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『最高の離婚』(韓国版&日本オリジナル版) 「好き」だけじゃ一緒に暮らせない

2019年・韓国
演出:ユ・ヒョンギ
脚本:ムン・ジョンミン
出演:チャ・テヒョン、ぺ・ドゥナ、ソン・ソック、イエル

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2013年・日本
演出:(連続ドラマ)宮本理江子、並木道子、加藤裕将、宮脇亮
   (スペシャル)並木道子
脚本:坂本裕二
出演:瑛太、尾野真千子、真木よう子、綾野剛

韓国版を全て見終わってから、日本のドラマのリメイクだと知りました。そうなると日本のものも観たいと思い、フジテレビのオンデマンドFODの無料お試しを利用して全12話(スペシャル含む)を観ました。

FODの無料お試しが二週間ということもあって、この作品での瑛太がとてもよかったので、ここのところひとり瑛太祭りを開催してました。日本のテレビドラマはほとんど観ていないので、いい機会になりました。
『最高の離婚』(2013年)の後、『それでも、生きてゆく』(2011年)、『アンフェア』(2006年)、『のだめカンタービレ』(2006年)と観て行き、今度は『最高の離婚』と『それでも、生きてゆく』の脚本を書いた坂元裕二の作品へ関心が湧いて、『問題のあるレストラン』(2015年)を観て、今は『わたしたちの教科書』(2007年)を観始めたところです。
坂元裕二といえば、かの有名な『東京ラブストーリー』(1991年)の脚本家なのですね。私は“トレンディドラマ”に関心がなく、この作品を観ていないのですが、上記の作品群を観た後の今、その枠を外して観たらまた違った印象を受けるかもしれません。

前置きが長くなってしまいました。
本題は韓国版の『最高の離婚』のつもりだったのですが、書いているうちにやはり両方について書くことになってしまいました。

(以下、韓国版、日本オリジナル版ともに、内容に触れる部分がありますのでご注意ください)


気難しく神経質なチョ・ソンム(キム・テヒョン)と明るく大雑把なカン・フィル(ぺ・ドゥナ)が、非日常的な状況下で恋に落ち結婚したものの、互いに惹かれあった互いの長所こそが結婚生活においては大きな問題となり、ついには弾みで離婚してしまう、というところから話は始まります。この点は日本オリジナル版も同様です。

ここに描かれる夫婦のお互いの心のすれ違いは、結婚や離婚の経験者だったら思い当たる事ばかりで、身につまされること必至です。その部分は韓国版でも坂元裕二の脚本をかなり忠実に踏襲しています(オリジナルも観た結果わかりました)。これは、というセリフはほぼそのまま使っているものもあるほどです(字幕で見る限りですが)。

韓国版は全20話、日本版の倍とは言わないまでも、それに近い長さです。では韓国版はその長くなっている分で、何を表現しているのでしょうか。

それは、家族です。
4人の主な登場人物の、家族を含めたそれぞれの背景を、日本版よりも詳細に描き出すということをしています。

冒頭に述べたように、私は韓国版を見てから日本のオリジナル版を観ています。日本版を見始めてまず思ったのが、「進みが早い」ということでした。感覚的には1話で3話分くらい進んでいるような感じ。これはもちろん韓国版を踏まえてのことです。なので最初に日本版を観た人は、韓国版を観たら逆にまどろっこしいと思うかもしれません。
韓国版はオリジナル版のエピソードを踏まえつつ、家族や周辺の人の話を織り込んで行き、ドラマの奥行きを広げて、すなわち作品世界を広げているように感じました。

その広がりは、実際の舞台の空間にも現れています。

ソンムとフィルの住む家は光生と結夏の住むマンションより相当広くて、2階でゲストハウスを営めるほどだし、イ・ジャンヒョン(ソン・ソック)とチン・ユヨン(イエル)の家も広くておしゃれです。また、ソンムの実家や、オリジナル版とは設定が違うソンムの姉の家、フィルの妹が暮らす屋上部屋、ユヨンの実家など、オリジナル版では訪れないところにもカメラは入って行きます。つまり舞台とする空間が広いのです。

広さの違いは、作品の良し悪しとは全く関係なく、単に作品が何をどこまで内包するかを象徴しているに過ぎません。11話(+スペシャル1話)で、20話と同じ広がりを持たせることはおそらくできないし、そもそもその広がりの部分を表現したいと思わなければ、それはそれで全然構わないことです。広がりを持たせた分、韓国版を冗長に感じて、オリジナル版の方がいい、と思う人もいるでしょう。

