飲み会解散
店にはおよそ87人ほどの客がいて、素晴らしいことに9割の人間は酔っ払っていた。そしてみんなその口を実に巧みに使っているのである。つまるところ、口を使って酒を飲み、つまみも食って、さらに、なんとその口を使って喋っていた。
みんな、だいたい2〜10人くらいで飲みに来ているようで、仲間と大声で談笑していた。けれど実際のところ、グループの中では愉快になる人間がいる一方、不快になる人間もいるようだった。
8時だったか、9時だったか、突然、その男は現れた。つかつかと店に入って来たというのが正確かもしれない。男はダッフルコートを着込んで、頭にはロシア帽をかぶっていた。
「きけ! 酔っ払い!」
拡声器やマイクを使っている訳ではないのに、よく通るそのばかでかい声はフロア全体に響いた。
「酔っ払っていない奴もきけ! 静かにきけ!」
少しトーンを落として、男はそう続けた。その頃には客のほとんどが彼に注目していて、かなりの酔った客が彼をやじるくらいで、店はだいぶ静かになっていた。
「だってこれから話すのは------------」
冒頭こそ大きかったが、言葉の最後は消え入るようなかすかな声で男は言った。それが男の戦略だったのかはわからない。ただ思わせぶりな発言のくせに、その重要な最後の部分が聞こえないその状況は、男への注目を一層強めた。その時、店は完全に静かになっていた。
一体男は次に何を言うんだ。みんな男の次の発言を待っていた。
「飲み会が泣いている、もうずっとだ」
誰もがキョトンとした。場合によって誰かが笑いだすのではないか、そう思われたが、男の顔は真剣そのもので、そこに笑いが入り混む余地はなかった。
「これからルールを言う」
「人の悪口を言うな!」
「ここにいない人間の話をやめろ!」
「てめえの自慢、武勇伝はやめろ!」
「誰かをいじって時間を稼ぐな!」
「抑制された性欲を漏らすな!」
「過去の話をするな!」
「未来の話もするな!」
「仕事の話もするな!」
「それが守れない奴は、今すぐとっとと出てけ。金などいらない。俺が全部払ってやるから。とっとと出てけ!」
店には異様な静寂が訪れた。ヤジも笑いも起きなかった。なにせ男は今には泣き出しそうなくらい、本当に真剣な顔をしていたからだ。
しばらくあって、ついに一グループが席を立ち、それを皮切りに続々と他のグループも席を立った。男の言葉をどれだけ真剣に捉えたのかはわからない。中には会計がタダになるチャンスだと考えた人間もいたはずだ。ただ、その時どの店員も、男に賛同するかのごとく手を後ろに組んで、無言で直立していた。彼らはレジで会計処理にも応じなかったので、席にお金を置いて人々は店を出て行った。
10分もすると、とうとう店には僕以外の客がいなくなってしまった。僕はもともと一人で飲みに来ていて、別に今後もルールを守れそうだったので残っていたのだ。
不意に、ルールを叫んだ男が僕のテーブルにやって来る。
「ここいいでしょうか?」
僕の心臓は高鳴る。僕の返事待たずして、男はすでにコートを脱ぎ、帽子を脱いだ。
「その帽子素敵ですね」
僕は男に言った。
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