3時43分(1) (1/6)
あらすじ
「そういえば今日、会社が死ぬのを見たんです」
酔っ払った水野さんのその発言により、鏑木(かぶらぎ)の酔いは一気に覚めていった。だって、自分も午後に、同じようなことを感じたのだ。
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「そういえば今日、会社が死ぬのを見たんです」
酔っぱらった水野さんがそう口にした時、僕もかなり酔っぱらっていたと思う。ただあまりにもびっくりして、酔いは一気に引いていった。
「午後、打ち合わせを終え、最寄駅から会社を目指して歩いている時です。会社のビルの屋上付近から、何か巨大なものが降ってくるのが見えました。半透明なそれはゆっくりと落下し、ビルの入り口付近に叩きつけられたかと思うと、すぐにフッと消えてしまいました。おそらくその時、うちの会社は死んだんです。オフィスに戻ると、もう会社は息絶えていました。もちろん他の社員は皆、誰もそのことに気づかず働きつづけていましたが……」
ワザとらしく真面目な調子を作って、水野さんはそう続けた。
僕の心臓はドクドクと音をたてていた。
緊張で喉はカラカラに乾き、唇は鉛のように重い。ただ、ここで発言のタイミングを逃すわけにはいかない。だから僕はなんとか口を動かす。
「あの……偶然かもしれませんが、僕も今日の午後、似たようなことを感じました」
水野さんとは対照的に僕は必死だった。
「午後のある瞬間、以前までの会社にはあった何かが失われてしまったように思えました。それが一体何なのか、それは分からないのですが……」
自分でも呆れる程、僕の話は荒唐無稽だった。ただ、僕の発言により水野さんの体からも酔いが消えていくのがわかった。
「それ、3時43分ですよね」
突然、ずっと黙っていた新田さんが言った。
僕の心臓がさらに大きく波うつ。 ……あの瞬間、ふと、机に置かれたデジタル時計が目に入った。液晶の文字盤には3時43分と表示されていた。
「……確かに、僕がそれを感じたのは3時43分でした」
僕の声は震えていた。水野さんにいたっては、まるでドッペルゲンガーを目撃した人間のような顔で新田さんを見つめている。
「私は3時43分を境に、会社の『匂い』と『色』が変わったのを感じました。ある種の匂いは消え、赤系統が強くなった。死んだというか、あの時間を境にして、会社は全然別の生き物になった。そんな感じでしょうか」
淡々とした調子で新田さんは言う。
沈黙が訪れた。
何かを言おうにも、言葉がうまく浮かばなかった。仕方なく残ったビールを少し口に含んで、ゆっくりそれを飲み込むと、ゴクリと大きな音がした。
水野さん、新田さん、僕(鏑木(かぶらぎ))の三人は会社の中途入社の同期だった。ただ、同期と言っても入社時期が同じだっため、一緒に研修や就業規則の説明を受けたぐらいで、年齢もばらばら、所属グループも違ったため以後、特別交流があった訳ではなかった。
ところが今日、偶然にも三人の退社タイミングが重なり、僕たちは会社のビルのエントランスでバッタリと出くわした。そして、その偶然に妙にテンションが上がって、そのまま勢いで飲みにいくことになったのだ。
「……正直こういった展開は、全く予想してなかったです。お二人とも僕をからかってませんよね」
水野さんが沈黙を破り、戸惑いを漏らした。
話は事実だが、酔っ払いの戯言として聞き流されるばすだったというのだ。 当然だ。僕だって今日の事を、まさか誰か他人に話すなんて夢にも思っていなかった。
「他人には到底理解されないはずの感覚が、偶然にも我々三人の間では共有できたってしまったってことですね。感じ方はまちまちでしたが、3時43分、会社に何かが起きたことは間違いなさそうですね」
新田さんは的確に状況をまとめ、それから水野さんと僕のグラスにゆっくりとビールを注いだ。未だに戸惑いから抜け出せない僕らとは対照的に、新田さんは少し楽しそうに見えた。
僕の心臓は未だ大きく脈打っていた。
つまり僕は、人生で初めて、自分と同じ人間に出会ったということなのだ。
「水野さんの目撃した『落下物』が鏑木さんが感じた『失われたもの』であり、その消失が原因で会社の色と匂いが変わった。三人の見解をまとめるとこういうことでしょうか。そうなると水野さんが目撃した落下物とは、一体何だったんでしょう?」
新田さんが水野さんにたずねる。
