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みんなで取り組んでこそコミュニティの”越境”が実現する ~参加者と主催者の垣根をこえて〜

コミュニティに参加すること自体のハードルは低い。しかし、そこでどう振る舞っていくのか、そこで感じた違和感にどのような意味を持たせればよいのか、という課題に直面することもある。そこで、hitajicoの対話型ワークショップ「ひたすら自己紹介しあう会」の概要とその目指すべき理想を説明しながら「コミュニティの越境」を目指すためのロードマップを示したい。

自分らしくコミュニティで振る舞うためには、自分らしくあることのできる新たなコミュニティとの出会いが必要である。そこへ踏み出すためには、コミュニティの主催者がお膳立てするだけでなく、参加者自身の思いをぶつけ合うこともまた肝要である。

まいどあり!(hitajicoの概要説明)

すでに、何度も記事を読んでくれている方々には、しつこい説明となることをあらかじめご承知おきいただきたい。私は、hitajico(ひたすら自己紹介するサークル)という組織の運営にかかわっている。

hitajicoは、「何かしたいけど行動できていない」という参加者が、ひたすら自己紹介しあって自己理解を深め合い、新たな一歩を踏み出してもらう対話型ワークショップ「ひたじこ会」を開催しているサークルです。

現在では、毎週第4日曜日に、大阪駅前のグランフロント大阪タワーA 35階のさくらインターネット本社の一角で「ひたすら自己紹介しあう会」を定期的に実施している。

そして、今年より新たな試みとして、「オンラインひたじこ会」を始めた。オンラインかそうでないかでは、進行の方法や参加者の持ち時間が多少異なるものの、いずれも、今後もどんどん回数を重ねていく方針である。

自己紹介し合って、応援し合って、前へ

この活動についての理解を深めるために、その主な役割についても触れる必要がある。それは「多様なコミュニティから来た参加者どうしで自己紹介し合って、応援し合って、新しく自分らしいコミュニティへと飛び出すきっかけをつくること」である。

「ひたすら自己紹介」の名を冠した活動であるため、誤解されることもよくあるが、自己紹介というのは、あくまで自己表現のための一つの手段・方法でしかない

本来、第一に目指すべきは、参加者同士が互いに自己表現しあうことによって、それぞれの狭まった視野を広げ、前向きな可能性に目を向けモヤモヤした気持ちを、一歩前に進むための原動力に変換できるような時間を作り上げることである。

自分らしいコミュニティへ飛び込むということ

「自分らしいコミュニティへと飛び込む」というフレーズについては、より詳しく説明する必要がある。これをひとことでいえば「コミュニティの越境」である。

……心理的安全性を担保しながら人々が互いに本音を語りあえる場所は決して少ないわけではないのに、各々の横のつながりが希薄であるためリソースの限界によってリーチできる層が限られてしまい、本当に価値を届けたいところに届けられていない現状がある……

これは、以前の記事で、hitajico代表の松本が語っていた言葉である。

「誰かのために」という熱意を持ち、自ら進んで活動している人たちは決して少なくない。医療、福祉、まちづくり、ものづくり、スポーツ、司法、教育、芸術…というように、専門領域は多岐にわたる。

コミュニティはある価値観をもとに形成されるが、集まった人の価値観はそれぞれ異なる。しかし、そこで「価値観の多数派」に最適になるようにルール・常識が作られるので、どのコミュニティにも違和感をもつ少数派が生まれてしまう。しかし少数派は自信がなくてなかなか抜け出せない

ジャンルを問わず、こうした違和感を持ったまま悶々としていると、やがて耐え忍ぶことができずに消耗してしまう。どんなに魅力的なコミュニティであっても、そういう矛盾に直面することは決して珍しくはないはずである。

「ひたすら自己紹介しあう会」の参加者に共通するのは、現状に対するモヤモヤがあって、前へ進もうにも、そのすべが見つかっていないと感じているということである。

参加者の属性にだけ注目すると、男性こそ多かれ、多様なバックグラウンドを持った方々が集まっていることが理解される。サラリーマン(人材業界、不動産業界等)、学生、経営者、フリーランス…というような具合に、良い意味でまとまりがない。

そうした人々を導くにあたっても「コミュニティの越境」を進めていくことは意味があるし、コミュニティの共存共栄、ひいては、連携・連合を推し進める絶好の機会となるはずである。この活動の役割としては、

……新たな価値観や自分と出会い、自分らしいコミュニティの存在を知る。そして、自己紹介を通じて知り合ったメンバー同士で応援しあって、そこへの「越境」をサポートをしていく……

というものが挙げられるということは、念を押しておきたい。

これまで自分が属していたコミュニティの中で形づくられてきた「常識」を一歩引いたところから観察し、その違和感をあきらかにするだけで、少し前に進むことができる。

それは、既成のコミュニティをよりよくする(既成のコミュニティの中でよりよく生きる)ことでもあるし、それだけではなく、これまで自分が知らなかった新たなコミュニティとのつながりを見つけることでもある。現状の打開策のみならず、ワンステップ先のビジョンを提示していくこともまたこの活動の役割である。

参加者と主催者とのハーモニーを

そうはいっても、一歩踏み出すのには勇気が必要であるが、そのことを肌感覚でよく理解している人間が運営している活動であるから、気兼ねなく足を運んでいただきたい。「参加者」対「主催者」の構図に(現状)こだわっていない

この活動にかぎらず、「コミュニティの越境」をサポートする上で重要だと考えられるのは、参加者と主催者とがそれぞれの「音色」を奏で合うことである。

主催者が全てをお膳立てすることは難しくない。話題を提供し、想定される結論へと参加者を導くこともまた一つの方法である。そういうやり方が効果的な場合もある。

そうはいっても、そうではない場合もある。主催者がアウトラインを描きつつも、最終的にその場をどう着地させるかを参加者にゆだねることもできる。参加者にとっては少々ハードルを上げることになるけれども、そのことがかえって良いのではないかと思う。参加者にもプレーヤーになってもらい、「音色」を奏でてもらう

一歩踏み出すのには勇気が必要である」という前提のもと、参加者がそういう難しいハードルを乗り越えられるかどうか(手取り足取り教えてあげるのではなく)見届けることができるかどうか、ということを、主催者は逆に試されているのである。

コミュニティも人間が作り上げるものであるから、すべてがシナリオ通りに進むということはない。「越境」のハードルを全員が乗り越えるとはかぎらないが、できるだけそうなるよう努力することは可能である。

コミュニティ同士をつなげていくためには、ある特定の人物が主導するだけではなく、周囲のあたたかい見守り(忍耐)も必要であるだろう。



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