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借りパク奇譚(10)

その日、山田は仕事終わりに神宮球場の前で柳田を待っていた。一体、柳田が今日は誰を連れてくるのか? ヤキモキしていたところ、突然柳田から電話がかかってくる。

「急ですまない、今日は仕事の都合で行けそうにない」と柳田。

仕方がないので、一人で観戦しようと思っていた矢先、柳田の口から信じられない言葉が飛び出す。

「今日の試合、千佳も楽しみにしてたんだよ。千佳を貸すから、わるいけど今日はふたりで観戦してくれるか?」

一瞬でいろんな感情が沸き起こる。千佳に会えるというこの上ない嬉しさと柳田の何気ない一言に対する怒り。千佳ちゃんは物じゃねえんだから、”貸す”とか言うなよ。この何股”カス”野郎!────とは言えず、「ああ、いいよ」と返事をする。

確かにその日はヤクルトが優勝戦線に残れるかを賭けた大事な試合、自分も柳田も楽しみにしていた。最近我々の影響ですっかりヤクルトファンになっていた千佳が観戦したいと思うのも当然だった。

その日の試合の詳細はほぼ覚えていない。気がつくとヤクルトは負けていたが、自分でもびっくりするくらいどうでも良かった。人生最高の時間だった。野球より千佳を見ていた。

浮かれた山田は調子に乗って試合後に千佳を飲みに誘い、ちゃっかり連絡先までゲットした。それを聞いたところでどうなるものでもなかったが、湧き上がる衝動を抑えることはできなかった。

それでもやはり、千佳に積極的に連絡する訳にはいかなかった。いくら柳田が何股もしていようが、千佳は柳田の恋人、友人の恋人である。だから千佳とは、時々軽いメッセージをやり取りするにとどまっていた。

奇跡のデート以来、柳田と千佳と3人で野球を観戦することは今まで以上に辛くなった。また柳田が急用でこれなくなるようなミラクルが起きないか、本気で願ったりもした。

秋が深まり、プロ野球はオフシーズンに入ってしまった。当然野球観戦へ行くこともなくなり、柳田とは会わなくなった。つまり千佳とも会えなくなった。

さびしかった。驚くほどの喪失感が自分の中にあった。今となっては柳田と千佳と3人で野球観戦をした、あの拷問のような時間すらいとおしかった。

悩んだ挙句、山田は千佳にふたりで会えないかと連絡することにする。春になってペナントレースが開幕するまで待つことはできなかった。柳田が千佳の恋人であることはわかっている。ただ、柳田は千佳に対して不誠実。それを盾にする訳ではないが、自分の気持ちを伝える権利は自分にもあるはずだ。山田は1週間かけ千佳へ送る文面を完成させた。

お久しぶりです。お元気ですか? プロ野球もオフシーズンに入り、最近千佳さんの笑顔を見れる機会がなくなってしまい正直 寂しいです。旨いうどん屋を見つけました、よかったら今度ふたりで食べに行きませんか?

うどんが好物という彼女に、山田はそうメッセージを送った。もう半分告白している、我ながらかなりストレートな内容。返信は来ないかもしれない。ただ、その時は潔く諦めればいい、それだけのことだった。ところが、メッセージを送って5分も経たずして返信がくる。

うどん、いいですね! 今度というのはいつですか。もしかして今日ですか?(笑)

はい。今日です!

大慌てで美味いと評判のうどん屋を片っ端から検索し店を決めた。3日前に行ったばかりだったが美容院に駆け込み、3日分の髪を切り、イケメンヘアーにセットしてもらう。家に帰り少ない服の中からベストコーデを選出し、顔を3回洗い、歯を5回磨いて、それから『女性がまたデートしたいと思う喋り方』など等を調べていたら、あっという間に出発時間のギリギリになっており、山田は最寄り駅まで全力疾走した。

あろうことか、うどん屋は閉まっていた。改修工事中。ふたりともお腹がペコペコだったので、結局うどん屋の近くにあったバーガーショップへ行った。めげずに次に計画していた話題のパンケーキ屋へ向かったのだが、パンケーキはすでに完売。結局、近くの喫茶店でケーキを食べた。神よ! おれに協力しろやコノヤロー!と天を睨みつつ、めげずに最後、山田は計画していたバーに千佳を誘った。彼女は相変わらずの笑顔でOKしてくれた。

2人は新宿の裏路地にある、地下のバーにやってきた。

ビールを1杯、カクテルを3杯、緊張をしずめ、テンションをあげ、山田は切り出す。

「前に、柳田が急に仕事で来れなくなって、ふたりで観戦したことがありましたよね」

「はい。あの時は悔しかったですね」

「……ええ、確かにヤクルトは負けちゃって残念でした。ただ、あの時おれは悔しさを忘れるくらい楽しかったんです」

「私も楽しかったですよ」

「……それは良かった」

「哲平はあの時もドタキャンでしたね」

ドキリとした。彼女が柳田の下の名前を呼ぶのを初めて聞いたからだ。

「ええ、千佳さんを ”貸す” なんていってました。あ、すみません、あいつを悪くいうつもりじゃないんですけど……」

「あの人はよくそういう表現をします。実際、そんな深い意味はないんでしょうけど……ひどい人です。今日もデートをドタキャンされました。急に他の女の子とデートしたくなったんだと思います……」

運が良いのか、悪いのか、山田はちょうどドタキャンされた直後に彼女を誘ってしまったらしかった。

「……それでも柳田が好きなんですね」

「……もう半分意地みたいなものですね。実際、今、自分が彼のことをどう思ってるのか、わからなくなるときがあります」

「……おれは、おれは千佳さんが好きです! 誰より好きな自信があります。あなたの笑顔を見ていると幸せな気持ちになるんです。ずっと一緒にいて、ずっと守りたい。あの日、柳田はおれに千佳さんを貸すといいました。あいつはそんな深い意味で言ったわけじゃないかもしれませんが、おれは自分でもびっくりするくらい腹がたちました。千佳さんは物じゃない。ただ、あえてあいつの表現を使うなら、おれは柳田からあなたを借りたままにしておきたい。返したくない! だから、だから、このままおれに借りパクされてくれませんか?」

(11)に続く


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