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3時43分(5) (5/6)

あらすじ
「そういえば今日、会社が死ぬのを見たんです」
酔っ払った水野さんのその発言により、鏑木(かぶらぎ)の酔いは一気に覚めていった。だって、自分も午後に、同じようなことを感じたのだ。
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3時43分(6)


    七時丁度、僕は『アンデルセン』に入店した。 

 月城さんは予想通り既に入店し、僕を待っていた。
 午後に社員名簿を検索し、月城さんは会社創立メンバーの一人で現在は非常勤の役員をしていることがわかった。流石にそこまで偉い人だと思っていなかったので、僕はかなり緊張していた。
  
 僕が席に着いた時、月城さんはケーキを選んでいた。

「ケーキを食べてからで良いでしょうか?」

 月城さんは平社員の僕に対して、相変わらずとても丁寧な口調だった。

「はい。もちろん」

「年寄りのくせにこれだけはやめられません。ここのケーキが大変気に入って、毎回会社に来た時には立ち寄るんです。些細な楽しみです。ただ、それだけで十分人生に潤いが生まれるものです」

 僕は無言で頷き、カプチーノと少し迷って、結局、月城さんと同じモンブランを注文した。

「人生観が変わるモンブランです」

 月城さんはそう言って微笑んだ。

 コーヒーとモンブランが運ばれると、僕はそのカップや皿に目を留めた。それらはどれも一点ものであろう。陶器製のそれらはどれも個性的で深い味わいがあり、同時に清々しさも含まれている。

「いいでしょう」

 僕の視線に気がついた月城さんが得意げに言った。

「ええ」

「毎回違うデザインを楽しめます。同じデザインになったことがない」

「すごいですね」

「私がボケて忘れてるだけかもしれませんが」

「はは」

 僕はつい笑ってしまった。
 モンブランは期待を遥かに上回る美味しさだった。豊かな栗の香りがして、絶品のムースは舌に豊かな響きを残し、一瞬で口の中でとろけた。

 静かな時間だった。二人ともしばらく無言でケーキを食べ、コーヒーを飲んでいた。なぜだろうか。ここへ来る前は随分緊張していたはずなのに、月城さんと接していると自然に緊張がほぐれた。

「さて、屋上の続きでしたね 」

 ナフキンで丁寧に口を拭き、月城さんは言った。

「すみません、先に一つ教えてください。鏑木さんはあの日の3時43分、何を感じたのでしょうか」 

 僕はそこであの日の話をした。たまたま三人の帰りが重なり飲みに行ったこと。僕らが共有した感覚について。月城さんはなんども頷き熱心に話を聞いていた。

「やはり実物を目撃したのは水野さんだったんですね……」

 月城さんの第一声はそれだった。やはり、月城さんは水野さんのことも知っているようだった。

「少し細かいことですが、『屋上に行ってみよう』と最初に言い出したのは、三人のうちどなただったんでしょうか?」

 月城さんんがなぜそんなことを聞くのかわからなかった。
 少なくともそれは僕ではない…………二人のうちのどちらだったか?…………『屋上からソレが落ちてきたということは考えられませんか?』そう言ったのは…………そう、新田さんだ。
  
「新田さんだったと思います」

「なるほど、彼ですか」

 月城さん何度か頷き、そのことに思いを巡らしているようだった。

「……それは重要なことなのでしょうか?」

 僕は勇気を出してたずねた。

「まあ、場合によってですね。それについてはのちほどお話しします」

「分かりました」

「ここで告白しますと、実は私は入社当初からずっと、君たち三人、つまり鏑木さん、水野さん、新田さんに注目していました」

「やはり、月城さんは二年前の中途面接の時、僕達全員に会っているんですね」

「はい。そうです」

「その時にはもう、僕達が特殊な力を持っていることに気付いていたんですか?」

「いえ。それはごく最近のことです。私が当時三人に注目したのはまったく別の理由からです。バランスの取れた組織を作るため、人を8タイプに分ける私独自の分類法があります。そして鏑木さん達はその分類で『受信者』に当たるんです。『受信者』は非常に貴重でして、私の感覚だと一万人に一人くらいでしょうか。『受信者』の最大の魅力は人がなかなか感じ得ない些細な変化を感じ取れることです。人のこまかな感情の流れや本音、部署やチームのちょっとした雰囲気の変化、そんなものを敏感に感じ取り、それらを整える行動をとる。だから『受信者』は組織には不可欠なんです。それが二年前のあの時期、同時に三人も集まってきてくれた」
  
「買いかぶりです……そんなことができている自信はありません」

「いいえ。現に君たちはそれぞれのグループでその能力を発揮していたと聞きます。些細な変化、問題を感じ取り、グループ、組織が円滑に活動できるように小さな行動を沢山していた。決して派手ではないが、それは組織にとって大きな助けとなっていた。だから私は、水野さんや新田さんが退職してしまったことは会社にとって大きな痛手だと考えています」

「……」

「さて、落下物について話しましょうか。水野さんが目撃したと言う落下物ですが、あれはうちの会社が創り出した『大樹』』です」

「『大樹』ですか?」

「はい。会社には長らく『大樹』が存在しておりました。正確には会社成立当初に出現した苗木が『大樹』にまで成長し、あのビルの屋上に根をはり生存していたわけです。会社に勤める人、行うサービス、そんな会社に関わる全てが『大樹』を生み出したのだと思います」
  
 会社が生み出した大樹。僕はまた、あの高校の時に見た『八面体』を思い出した。なんで『八面体』だったのか、今でもそれは分からない。ただ、確かにあの『八面体』は僕たちのクラスのなにがしかを、その存在の糧にしていた。だからあれはクラスの解散とともに消えたのだ。

「しかしあの日、『大樹』は倒れました。なんの前踏まれもなく突然です。倒れた『大樹』はフェンスを越え、屋上から落下し、地面に叩きつけられました。ビル全体に大きな音が響きました」

『大樹』が地面に叩きつけられる音、僕には聞こえなかった。水野さんはそれを聞いたのだろうか?   僕は『大樹』がまだ存在していた時の屋上を想像してみた。『大樹』があの屋上の風を受けてその葉を揺らす。おそらくそれは雄大で、荘厳だっただろう。一度それを見てみたかった、そう思った。

『3時43分』(6) に続く)

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