自己肯定感底辺+インナーチャイルド+HSP気質の私が、自分を好きになろうとしたきっかけ
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
この度は私のnoteを見つけて下さりありがとうございます😊
cre+imagineのワカと申します。
ここでは私の色々な出来事のアウトプットと、日々感じた事や気付いた事の気付きを残して行きたいと思います。
同じ環境にいる方、同じ様な悩みを抱えている方、もしくは過去そういった経験があった方に響いたり、何かの気付きになればいいなーと思い書き始めました。
文章の書き方も分からないので、日記や作文のような形になるかと思いますが、ご容赦下さい。
まずは今の私と切っては切り離せない、底辺自己肯定感&インナーチャイルド&HSPの始まりである私の幼少期から。
(赤裸々に書くので読むのが辛い方は飛ばしてくださいねー!!)
私は山梨県の片田舎に長女として産まれ育ちました。祖父母、両親、弟、妹、私の7人家族です。
両親、祖父母共にケンカップル(笑) だった上に、父以外血の気多めだったので、割りと各夫婦の喧嘩を目の当たりにしたり、嫁舅の大喧嘩を目の当たりにしたりする日々でした。
(父は面倒事に巻き込まれたくないタイプなので、喧嘩しててもスルー😅)
また、母は舅との関係にイライラしたりビクビクしたりすることが多く、そのストレスからか私に当たってるなーと感じることが多かったです。
なので幼少期は母から褒められたことがない上に
・頑張っても「たまたま周りの人の調子が悪かっただけじゃない?」と頑張りを認められない
・姉という立場を強要される
・大人であることを要求される
・相談しても「お父さんに聞いて」
・母にされて悲しかった、辛かった思いを勇気を出して伝えても「お母さんが悪いって事ね」と逆ギレされて終わり
・あなたはお母さんに似て可愛くなくて可哀想と、ことある事に言われる
・弟は可愛い、妹は色々言ったら可哀想。だからあなたには言いたい事なんでも言える と言われ、きょうだい格差を感じる日々
・(喧嘩の末の捨て台詞ではありますが)あんたなんか産まなきゃ良かったと言われる
などなど…書いていても未だに泣けてくるような出来事が多くて…
という自分になったのは、幼少期のこういった経験が始まりになっているのかな?
と思っています。
そんな母子関係でずーっと来ていたので、思春期は弟妹が引くくらい、激しい反抗期でした 笑
私の反抗期ぶりを見て、弟妹に反抗期がなかったくらいです。
(よくグレなかったなー、と思いますが、それは祖母が私の事をよく見て認めてくれていたからだなと思います。後は友人や親戚など、周りの人に恵まれたから。
もう亡くなってしまいましたが、育ての親だと思っています。おばあちゃんありがとう!!)
この母子関係は、反抗期を過ぎれば次第に激しさは無くなるものの、変わらず緩やかに続いていき、私が「もう無理!!」と限界を感じて家を出た30代中盤まで続きます。
これ以上一緒にいたら私は親に手を出してしまう…そして将来介護しろとなっても絶対に無理だ…
と思ったからです。
なので、今までの恨みつらみ(笑)を手紙に書いて、父と母に押し付けて、半強制的に家を出ました。
結果、家を出てみて良かった!!
家を出て、自分を大切にして、自分にちゃんと向き合おうと思い、思い切って自己肯定感や心理学・脳科学を学び始めてから、母子や家族関係が変わっていきます。
そのお話はまた次のお話に書きますね。
長文を読んで頂き、ありがとうございました!