「……分かりません。結構距離があり、半透明だったので。ただ、かなりの大きさがあったように思います」
「なるほど……。しかしなぁ……こんな身近に『同じ人』がいたなんて。偶然か必然か?」と新田さん思わせぶりに言ってから「お二人はいつ頃からですか?」と続けた。
僕は再び緊張で唇が乾くのを感じた。新田さんはまるで自分と同じ誕生日の人を見つけたかのように簡単に言った。少なくとも僕にとって、これは人生最大の出来事なのだ。
「その様子だと鏑木さん『同じ人』に会うのは初めてですか?」
動揺している僕に新田さんが言う。
「……はい」
「なるほど。私の知る限り、この世界には私たちのような人間が一定数存在します」
「本当ですか?!」
「ええ、間違いありません。私は今まで、お二人以外にもそんな人達に会ってきました」
新田さんは今までに五人ほど、同じ能力をもつ人間に会ったことがあるという。そして、その経験を通して、この能力について、少し分かってきたというのだ。能力は早い人で三歳くらいから、遅い人でも十八歳くらいまでにはその発現が確認される。
能力を持つ者は、抽象的な物事の変化(例えば今回のような組織に起こる変化や人の心の変化など)を五感を通して感じとるという。能力は元来どんな人間にも少なからず備わっている。ただ、僕らのような人間はその感度が他人よりずっと高いのだと。
新田さんが自分の能力を自覚したのは小学校の五年生の時だった。ある時、担任の先生の心臓に色がついて見えるようになった。さらにその色は、日によって変わることに気がついた。
そして次第に、心臓の色によってその日の先生の体調や機嫌が分かるようになった。例えば、先生がカミナリを落とす日は、だいたいその色は群青色で、体調も機嫌も悪い日だった。
「鏑木さんの初めてはどんな体験だったんですか?」
新田さんが僕に聞いた。
「高校一年の時、教室で浮遊する『多面体』を見ました」
あれは高校一年の春のことだ。クラスは六月の合唱祭を目指して練習に励んでいた。なかなかまとまらなかったクラスが合唱祭の数日前、初めて一つになったと感じたあの瞬間、僕は教室の天井あたりに八面体の物体が出現するのを見た。
八面体はその後、多少の形態を変化を繰り返しながら三月にクラスが解散するまで教室の天井付近に浮遊し続けた。
「水野さんはいつ頃から?」
ずっと沈黙していた水野さんに新田さんがたずねた。
「私は3歳の時には」
「早い! じゃあ、今では相当能力が進化しているのではないでしょうか? 個人差はありますが、一般的に能力は毎年少しづつ進化するんです」
「はい。なので最近は、自衛のためなるべく感知しないようにしてるんです」
「なるほど、つまり遮断方法を身につけたってことですね」
「はい」
オーバーレシーブ。新田さんはそう説明した。
能力をもつ人の中には能力が発達しすぎた結果、身の回りの変化を感じすぎてしまう人がいるという。事実、世界は変化に溢れていて、中には知るに耐えない変化もある。それらを全て感じ取っていたら、精神がおかしくなってしまう。
新田さんも水野さんも昔はオーバーレシーブに苦しんでいた。ただ、次第にそれを上手く遮断する方法を身につけたという。
それから二人はしばらく遮断方法について話し合っていた。当然、僕にはその話の意味がほとんどわからなかった。話を聞く限り、どうやら二人が変化を捉える頻度は僕よりはるかに多いようだった。
「今後会社はどうなるんでしょうか?」
二人の話が一段落したところで僕は二人にたずねた。
「先程、会社は死んだといいましたが、それは会社が潰れるということではないと思います。売り上げは毎年着実に伸びていますし、ただ、以前までの会社は今日で死んでしまいました。つまり不可逆的な変化が起きたということです。会社が前の状態に戻ることは二度とないと思います」
水野さんがきっぱりと言う。
「まあ、別の生き物になったわけですから、少なくとも色々なことが今までとはだいぶ変わってくるでしょうね」
新田さんは言った。
どうやら二人とも今後の会社が変わって行くという点では異論はないようだった。確かに会社からは何かが失われていた。ただ、僕にはそれによって会社が変わって行くという実感がまだもてなかった。一体水野さんが目撃した落下物とは何だったのか、それを知りたかった。
(『3時43分』(2) に続く)
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