ドイツ留学ついに終了。42か国を旅した一年
こんにちは。
ドイツ・ミュンヘンに留学していた大学生、桜です。
長らく更新していなかったのですが、実は帰国したのは夏の終わり。
燃え尽きてしまい何も手につかない日々が続いていましたが、
師走になる前に(旅やドイツ生活の下書きは山ほど残っている)、
私のドイツ留学を一旦締めくくっておこうと思います。
ちなみにサムネイルは、イスタンブル滞在中にガザの戦争が起き、外務省からのメールを見て急遽旅程を変更してできるだけ男の子っぽい格好をして空港に直行した、忘れられない日の写真です。
日本に帰って来て
私は大学の交換留学プログラムを使い、一年間ミュンヘン大学で勉強していました。
ここでは割愛しますが、留学の詳細はこちらから↓
これは、厳しい暑さが残る日本の空気を一年ぶりに吸った、関西国際空港での写真。
一年ぶりの日本語のアナウンス、日本の匂い、家族の顔。
前日にトランジットの時間を使って灼熱のドバイを歩き回った疲れもあって、帰国ゲートをくぐった途端、全身の力が一気に抜けたのを覚えています。
間もなく燃え尽き症候群みたいになってしまい、抜け出すのに数か月かかりましたが、それくらい怒涛の一年間を過ごしたなあとも思います。
ということで、初めての海外生活の振り返り。
私の留学生活
こなしたことのない量と大変さだった数々の手続きを乗り越え、多国籍な学生たちとともに勉強し、日本でしたことが無かった余暇の過ごし方を覚えたミュンヘンでの生活でしたが、
あえてひと言で表すならこの一年は、壮大な「旅」だったなあと思います。
というのも、結局一年で行った国は42か国にものぼり、このnoteもいつしか旅の記録に変わっていました。笑
上半期
「ここでしか学べないことを学ぶ」と意気込んで、勉強に励もうと決意した留学開始当初でした。
数百ユーロ払って語学コースに行き、修士向け・理系の授業を教授に頼み込んで文系学士でありながら受講し、毎日カフェに通いつめ、
日本に帰って自大学で単位互換をするために、ついていけないドイツ語の授業を何とかして嚙み砕こうと奮闘した半年間でした。
初めは全く理解できなかった先生と生徒の間で繰り広げられる議論も、そこに加わることはできないもののだんだん聞き取れるようになっていき、
知り合いゼロだったのにだんだん友達が増えていき、
バイトや買い物、人付き合いもいつしか生活の一部になりつつありました。
気持ちの変化
春休みを迎えて冬学期を振り返り、日本で過ごしていたような大学生活をドイツでも送れるようになってきたなあ、と自身の成長を感じる反面、
下半期も同じように過ごして日本に帰ってしまうことへの違和感も感じていました。
「これが本当に”ドイツにいる今”しかできないことなのか?」
と、モヤっとした精神状態のまま過ごした春休みでしたが、
勉強モードから一転、長期休みは精一杯楽しもうと企てた各国への旅行が大きな転機に。
そこで私が下した大きな決断は、「できるだけ旅に出よう」でした。
それも、週末を旅行に費やすに留まらず、残り半期は旅を最優先事項に生活しようという決断でした。
そういえば、一番初めの記事でもこんなことを書いていた↓
「日本ではできない経験は、勉強ではなくむしろ生活のほうにあるのではないか」
本当にこれに尽きるな、と今考えてみても思う。
ヨーロッパにいるという、地理的にも経済的にも旅しやすい状況と、幼少期から高かった旅への意欲、そして今まで勉強してきた歴史やその他の知識を生かし、若いうちにしかできない貧乏くさくて冒険的な旅をしようと心に決めた春の終わりでした。
下半期
下半期は、興味本位で登録した生物学や政治の授業は継続していたものの、単位互換のための授業を取るのを完全にやめ、バイトで稼いだ月何百ユーロを切り崩して、行ってみたい場所にひたすら行く日々。
ヨーロッパはどの国も似たようなものだとよく聞きますが、その真偽を確かめたくて、ウクライナ・ベラルーシ・モルドバを除くヨーロッパほとんど全国を、そして時にはアフリカにも旅しました。
細かな様子はこれから記事に残していこうと思いますが、
行く先々で出会う多様な文化的、政治的、宗教的背景を持った色んな人種の人たちとの会話一つひとつ、衝突の一つひとつが、
私の今後を少しずつ、でも確実に変えてくれることになるんだろうと感じていました。
そして、新しい経験を普段住んでいるミュンヘンに持ち帰るたびに、
今まで見たことの無かった見方でミュンヘンを見つめ、政治の授業では旅先で出会った彼女や彼の言葉を思い出し、バイト先では(お客さんに旅行客が多かったので)行った場所に関する共通の話題が格段に増えてコミュニケーションが深くなり、
平たく言ってしまえば、より充実した留学生活を送ることができるようになりました。
私にとって留学とは
「知らない」を「知ってる」にしようと、ひたすら切羽詰まって生きていた一年でした。
知りたくなかった現実もたくさん知って、しばしば、自分がどれほど素晴らしい国に生まれたのか身をもって感じました。
日本が大好きな自分にも気が付きました。
それでも、足を運び肌で感じないと分からない魅力を精一杯探してきたことに後悔は全くありません。
何も知らなかった(し、まだまだ何も知らないんであろう)私がこの留学で得たものを書きたくて、久しぶりにnoteを書きました。
知らない場所で生きていく
まずは、知らない場所で、知らない人ばかりを頼って生きていくことを覚えた一年でした。
言語も味も気候も、熱を出したときの対処方法も、歴史的・宗教的にどんな行為がタブーとされるのかも、日本と全く違う世界でした。
生命力と忍耐力をひたすら鍛えられたなあと思います。
この経験がある・ないでは、崖っぷちでの踏ん張り、いや、そもそも「崖っぷち」の基準が違っていくんだろうなと思います。
そして、知らない場所で生きている人たちは私に、全く知らなかった、選択肢に上がらなかった生き方を教えてくれました。
40歳で修士号を取るために北欧を渡り歩いて勉強しているナイジェリア人も、経済的に旅には出られない代わりに現地で観光客を案内しながら大学生活を送るエジプト人も、30歳で仕事を辞めて長距離バスでヨーロッパじゅうを旅するクロアチア人も、
私の凝り固まった「こうあるべき」をぶち壊してくれました。
帰りたいと思える場所
ミュンヘンという、帰りたいと思える場所が一つ増えたこと。
この一年が私にくれた一番大きなものです。
途中で気持ちの変化があった、だから旅に出た、と言いましたが、
その当時「ミュンヘン生活に慣れてしまったなあ」という気持ちを感じることができた瞬間の嬉しさを忘れることは一生ありません。
少し大袈裟かもしれませんが、
これからの人生「死んでしまおう」と思うことがもしあったら、とりあえずここに戻ってこようと思える場所にもなりました。
そしてそんな場所は、旅をしていく中でいくつも増えました。
”人”よりも”場所”に帰属意識をもつ自分にとって、これらの経験はこれから何よりも支えになっていくんだろうなあと感じています。
それと、この写真は帰国便に乗る前に見納めに撮った、(一旦)最後のミュンヘン市庁舎。
これからは数々の旅やドイツ生活での出来事を、忘れないようにnoteに残していきます。
留学生活は一旦終了、
よく頑張りました!
それではまた!