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羽生結弦選手の「報われない努力」発言を聞いて

連日の北京五輪、盛り上がっていますね。

私もスポーツ観戦は好きなので本来ならテレビにかじりつきたいところなのですが、我が家は子供部屋がなく、リビング勉強スタイルなので我が子が勉強している時間帯はテレビを見ることができません。子供がテレビも見ないで勉強を頑張っているのだから、私もテレビを見るのは我慢しよう…と思ってネットで速報や結果を注視しています。幸い(?)我が子はあまりスポーツに興味がないのでそんなにオリンピックを見たがることはないのですが。

リビングで勉強する子に遠慮して平日昼のみ楽しむ五輪

学校や塾で不在の平日昼間だけは中継が見られるのですが、それも学級閉鎖や休校などで我が子も在宅が多く…(苦笑)。

さて、あまりリアルタイムで中継を見られていない中でも印象に残っているのは男子フィギュアスケートです。鍵山選手、宇野選手のメダル獲得は率直に嬉しいことでした。それと並んで羽生選手が4位に終わった件ですよね。

私はこれまで特に羽生選手のファンというわけではなかったのですが、涙をこらえてインタビューに答える姿にはこちらももらい泣きしそうになりました。

そして「報われない努力」という表現を聞いた時にドキッとしました。少し前に同じ表現をこちらの投稿↓の中で使っていたからです。

正直、こちらを書いた時に「報われない努力」という表現は自分でもどうかな…と半信半疑で書いたのですよね。最後の方で「たとえ志望校の入試が残念な結果だったとしても、決して報われないということはない」というようなことを書いていますけれども。

つまるところ、目標をどこに置くかですよね。五輪で4回転アクセルを成功させメダルを取るための努力だととらえれば「報われなかった」ということになるでしょうし、受験勉強も志望校に合格するために努力したということだと「報われなかった」という表現になるのもいたしかたないのかもしれません。少なくとも当人はそう感じるのでしょう。

しかし、もっとマクロに考えると、傷ついても立ち上がる、誰も到達したことのない高みを目指して果敢に挑戦したことに意義があったと思えば決して報われないものではなかったし、勉強も、いろいろなことを我慢して志望校を目指して必死で努力したという経験、そして志望校に届かなかったとしてもその間遊んでいたら獲得できなかった学力を身につけた、と考えれば報われない努力ではなかったと言えると思います。

ですので、「報われない努力だったかもしれないですけど」と言った羽生選手も、「そんなこと言わないで、報われなかったなんてことはない」というファンの声も、どちらも真実だなと思いました。

オリンピックレベルのアスリートに重ね合わせるなどおこがましいのですが、選手たちが目標に向けてストイックに努力する姿には、大いに受験とも共通するものを感じています。もちろん勉強でなく、たとえばピアノだとかバレエだとか将棋だとか、他の分野にも共通することかと思います。一生のうちに必死で努力する経験をすることは、必ずやその後の人生の糧になると信じています。たとえどんな結果でも、「報われなかった」なんてことはない、と。


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