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「弱さ」を上手に表現できるようになりたい

 僕は、弱い。

 少なくとも、強いと思ったことはない。

 身体のことじゃない。いや、身体も強靭無敵という訳じゃないけども。
 それよりは、心が、弱い。


 実は、昨日も、ちょっと辛いこと言われて。
 相手は、そんなつもりは全く無かったと思う。

 でも、僕には辛かった。
 その上、そんなこと言われる理由は、全部僕が悪いとしか思えなくて。

 だから、かなり、辛かった。
 それが晩ごはんの途中でさ。
 思いっきり食欲がなくなって、それ以上食べれなくなった。
 半分ぐらい残ってたのに。

 そういうことを、noteのつぶやきで書こうとしたんだけど。

 草案を書いて、読んで、思った。
 これは違うって。

 これは、僕が書きたいことじゃないって。


 でも、ならば、僕が書きたいことは何なのか。

 こんな辛い思いをした時に、何事もなかったかのように振る舞うのが、僕の理想なのか。

 ちがう。ぜんぜんちがう。

 弱ってるときは、弱ってる様を、ありのまま書きたい。

 でも、その思いで書いたつぶやきの草案は、違うと思った。

 何が違ったのか。

 それは、内容じゃない。
 書き方だ。
 そこに、読み応えがなかったんだ。


 なぜ、弱さをそのまま書きたいのか。

 心配されたいから?
 同情されたいから?
 慰められたいから?

 それが皆無だとは言わない。
 やっぱり、優しくされたいもの。

 でも、それが一番の理由じゃない。

 僕は、ただ、そばにいて欲しい。
 僕が信頼している人に寄り添われて、安心したい。

 わがままな話だけど。
 僕がどんな人なのか知って、そのうえで離れていかない人。
 そういう人が、僕は、信頼できると思うんだ。

 そのために、僕は自分の、ありのままの弱さを書きたい。

 それを読んでもらって、僕を知ってもらって、そのうえで、僕のそばにいて欲しい。
 物理的じゃなくても、ただ、精神的に寄り添って欲しい。

 たとえば、気に入ったお話があればスキしてくれるとか。
 たまにコメントやメッセージを送ってくれるとか。

 これこそが、僕が、この場所に望んでいることなんだと思う。


 そのためにも、僕は、僕の弱さを「作品」にしたい。

 心配されないようにって元気なフリはしたくない。
 だから、弱さはそのまま書く。
 でも、心配されるだけなのは、避けたい。
 心配は疲れさせちゃうから。
 心配させたという責任も感じてしまうから。

 僕はただ、僕の弱さを知って欲しい。
 そして、寄り添って欲しい。

 さらに、誤解を恐れずに言うと、寄り添ってくれるような優しい人に、読むのを楽しんでもらいたい。
 明るい話でも、暗い話でも。

 だから、作品にしたい。

 それは随筆か、詩か、物語か。
 いずれにせよ、読者さんの胸を打つような、作品にしたい。

 あのつぶやきの草案には、それが足りなかったんだ。

 だから、もっと、「弱さ」を上手に表現できるようになりたい。
 それこそ、世界で一番、自分が読みたくなるほどに。

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