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料理の香り、食卓の家族

10歳の息子が電話に出た。電話は祖母からのようだ。「こっちは寒くて雨がしとしと降っているけど、家の中はすごく居心地がいいよ」とマテオが遠くで話すのが聞こえた。「ママが料理をしていて、家の中がとても良い香りなんだ。今日は最高だよ」

ある本の中にこんな一節を見つけた。

皆さんは何を感じるだろうか?

私は自分の母に読んでほしいと思った。
自分もマテオと同じように思ったことがあったから。

小さい頃、お腹が空く頃に台所から部屋に漂ってくる料理の匂いは、何とも言えない幸福の予兆のようなものだった。

母の「運んで!」という言葉は料理の完成、食事の始まりの合図であり、その言葉を聞くと、私達子どもたちは台所に入り、箸と食器を食卓に並べた。

熱々で良い香りを放つ鍋はそれ自体が引力を持ち、私達を引きつける。

食卓に座り、母の料理を食べながら、私達は父と母にその日の学校での出来事を話した。

そんなふうにして私達は育った。

当時は何でもない、ごく当たり前の日常だと思っていたのだけれども。

あれから15年経った今、自分もあと数年で母になってもおかしくない年頃になって、その時間がいかに温かくかけがえのない時間であったかを思うのである。

イタリアの家庭に入って、家族と食卓を囲み、料理や食器など見た目こそ違えど、そのユニバーサルな食卓の本質を見て、ようやく「家族」、それを育む「料理」の素晴らしさが分かったのだ。

今や、料理をしなくても、家族を食べさせる簡単で手軽な方法はいくらでもある。
惣菜を買い揃え、冷凍食品を電子レンジに入れれば良い。

しかし、手をかけ時間をかけ作った料理には、急いで食べてしまえないような何かがあり、私たちは時間をかけてそれを味わう楽しみがある。

子供は、好き嫌いや我がままばかり言って、有り難みをちっとも感じていないように見えるけれど、でも、その’急いで食べてしまえないような楽しみ’を、その時間の豊かさを、その豊かさを作り出す料理の愛を、しっかりと心に刻んでいるのである。

私達は忙しいから、毎日がんばらなくても良い。

でも、週に1回くらい、月に1度なら、いや年に1度の子供の誕生日には、手をかけて料理を作ってみるのはどうだろう。

それがぎこちなくて、多少失敗した料理でも、やっぱり子供は母が頑張って作ったものを口に入れるのは嬉しいものだ。

お母さんだってそうだと思う。
子供が美味しいという顔を見たい。
子供が好奇心を持ってフォークを口に運ぶ様子を見たい。

そんな全国のお母さんやお父さんの、心の中に眠っているはずの願いに応えたい。

だから、私は、イタリアのマンマが子どもたちに食べさせて来た、シンプルな等身大の家庭料理を日本で伝えることにした。

特別な材料やスキルも必要でない、シンプルだけど、本当に本当に美味しい料理。

私自身が食べて感動し、作って楽しく、食べてもらって美味しいと何十回も言ってもらった料理だ。

そんな料理を一人でも多くの人に届け、自分の手で作った料理が並ぶ食卓を囲む、豊かな時間を過ごしてほしい。子供の喜ぶ顔を見てほしい。


「マンマを訪ねて3000里」、このプロジェクトも残り1ヶ月ちょっとになりました。

リターンには、イタリアのマンマに教わった料理をもとにした「イタリアのマンマ直伝オンライン料理教室」など、皆様の食卓を豊かにするものを揃えています。

応援、どうぞ宜しくお願い致します。


※カバーの写真はイタリア料理と全然関係ない、春巻です。
母の料理で最も好きな料理のTOP3に入るからです。今日、その春巻を自分で作ってみました。

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