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#231【虎に翼語り】第1週(3)「強か」ってなんだ?

今日もお読みくださってありがとうございます!
タイトル画像は、明治大学博物館で開催中の「虎に翼展」で展示されていた伊藤沙莉さん(たぶん直筆)の寅子イラストです。
引き続き、第3回について書きます。

↓ 公式サイトはこちら。人物相関図なども! ↓


第1週 The 1st stage "vs Mother Haru"

第3話 「強か」に立ち回る?

理由がわかれば少しはマシになる

寅子の「はて?」を聞いた桂場は「はて?!」と驚き&不快感を示しますが、法学教授・穂高(小林薫)は寅子の話を遮らずに聞き、その日の授業を聞くように促します。

授業終わりに感想を問われた寅子は、「すっきりはしなかったけどはっきりはした。私が漠然と嫌だと思っていたことすべてにつながる理由があったとわかりました」と答えます。
「それを知って君はこれからどうする」と更問する桂場。
それに対する寅子の回答は

(あっけらかんと)まだわかりません。
でも、理由がわかれば何かできることがあるかもしれない。
そう思えるだけで、今までと比べれば少しはマシといいますか、嬉しいと言いますか。

はあああああ、まだ何者でもない、でも未来に向かってあきらめない、現実変成力を持った強い言葉。どうせ叶わない、どうせ敵わないと諦めない、わきまえない言葉。
元気でるー!!
同じにするのは図々しいけれど、わたしがWAIS-IVやMBTI公式ユーザーのセッションを、高いお金を払ってでも受けたり、ここに文章を書いたりしてきた実感に近い。

小ボス・父にあっさり勝利

さて、穂高先生に、明律大学女子部への進学を誘われた寅子。
女学校を卒業し、女子部で3年学べば男子学生と同じ法学部に進めるとのこと(※)。
ちなみに明治大学は明治14(1881)年に「明治法律学校」として開校したそうです。だから「明律」なのですね!

寅子は父(岡部たかし)を味方につけて、まずは女学校の先生に進路相談に行きます。このお父さんが、というか猪爪家の男はなんか抜けていて父権的でなくいいキャラなんだよな。
一方で母はるが強権をふるっている。
そういう環境に育ったから、「女が無能力者」とされることに違和感を感じることができたのでしょうね。

寅子のモデルの三淵さんは父の勧めで「医学か法学かを学べ」と言われて法学部に行ったそうなので、少し異なります。

小ボス2・女学校の先生の屈託

ここで女学校の先生(女性)の反応がこの時代の「普通」を示しているのでしょう。

「お母様は?」
「大学を出るまでに最低でも6年(※)。卒業のころには寅子さんは20代半ばになってしまいます。」
「あまり学をつけすぎても……お嫁の貰い手が……」

「大学を出るまでに最低でも6年」
戦前の大学でも医科・法科は4年制だったそうなので、「女子部で3年学び法学部に進んだら7年では?」と思いましたが、3年制の女子部を卒業すると法学部2年に編入資格ができる=最短6年で卒業、ということのようです。
【当時の女子教育】
小学校6年 → 高等女学校5年(中学) → 女学校=女子高等師範学校4年(高校)

かくいう先生も職業婦人。
先生ご自身はどうだったのでしょうか。

この女学校のモデルはお茶の水女子大の前身だそうですから、寅子や花江はスーパーエリートでいいとこのお嬢さん。そういうご家庭の一般的な話として助言したのかな。

父と寅子がいなくなった後の教室で、一人佇む先生の姿が意味深でした。

1面ラスボス・母はるのまえに、中ボス・花江にも苦戦

さて、母はるが丸亀から帰ってきても、父は明律大学の願書を提出したことをはるに話してくれません。
式を控えた花江も、式を終えるまではるの機嫌を損ねるようなことをしてくれるなと寅子に頼みます。
本当に叶えたい望みなら"強か"に立ち回れ」というのです。


余談:泉屋のクッキー

また余談ですが、この回では泉屋のクッキーが登場します。
稲さんがお土産に持ってきて、帰京したはるさんと直明(永瀬矢紘)が二人でさくさく食べています。調べたところ泉屋さんは昭和2(1927)年に京都で開業したとのこと。第3回は昭和6(1931)年ですから、最新の流行り物だったのではないでしょうか?お金持ち同士の付き合いらしいですね。
古き良き硬めのクッキー。
あー泉屋のクッキー食べたくなっちゃったな。

第4回に続きます!

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