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#34【追悼】Nさんのこと

いちめんのなのはな みたいな女性

先日、かつてともに学び昨年旅立った方をしのぶ会に行ってきました。卒業から7年も経つんだなあ。ともに学んだあとわたしは現実にかまけて学びの場から離れてしまいましたが、彼女は学びを続け後輩を育ててたくさんの人の目標になりました。
菜の花がお好きだったそうです。言われてみれば山村暮鳥「風景 純銀もざいく」(青空文庫へリンク)に表現された「いちめんのなのはな」がぴったりの、やわらかい、ひだまりみたいな笑顔の印象的な女性でした。一昨日、くらたの名前について駄文を書きましたが、わたしにとってのあこがれの名前のNの響きにはこの方のイメージが強くあったのだと思い至りました。

山吹色が好きだったこと。
内田樹さんを愛読していたこと。
身体的実感を言語化しようとしていたこと。

どれも初めて知りました。
Nさん、菜の花も山吹色も内田樹も、私も好きです。わたしのなかの何物かわからないものを言語化したくてnote.に書く練習を始めました。
今なら7年前より話せることがたくさんあります。
会場には彼女にちなんだ本がずらりと並べられ、それらはわたしにとって図書館職員の経験を経た今だからわかるものばかりでした。学校を訪ねるのが数年ぶりだったので臆していましたが、彼女が好きだったものがわたしをあたたかく迎えてくれた気がしました。そこにあるものにやっとわたし自身が少し追い付いた。翻って、当時は用意ができていなかったと改めて思います。

彼女の年譜に、同じ教室で学んだ者としてわたしの名前がありました。卒業式の写真では彼女の隣にわたしがいました。彼女のためというよりわたし自身のためにわたしは今日ここに来たのだと思いました。

自分のエゴかもしれない

くらたの家のお墓はお寺にありますが、わたし自身は何宗かもぱっと答えられないくらいの宗教的成熟度の低さです。ウチダ先生に叱られそうです。

知的でウィットに富んでいて大好きだった伯父が2020年に、世界の天井とも思っていた恩師の塾長が2021年に亡くなりました。そうしてわたしは、心の中のその人たちに語り掛けるようになりました。どちらも生前は飛行機で行くような遠方に住んでいたので、むしろ今のほうが二人とも身近にいるような気さえします。
そうそう、先日は、夢の中で伯父から電話がかかってきました。それも小さいころに住んでいた家の、ダイヤルを回すタイプの古い電話。うちのは黒じゃなくてベージュ色でした。出ると、伯父の声で「がんばれよ、じゃあな」とだけ言って、わたしが返事をする間もなく電話が切れました。わたしは伯父にそうやって励ましてほしかったんだと思います。じゃあ塾長はいつ夢枕に立ってくれるんだろうか。

一方で、亡くなったら急に身近にいるように感じたり、どなたかの命の終わりを何かを変えるきっかけにしようと思うなんて、自分のエゴなんじゃないかとも思っていました。人の死に直面しなければ何も変えられないなんて鈍感の極みです。わたしの何かを変えるためにひとさまの人生の終わりがあるわけではない。ひとさまの人生の終わりをそんなふうに自分に引き付けてはならない。

不在を埋めようとする切実な努力

しかし今回の会の中で複数の方が、「Nさんの〇〇という言葉の意味を今も考えている」「今日このタイミングで、Nさんがわれわれに何かを問うているのではないか」とおっしゃっていました。「Nさんがくれたきっかけかもしれない、あなたもぜひ学校に戻ってきて」と声をかけてくださった方もいます。
わたしはそれを、各人がNさんとの対話をこれからも続けていくという意思だと受け取りました。それはエゴなどではなく、大きな大きな不在を埋めようとする、生き残された者の切実な努力だと思った
けれど不在は埋まらない。
だからこそ努力は続いていく。


だから、わたしも対話を続けていくことにします。これから何かを考えるとき、わたしの中の伯父と塾長に加えて、わたしの中のNさん的視点がきっと指南をくれるでしょう。
Nさん、教室で見たあなたの言葉は暖かくてまぶしくて、密かにちょっと妬ましくて、そんな心をもやわらかく包み込んでくれて、最高に憧れでした。
わたしの心の中にいちめんのなのはなの笑顔で来てくれてありがとう!

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