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#212【忘れ得ぬ名文】7『図書館の自由に関する宣言』

今日もお読みくださってありがとうございます!

『美の巨人たち』舟越桂を見ながらこれを書いているなうです。

舟越さんの作品は「どこから見ても目が合わない」と言われているそうで、ご本人曰く、若い時から外斜視気味に人物を作っているのだとか。
くらたも裸眼だと外斜視で中学校時代は男子から「お前はどこを見ているのかわからない」と言われて育ったので、ちょっとうれしい。大人になってから知ったけど、芸能人でも結構外斜視の方が活躍されていますよね。

なんか哀れな小中学校時代のくらたはこちら↓

モアイだの「どこを見ているのかわからない」だの、まあ事実だし別に今更どうとも思わないけど、小中学生男子ってホントにアレですよねー、どっちも女子からは言われたことないもん。

図書館の自由に関する宣言

さて、先日は国立国会図書館の遠隔複写サービスについて書きましたが、図書館について書いたらこれも書きたくなってしまったので今日は、くらたの大好きな『図書館の自由に関する宣言』をご紹介します。

公益社団法人日本図書館協会(以下日図協)が1954年に採択した、公共図書館の根本にある考え方です。

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。
第1 図書館は資料収集の自由を有する
第2 図書館は資料提供の自由を有する
第3 図書館は利用者の秘密を守る
第4 図書館はすべての検閲に反対する

公益社団法人日本図書館協会「図書館の自由に関する宣言」1954採択 1979改訂から骨子

おー!しびれます!

先日ご紹介した、谷川俊太郎「未来」の、青空に向かって立てた竹竿のように、まっすぐに理想へ向かって、また未来へ向かってのびる言葉。それをもって歴史に連なっていこうとする言葉。

本当は遠隔複写サービスの記事の直後にこれを書くつもりだったのですが、谷川俊太郎「未来」をここで引用したかったから、先にそちらを書きました。

くらたが大好きな『虎に翼』で繰り返し引用される日本国憲法も同様ですが、こういうことをきちんと言語化してくれた先人に感謝しかない。
原文詳細は下記をご覧ください。

図書館は、知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供する

図書館は国民の知る権利を保障するための機関なのですよね。
そうはっきりと宣言してくれると、背筋が伸びます。

くらたは、これを知らない管理したがりの権力昭和おじに「書庫をつぶしてグループワークスペースや調理室を作りたい」と言われたことがある……。「新聞雑誌コーナーは場所は取るしお金はかかるし、いるの?(それより〇〇室を……)」とか言われたことも。
そういうときに現場として必ずお伝えするのは、図書館は国民の知る権利を保障することが第一の目的の機関であるということです。
書庫にせよ新聞雑誌コーナーにせよ、むしろそここそが図書館の勘所なのよ。新聞や雑誌こそ、鮮度の高い情報が掲載されている媒体です。

話がちょっとずれるけど、図書館周縁部のアレな方は権力昭和おじだけじゃなくて、もともと薄暗い図書館にも関わらず「節電のために蛍光灯を抜け」と言われたこともあります(照度計的なものは何も持たずに来て、建築職でもなければ安全管理者でもないのに……)。
蛍光灯数本分の電気代と引き換えに利用者の視力低下リスクを許容していいはずがない。照度計で測ったうえで過剰になっている分を外すのというなら理解できるけど、話は計測からですよね。

図書館は資料収集・提供の自由を有し、すべての検閲に反対する

数年前、文部科学省から、「拉致問題に関する本を集中的に集めて積極的に貸し出しするように」という主旨の通知が来たことがありました。

もちろん拉致問題の重要性については異論はありません。
しかし、図書館には館ごとの基準に基づいて常に必要な資料収集を行っているし、図書館の資料収集・提供は館ごとの自由。
資料収集について国の省庁からの指示が入ることは、図書館の自由を侵害し検閲につながりうるものです。

検閲は、権力が国民の思想・言論の自由を抑圧する手段として常用してきたものであって、国民の知る自由を基盤とする民主主義とは相容れない。

検閲が、図書館における資料収集を事前に制約し、さらに、収集した資料の書架からの撤去、廃棄に及ぶことは、内外の苦渋にみちた歴史と経験により明らかである。

したがって、図書館はすべての検閲に反対する。

図書館の自由に関する宣言 (jla.or.jp)

図書館が資料収集と資料提供の自由、検閲への反対を宣言しているのは、こういうことをしてくれるなよ、という牽制に他ならない。
当然、後日日図協が見解を示してくれました。

図書館は利用者の秘密を守る

図書館は、家族であっても、原則、貸出本のタイトルをお伝えすることはしません。個人の内心の自由を守るためです。
また、くらたが働いていた図書館は「読書通帳」の仕組みはありませんでした。資料を返却したら履歴は一切残りません。
このことに不便を訴える利用者さんもいらっしゃいました。確かに、自分がどれだけ読んだかが視覚的にわかるとうれしいですよね。
万一、権力が個人の内心について検閲を行うような世の中になってしまったときにも利用者の思想信条の自由を侵すことがないように、そのような仕組みになっていたのでした。
セキュリティについては可用性(≒利便性)と安全性はトレードオフの関係にあります。

大げさかもしれないけれど、図書館のそういうところも、自制が利いていて好きなところです。


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