イタリアのジェラートに学ぶビジネス戦略。今イタリアNo.1のジェラート屋さん「Sablé Gelato」のジェラート職人とお話しして考えたこと(#ビジネスで大切なことは全てパスタが教えてくれた)
さて、今日はイタリアのジェラートの話。
ジェラート大国、イタリア。
最近は日本にもVenchiがオープンしたり、各地に「イタリアン・ジェラート」屋さんなどがあったり、日本でもかなり定着してきていますね。
この夏一次帰国していた時に、両親のお気に入りのジェラート屋さんに連れて行って頂きましたが、片田舎に本格イタリアン・ジェラート屋さんが!
周りは畑、ぽつんと建った小屋の前に車が並び、列ができている。手作りで美味しい!
ほんと、こういうところがあっぱれ、ニッポン。
国民の海外のものに対する感度の高さ、吸収して高いレベルに引き上げる勉強力は世界一と思います。
話が逸れましたが、今日はイタリアのジェラートを巡るビジネス戦略について書きたいと思います。
先日、「Gelatiere emergente d'Italia 2023」に選ばれ、イタリア版ミシュランのガンベロ・ロッソでも2つ星を獲得しているジェラート屋さん「Sablé Gelato」のジェラート職人とお話をしていて、今のジェラート業界の話、それぞれのジェラート屋さんの戦略と情熱を聞いて、なんともイタリアらしいなぁと思うと共に、私たちが学ぶべきこと沢山あるなぁと思った次第で、徒然なるままに書いておこうと思います。
現在の世界のジェラート業界
まずは、今のジェラート業界の話。
今やジェラート業界にも機械化が進んでいて、各店「アルティジャナーレ(職人の)」ジェラートと謳うものも、実態は「セミ・ラボーロ(half work)」、途中まで機械で作って最後の部分をジェラート職人が仕上げるものがほとんどだそう。
こうなると重要度を増すのがジェラートメーカーで、ボローニャのカルピジャーニ社(1946 年創業、本社ボローニャ)とカタブリガ社(1927年創業、本社ボローニャ)が圧倒的なシェア。なぜボローニャのジェラートが有名なのか、分かります。
ちなみに、北では大手カルピジャーニのシェアが大きい一方、カタブリガは数百件ある激戦区ボローニャでのシェアが80%以上と言われ、職人気質が強いジェラート職人に人気、南では、垂直シリンダーのブラーヴォ社がよく使われているとのこと。
ジェラート屋さんの裏側では、こうした機械でベースとなるものを2−3種類作っておきます。例えばミルク、砂糖などで作ったミルクベースに、ピスタチオを入れてピスタチオアイスに、チョコを入れてチョコアイスに。フルーツ用には水と砂糖でベースを作り、そこにイチジクを入れてイチジクアイスに、桃アイスに、としていくわけです。
今やここまで機械化されると、職人の腕という腕はあまり試されなくなってきてしまっているわけです。
では、どこで差別化を図るのか。
それは、食材のコンビネーションです。
最近では、フルーツやスパイスを組み合わせるのが当たり前になってきており、そのInfusioneと言われる組み合わせのインスピレーションが勝負とのこと。
例えば、私が最近美味しいと思ったのは、イチジク・リコッタ・タイムのジェラートや、マスカルポーネ・松の実・アプリコットのジェラート。天才!と唸りました。
こういうのは、ファンタジア溢れるイタリア人が得意なところですね。嬉々として色んな組み合わせて実験をする彼らの様子が目に浮かびますから。
つまり、現在のイタリアジェラート業界の競争の大きなポイントは、「アイデア」ということになってきているのです。
一流のジェラート職人がやっていること
では、ジェラート職人はどのように上を目指すのか?
ひたすら勉強し続けるのです。
Infusione、組み合わせのインスピレーションのために。
世界中のフルーツ、スパイスのことを勉強し、それらがどこで育ち、どんな組み合わせが良いのか、頭に地図を作っていくわけです。
このSablèのジェラート職人さんも、この週末は、遊びに行ったガルダ湖で木の実を摘んできて、持ち帰ってフルーツと組み合わせてジェラート作ってみたりしてみたそうです。
それから、日本人のジェラートを勉強する職人さんが働きにきたので、ほうじ茶を使ったジェラートなどもありましたね。(余談ですが、個人的に超ヒットでした。肝心の組み合わせは忘れてしまった、、けれど、めちゃ美味しかった。)
ガンベロ・ロッソを取るような、イタリア・ジェラート業界を引っ張る新進気鋭のジェラート職人さんがやっていること。
それは、勉強。
外に出て、歩くのが勉強。
沢山外のものを吸収することが全ての基礎。
アイデアやひらめきは、ボケッと生きていたら生まれませんから。
常にアンテナを張って、地図を作って、そこから自分のアイデンティティと掛け合わせたり過去の経験と結び付けたりして、唯一無二のジェラートを生み出すのです。
ここまで来て思う。
ジェラート職人のお仕事、楽しそーー!
沢山旅して、新しい木の実見つけて、美味しいジェラート作るの!
でも、毎日ジェラートこんなに食べなきゃ行けなかったら大変かなぁ。
ジェラート店に迫られる二者択一
次に、一ジェラート職人から、一ジェラート店の経営の話も少しだけしたいと思います。
今やジェラート店は、二者択一を迫られていると言います。
パッションか、ビジネスか。
まず、パッション派ジェラート屋さんとは、ジェラート職人が、こだわった食材と自らのインスピレーションで、己の唯一無二の味を追求したジェラート屋さんです。
まず、勉強にめちゃくちゃ時間をかけるので、アイスを沢山作ってる暇がありません。
それから、食材にもこだわります。チョコレートアイスならBean to barでチョコを作り、フルーツアイスなら地元でしか取れない季節の果物を使いますので、そんなに数を出せません。
だけど、他の店にはないファンタジア溢れたジェラートを出します。
もう1つの、ビジネス派ジェラート屋さんとは、機械化により効率化し、マーケティングと多店舗展開でビジネスをしていくジェラート屋さんです。
代表的には、VenchiやGrom。
どこの都市にもあり(東京にも!)、美味しいし、壁にチョコレートが流れ、キラキラとした店内で、いつも観光客が列をなしている。
では、この二者の折衷、中間は可能なのか?