まだまだ韓国ドラマを観始めて日が浅い私ですが、この広がり部分はとても韓国的だなと思います。結婚や離婚が当人同士だけの話ではないというのは、現代の日本でも言えることですが、韓国ではさらにもっと“家族の話”なのだろうと思います。
オリジナル版では登場しない、ソンムの祖母のカフェのアルバイト店員と、一緒にアルバイトをしルームシェアもしているフィルの妹が、家族のように情を通わせる場面があり、これも実に韓国的な気がしました。仲間に情が湧き、やがて家族のようになる。『椿の花咲く頃』(2019年)の主人公ドンベクが自分のスナックにアルバイトとして雇ったヒャンミに「ずっと面倒をみる」というようなことを言うのも、同じようなことなのかなと思います。

家族の他にもう一点、広げている部分があります。

それはお互いの“本当にやりたいこと”。
ソンムは過去に音楽を諦めている経験があり、フィルは現在絵本作家(これは韓国女性の憧れの職業なんでしょうか。他の作品にも出てきますね)になりたいと思っている。そしてお互いそのことを知らずにいた、ということを知ることになります。いかにお互いを知らないか、ということと、共同生活と自己実現との問題をわかりやすく表現していると思います。オリジナル版にはこういったことは描かれていません。

大筋で言ったら、韓国版と日本オリジナル版で大きく異なる部分はありません。特に、オリジナル版が11話で終わっていたなら、ほぼ同じと言ってもいいかもしれません。しかし、スペシャル回にとても重要なシーンがあり、そこで描かれていることは韓国版にはありません。

韓国版の最終話の終盤には、いつものようにフィルのちょっとした失敗をソンムが責め立て、嫌気がさしたフィルが外に出て、それをソンムが追って行くシーンに続き、これまで登場した人々の新たなシーンにフィルのボイスオーバーがかかるところがあります。その内容は、ざっくり言うと「色々な人がいて一緒に暮らしている、お互いに理解し合い、時には憎み合ったりもしながら、合わせて行く」と言うようなことです。その後にソンムがフィルに「喧嘩して仲直りしながら一緒に年をとって行かないか」というようなことを言い、耳元で何かを囁く場面で終わります。この“二度目のプロポーズ”のようなものをフィルが受け入れるかどうかは視聴者の想像に任せるオープンエンディングとなっています。

一方、オリジナル版の11話は、結夏の実家に離婚の挨拶に行った帰りに、新横浜から中目黒まで歩くことになった光生と結夏が、出会った日の体験をなぞるように道中を楽しく過ごし、家に着くといなくなっていた猫たちが戻っていて、2人で泣きながら喜び、なし崩し的にふたたび同居生活が始まる様子で終わります。
しかし、その後のスペシャル回では、婚姻届を出そうと言う光生に対して結夏は「やっぱり別れよう」と言うのです。「合わせたらダメだよ。いつか結婚したことを後悔することになる。それは嫌だよ」と。
相手の嫌な部分が変わったら、好きな部分もきっと変わってしまう、それは嫌だ。相手を自分の好むように変えたくない、ということなんですね。そして、裏を返せば、自分も相手に合わせて変わりたくない、ということになります。この場面の結夏の台詞は胸に沁みます。自分が自分のまま生きるということと、相手を相手のまま愛するということ、好きな人と一緒に生きて行くこと、相手と、あるいは自分と、どのように折り合って行くのか。譲れないことはなんなのか。それらを考えた末の言葉だからです。
結夏と光生の間の決定的に違う部分は、子どもに対する考え方です。部屋の片付けができるとかできないとか、そういう瑣末な問題ではない。その決定的な違いは変えることができない、というか、変えたら間違う、ということでしょう。

最終的には、やっぱり一緒にやっていきたいと思う光生が結夏に「一緒に年をとっていきませんか」という手紙を書いて投函するところで終わります(この手紙には、別れを経験した者なら思い当たるようなことが散りばめられています)。それを受け取った結夏がどう反応するかは視聴者の想像に任せる、こちらもオープンエンディングです。これはもう、オープンエンディングにするしかないと思います。結婚にも離婚にも絶対の正解はないから。

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