効果が的確に集中してゆき、自然の植物は一定の旋律の元に、見るもあざやかに人口の秩序の裡へ移された。あるがままの花や葉は、たちまちあるべき花や葉に変貌し、その木賊や杜若は、同種の植物の無名の一株一株ではなくなって、木賊の本質、杜若の本質とも言うべきものの簡潔きわまる直叙的なあらわれになった」
友人柏木が活け花を行う描写
「「かれらの言葉」で私が理解されるのは耐え難い。「私の言葉」はそれとは別な
のである」
街で金閣寺の内情を噂している人に対する主人今日の感情描写
「「どうだ。君の中で何かが壊れたろう。俺は友達が壊れやすいものを抱いて生きているのを見るに耐えない。俺の親切は、ひたすらそれを壊すことだ」」
主人公に対し友人柏木が述べた言葉
「その池の投影、その小さな島々、その松、その舟泊りにいたるまでの細部の美を点検すれば、美は細部で終わり、細部で完結することは決してなく、その一部にも次の美の予兆が含まれていたからだ。」
主人公が金閣寺に感じる美の感想①
「たゆたう水の反映によって堅固な形態の縛めを解かれ、かかるときの金閣は、永久に揺れ動いている風や水や焔のような材料で築かれたものかと見えた。」
主人公が金閣寺に感じる美の感想①
個人的にはこの描写が一番感動した。
1950年代、まだCGなどのイメージ原画となるものがない時代に、この想像力を持ち合わせた三島由紀夫に驚いた
「ここから金閣の形は見えない。渦巻いている煙と、天に冲している火が見えるだけである。木の間を夥しい火の粉が飛び、金閣の空は金砂子を撒いたようである。私は膝を組んで永いことそれを眺めた。」
主人公が金閣寺を眺める際の描写


以上
三島由紀夫の文学は美しさが前面に出ていました。
物語そのものも面白かったけど、個人の人生や精神世界について、ポジネガの解釈について深く触れた作品だと思います。

京都に行きたくなりました。

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