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名前屋(4) (4/4)

あらすじ
『名前屋』で名前を購入すれば、新しい名前での新しい人生を始めることができる。ずっと自分の名前にコンプレックスを持っていた「鬼山」は名前屋で名前を買うことで、新しい人生をスタートさせようと決意するのだが。
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 9月、毎年恒例の会社行事「ダルマ祭」が開催された。 

 ダルマのように何度でも起き上がる強い心を持とうと始まったダルマ祭は今年で四十八回目となる。社員が集まる会食パーティーで私は例年の通り挨拶を依頼され、マイクを握った。 

「皆様、お疲れ様です。営業戦略部部長〈おにやま〉こと〈きやま〉です」と例年通りのネタで挨拶を始めたところ、一瞬の沈黙の後、若手を中心に大爆笑が起こった。 

 予想外の反応に戸惑いつつも、私はしばらく事態が飲み込めなかった。しかし、挨拶を終えて壇上を降りる時、私はようやく自分が「丸山」だと忘れ、挨拶をしてしまったことに気がついた。いつぞやぶりかの顔から火が出るような恥ずかしさに、私は急な仕事が入ったフリをして、逃げるように会場を出た。

 行き場を失い、私はトイレの個室にこもった。 どんな顔で会場に戻ったらいいのか? 考えただけでも気が重く、私は便座に座ったまま絶望的な気分でうなだれていた。 

 どれくらいそうしていただろうか、急に話し声がして、トイレに数名が入って来た。 

「すげえ挨拶だったな」 

 誰かがそう口にする。私の心臓は否応無くバクバクと音を立てた。 

「な。少し冷やっとしたよ。おれたちが陰でそう呼んでるのバレてるんじゃないか?」 

「それはないだろう。おれたちが呼んでるのは[SNS]の中だけだぜ。会社で一回も言ったことないよ」 

「だよな」 

「自覚があるんだよ、丸山さん。自分でも"鬼"だと思ってるんだよ」 

「でも自分で"オニヤマ"なんて。正直おれ、丸山さんを見直したよ。思ったよりサバけた人なんだって」 

「ああ。実はとってもお茶目な人なのかも」 

「しかし兎に角、とっつきにくいよな。飲み会にも全くこないしさ」 

「そうそう。実際とても優秀な人なんだよ。もっと色々教わりたいけど、すぐ怒鳴るから怖すぎて質問できないんだよ」

 うちの部署の若手達であることは間違いない。一体誰なのだろうか? しかしそんなことはもはやどうでも良かった。 初めて聞く若手達の本音、私は自分の愚かさに気がついていた。私は名前を「丸山」に変えても結局、「鬼山」(おにやま)のままだったのだ。私は自分を省みず、全ての原因を「鬼山」という苗字のせいにしていた。そして「鬼山」であることで得た沢山の思いでとともに、先祖代々引き継いできた大切な苗字を捨ててしまったのだ。 

 私は自分が声を立てずに泣いていることに気がついた。私がしてしまったことはあまりにも大きかった。しかし全てが無駄だったわけではない。とりあえず会場に戻ろう。今度吉田と一緒に若手社員と飲むのもいいかもしれない。

「本当によろしいのでしょうか?」 

 男は神妙な面持ちで聞き返した。 

「ええ。本当に申し訳ないのですが。そうさせてください、自分の間違いにようやく気がついたんです」 

「後悔はないですね?」 

「はい」 

「わかりました。お値段、消費税を含め三百万円になります」 

「えっ?!」

 血の気が一気に引いていく。 

「丸山様、鬼山という〈苗字〉は実に貴重な〈苗字〉でありまして」 

 男はとても得意げに笑った。 

(『名前屋』終わり)

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