3時43分(6) (6/6)
あらすじ
「そういえば今日、会社が死ぬのを見たんです」
酔っ払った水野さんのその発言により、鏑木(かぶらぎ)の酔いは一気に覚めていった。だって、自分も午後に、同じようなことを感じたのだ。
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「なぜ『大樹』は倒れてしまったのでしょうか?」
僕はたずねた。
「それについて、私もできる限り調べ、ずっと考えてきました。しかし未だに原因はわかっていません。強いて言うなら『時が来た』そういうことなのかもしれません」
「……では、『大樹』の消失は会社にどんな影響を及ぼしたのでしょうか?」
「『大樹』の消失によって会社に関わる全ての人に小さな変化が起こりました。そしてその小さな変化が集まり、大きな変化を生みました。『大樹』があった会社と『大樹』を失った会社、確かにそれらは全然別なものであると思います。ご存知のように会社は今、大きく変わっています。まあ、私たち役員がそれを執行しているわけですが。しかし、この変化は少なくともうちの会社が経験しなくてはいけない一つの段階だと考えています。変化に前向きな人がいる一方、後ろ向きな人も多くいることは知っています。ただ、変化は常にそこにあるものです。人はどんな変化であれ、遅かれ早かれそれに向き合わなくてなりません。そして、変化すると言うことは、ある種の救いなのです」
おかわりのコーヒーが運ばれ、そこで話は小休止した。コーヒーを飲みながら、僕は変化が救いであると言うことについて、自分なりに考えていた。
「鏑木さんには今の会社がどう見えていますか?」
不意に月城さんは言った。
「……とても感覚的な話ですが、会社の平均気温が下がった。そう感じることがあります」
「なるほど……おっしゃる通りですね。どうでしょう。このままここで、仕事を続けられそうですか?」
おそらく月城さんに方便は通じない。だから僕は正直に答えた。
「わかりません。私はただ変化に翻弄されている人間の一人です。入社して
そろそ二年になりますが、未だに今の仕事に関して、迷いを感じることもあります」
「他にやりたい仕事があるのでしょうか?」
「いえ。ただ、最近、新田さんに僕のこの能力を活かせる仕事があるという話を聞いて。何でしょう、どこか心惹かれている自分がいます」
「ほう。それについて少し教えていただけますか」
僕は新田さんが僕の能力が向上しているのではと予想したことと、新田さんに誘われた仕事について話した。
「まず能力の向上についてですが、鏑木さんの能力が今、飛躍的に向上していることは確かかと思います」
「やはりそうなんですね」
「そんな時期は心身共に不安定になります。だからなるべく栄養と睡眠を多く摂るといいでしょう」
「はい」
「次に仕事についてですが、新田さんがやろうとしている仕事は、少なくと『裏の世界』の仕事になると思います。裏というのは裏社会の裏とはまた別の意味です。私たちの能力が捉えているのは、まさにその裏の世界の景色です。表の世界に居ながら裏の世界を眺めている訳ですね。ただ、裏の世界の仕事をするには、裏の世界に行かなくてはなりません。それは表の世界にいながら裏の世界を見るのとは全然違うことです。そして裏の世界に一度行くと、表の世界に戻ることは二度とできません。つまり、ずっと裏の世界で生きて行くことになるのです。それは想像よりはるかに大変なことです。その覚悟が鏑木さんにあるでしょうか? その覚悟が固まらない限り、私はあまりおすすめしません」
話を聞きながら僕は、月城さんが現在すでに裏世界にいて、裏の世界から僕にメッセージを送っている。そんな風うに思えた。
「最後に、『種の話』をしておきましょう」
その話を始めた時、僕は月城さんが今までとはまったくの別人になったように感じた。
「……屋上に残っていた残骸の話ですね」
「はい。先ほど少し話ましたが、大樹は最期に小さな種を残しました。あれは少し特殊な種でして、使い方によっては非常に危険なものなんです。だからはあの日、私はそれを回収するため屋上へ行きました。ただ、安全に回収するためにはそれなりの準備が必要でして、ちょうどそれの準備中、鏑木さん達が屋上にやってきました。ですから回収は日を改めて実施することにしました。ところが、それから二日後。私が次へ屋上へ行った時には、もう種はなくなっていました」
「……誰かが持ち去ったと言うことですか?」
「まあ、そう考えて間違いないでしょう」
「……月城さんは僕達三人の中の誰かがそれを持っていったと」
「はい。それは十分あり得るとと考えています」
「……」
「まあ、鏑木さんでないことはわかっています」
僕は新田さんが水野さんが実は屋上で何かを見つけたかもしれないと言う話を思い出していた。ただそれには何の根拠もなかったし、何だが告げ口するようで、結局その話は月城さんに話さなかった。
十時半、僕たちは『アンデルセン』を出た。いつの間にかそんな時間が経ったのか、月城さんと話していた時間は、あっという間だったように思えた。
「時間の概念はとても曖昧です」
何も言っていないのに、月城さんはそう口にした。
「あとね、『倒木更新』ってこともあるんですよ。覚えておいてください」
別れ際、月城さんはそう言った。
月城さんと喫茶店に行ってから二ヶ月が経った。今ではなんだかそれはとても昔のことのように感じた。月城さんにまた会いたい、そう思っても、こちらから月城さんとコンタクトをとることは難しかった。屋上に行く度、僕は月城さんがいないかと探した。けれど以来、月城さんと会うことはなかった。月城さんが役員を退任したという知らせが社内ニュースで通知されたのはそれからさらに一ヶ月後のことだった。
今日、僕はまた屋上へやってきた。
いつものように風が気持ちよい。どうしてか数日前から頭痛がやみ、僕の中にずっと存在していた一瞬の振動のようなものがおさまったようだった。それはとても穏やかな感覚で、僕は毎日仕事を淡々とこなすことができた。仕事が自分に合っているとか、やりがいとか、最近は特別そのことについて意識を向けることが減っているように思えた。
午後の会議の準備のため、少し早めに屋上を出発し、トイレに行く。手を洗おうとして、鏡で自分の姿を見た時、僕はハツと息を飲んだ。
見間違えではない。鏡に映る自分の胸のあたりに僕は小さな薄緑色の物体を発見した。『倒木更新』僕はその時その言葉を思い出した。一体いつからそれはあったのか。それは、生まれたばかりの小さい芽だった。それは弱々しくはあったが、少なくとも生を全うしようとする、力強さに満ち溢れていた。
(『3時43分』終わり)
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