基本、難しいでしょうね。
パッション派の多店舗展開はほぼ不可能(職人の時間と原材料のリソースに限界がある)ですし、ビジネス派がユニークな味を出すとしても、せいぜい郷土名物の味を入れたフレーバーをロットに組み込む程度にしかならないのでしょうか。やや小手先のマクドナルド・イタリアの、アジアゴ&スペックのハンバーガー的な。
なので、二者択一、やりたい方をやれば選べば良いのです。自分たちのフィロソフィが決めることですね。
私がやるとしたらどちらを選ぶか?
うーん、ジェラート屋さんは今はやらないかなぁ。なにせ、私、ボローニャでラーメン屋さんやろうと思っているので。笑
自分の土俵にのせるイタリア式ビジネス
もう一言だけ、ジェラートのビジネスの話。
Sablèのジェラート職人さんが面白いことを言っていました。
お客さんを自分たちのモードに引き寄せるんだと。
ボローニャでジェラート屋さんをやるとしたら、1回きりの観光客だけで勝負できないのです。
例えば、サルデーニャなら話は別です。夏のバカンスの時期の人口が冬の住民人口の5倍になるような海沿いの町ならば、夏の1ヶ月だけ住む観光客が商売相手。透き通る海、青い空、輝く太陽、バカンスの開放感、ジェラートなんて黙ってても美味しいくらいですから。
が、ボローニャは観光地でもあるけれど人も住む。それもボローニャの消費者はミラノともローマとも違い、「ロレックスを持つコミュニスト」と言われる文化人。
長期的なコミュニケーションが鍵になるわけです。
では、そこで大事なのは?
お客さんを自分たちのモードに引き寄せること。機能性、合理性、便利性と違う、自分たちのフィロソフィを売っていく。
「〇〇が流行っているから」ではなく、「〇〇を流行らせる」ことだそう。
人の土俵で勝負をしない。
いかにもイタリアらしいビジネスのやり方。
振り切ったプロダクト・アウトは、圧倒的な情熱と努力に裏打ちされた、自信の裏返しでもありますね。
文化の醸成
最後に一言だけ。
これは話が広がるので、またどこか別のところで書くとして、頭出し。
すごくイタリアが得意なこと、それは文化の醸成。
ジェラートにしても、アペリティーボ(食前酒。帰宅してご飯を食べる前に一杯)にしても、人々の生活時間の一部に入り込み、文化になる。
なぜか。
思うに、第一に、La bella vita(Beautiful life)を描くのが得意だからではないかと。
それを、コンコルソ(コンペティション)を作ったりして制度化して盛り上げていき、人を巻き込み、文化にしていく。
と思うに至ったのも、個人的な疑問がありました。
イタリア人は、いつから、どのタイミングでジェラートを食べるようになったのか?
街を歩けば、犬も歩けば棒にあたるほどにジェラート屋さんがありますね。感覚としては日本のコンビニの頻度くらい。もう立派に「大衆文化」です。
ジェラートの歴史自体は、初代ローマ皇帝ジュリオ・チェーザレがアペニン山脈の雪に蜜を混ぜて食べたのが始まりと言われたり、16世紀メディチ家お抱えのベルナルド・ブオンタレンティが発明したと言われたりしますが、人々の「文化」になったのはごく最近のことです。何せ、冷凍庫がないとダメですから。
それで、この2年間、観察していた結果、分かってきたこと。
イタリア人がジェラートを食べるタイミングは、食後の夜のお散歩が1番多い気がします。22−23時くらい。
夜ご飯を家で食べた後、家でのんびりすることもあるけれど、外にお散歩しに行きます。友達とビールを飲むか(その後踊りにいくか)、仲良くジェラートを食べるか。
夜のお散歩のお供にジェラート。
こんな習慣いつから始まったのか?ここ10年、20年くらいのようです。
修士の研究で20世紀のポー川の農家さんの食文化を研究してる時に、戦後1960年代、日曜日のミサの後に、広場に自転車の荷台に載せたジェラート屋さんが来て、そこで子供たちがジェラートを買ってもらった、という話が何人かから出てきました。つまり、60年前は日曜朝11時頃がジェラートタイム。
生活文化は無常の運命を持つので、人々の暮らしの変化で文化も変わるわけですけれども、イタリア人はこうして人々の生活に合わせて文化をある種狙って醸成していくことが上手な気がします。
皆んなが「これ良いね!」というようなことを、絶妙に可能な範囲で提案し、定着させていくのです。
意外とイタリア人は現実的で保守的だから、人のスタイルを変えようとするものは受けません。ディナーは家で食べるのだから、その後にお散歩、そこでジェラート食べられたら良いじゃない?3€ね、まぁOK!という感じ。
便利性や機能性ではなく、こういうふうに人生を楽しむ提案をして、人々の賛同を得て、気付いたらそれを羨ましいと思う他の人が巻き込まれている。
イタリアの力はこんなところにもあるのかもしれませんね。
これを文化力と呼ぶとすれば、必要性が満たされたこれからの時代に必要なのは、こういう文化力かもしれません。
思ったより、長くなりました。。。
次回は10分で読めるくらいサッと書きます。
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