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【後編】平日に東京から草津に行って、温泉とグルメを満喫してみた

こちらの記事は、以下の記事の続きです。

朝。宿の露天風呂+「手作り豆かんてん」

夜中に何度も目が覚めてしまった。街灯の光が部屋に差し込んでいたからか、部屋に硫黄のにおいが入り込んできたからか。これも豊かな温泉の副産物。草津ならではの体験だ。

朝、宿で朝食をいただく。3種類のパンに、サラダ、生ハムメロン、目玉焼きとハム、そしてパンに入ったクリームコーンスープ。
お茶やコーヒーはセルフで飲み放題。パンは手づくりとのことで、どの料理の味もよく、かなり満足できた。

朝食の後に、今回の草津旅の最後の温泉として、宿の露天風呂に入る。源泉かけ流しの露天風呂だ。「湯畑」から来ている湯のようだ。ひとりずつしか使えないため、貸し切り状態。
ここも昨日入浴した「御座之湯」と同様、最初は少し熱いが、徐々に慣れてくる。肩まで浸かり、心地よさに身を委ねる。気をつけないと、倒れるまでずっと入っていてしまいそうである。

風呂から上がり、部屋を片づける。少しゆっくりしてチェックアウト。宿で「熱乃湯」のチケットを購入。現場で買うよりも少し割引になる。

「熱乃湯」というのは、「湯もみ」の様子を実演してくれる施設だ。
草津の源泉は、最高で95℃もあるという。そのままではとても入ることができない。しかし、水を入れてぬるくすると、温泉の効能も薄くなってしまう。
そのジレンマを解消するため、木の板で湯をかき混ぜることでお湯の温度を低くする技術が生まれた。それを「湯もみ」という。
この熱乃湯では、観光のガイドも兼ねて、草津の歴史や湯もみを含む入浴法などをムービーや司会の説明で紹介した後、湯もみの実演となる。

盆踊りの音頭のようなゆったりとした唄と掛け声に合わせて、女性たちが踊るようにして湯をもんでいく。
湯もみに使う木の板は約180cmあるそうで、湯の抵抗も加わってそれなりに重いと思われるのに、軽々と扱っている。
これは湯もみ①で、女性たちは左右の足に重心を移し替えながら、板を180度ずつ左右交互に回す。
次に湯もみ②(正式名称はわかりません)が行われた。これは唄の途中から、スクワットのような要領でしゃがみ込み、その勢いを使って板で湯を跳ね上げるという動作が加わる。
跳ね上がった湯が風呂に戻る際の音が、唄に合わせてリズミカルに何度も繰り返される。これはロックンロールだろうか。この公演では5人で湯もみをしていたが、大きい浴場で大人数で行ったら、かなりの迫力になるのではないだろうか。

以前は公演後に体験できる機会もあったようだが今はやっておらず、これで湯もみのパフォーマンスが終わる。次はカフェでおやつでも。「西の河原通り」にある「だんべえ茶寮」というお茶屋さんに入る。
ここの「手作り豆かんてん」が目当て。あんみつをベースに、アイスクリームとそれと同じ量のあんこが乗っているスイーツである。『ことりっぷ』に載っていたので食べたかったのだ。
久しぶりにあんみつ的なおやつを食べたので、とても美味しく感じた。アイスも濃厚。何よりも量が多い。少しサービスもしていただき、大満足で店を出る。

昼。もう一度西の河原公園+信州のそばと日本酒

11時頃。昼ご飯にはまだ早い。このまま「西の河原公園」に行き、昨日は行かなかった奥まで歩いて腹を減らそうとしてみる。

西の河原公園の奥に、登山道、という程ではないが、そのような道がある。そこをぐいぐい登っていく。かなり息が上がる。階段状になっている場所の一段一段が高くて、もも裏の筋肉を強く働かせる必要がある。これは高齢の方にはかなりきついだろう。
登っていく途中、東京ではお目にかかれないサイズの蛾がたくさん飛んでいる場所があり、びびった。そこを越える。鳥や虫の鳴く声が響く。森の中で聴くそれらの音は、わたしを野生に還してくれるかのようである。

遠くに美しい山が見える。と同時に、道の出口も見えてきた。道路を挟んだ向こう側に、広い駐車場と新しくきれいなトイレがある。その辺りでしばらく山の景色を見る。草津の山々はパワフルだ。地の底から熱い"気"が立ち昇り、身体にエネルギーを与えるかのようなパワーが、この地にはあるのではないだろうか。

さっきとは違う道を通って、公園の入口方面に向かう。階段はなく穏やかな道だ。しばらくいった横に、今メンテナンス中の露天風呂があった。広い。温泉の川が流れる音を聴きながら入る風呂は気持ちいいだろうなぁ。いつかまた来たい。

西の河原公園を出る。12時頃。そろそろ、昨日行けなかった中華料理屋「龍燕」へ。
店に近づく・・・???「本日定休日」。マジかよぅ。ここに一番来たかったのに。

仕方ないので、昨日の昼ご飯として行く予定にしていたが、休業だった釜飯のお店、「いいやま亭」に行くことにする。しかし、不定休のいいやま亭、本日も休みである。

これはいったいどういう状況だ。わたしは今回の旅ではグルメは満喫できないのか。なんとかするしかない。ここは草津。長野県も近く、蕎麦がうまいのではないか。
こう考えたわたしは、湯畑のすぐそばにある蕎麦屋「銀の鈴」へ。十割そばにてんぷら、野沢菜のセットに、群馬県の地酒(?)の「水芭蕉」(なんといい名前ではないか!)を頼む。

まず水芭蕉をいただく。非常に澄んだ味だ。それでいながら辛口の味わいも充分に感じられる。
そばも天ぷらもうまい。そばのつゆも味が濃く、天ぷらはナスやきのこなど種類も豊富。これには満足。草津にはいい店がたくさんある、ということを知ることができた。
さぁ、そろそろバスターミナルへ向かおう。初の草津はいろいろあって充実した旅だった。

昼②。「長野原草津口駅」の景色、帰り

バスで草津を出る。長野原草津口駅へ。25分ほどで着く。途中で見た川には、温泉の成分も混ざっているのだろうか。毎分4400リットル湧く湯畑の半分は捨てているそうだから、きっとそうだろう。ずっと昔から、この地で湧き出た温泉が、山を下りながら徐々に薄くなり、川に流れていたに違いない。

長野原草津口駅周辺の景色は美しい。山々が連なり、川が流れている。川の上に橋がかかり、鳥や虫の鳴き声が、遥か遠くから聞こえる。
こういった景色を観ると、私はどうにも「あはれ」という気分になってしまう。それは、人生の原体験に「田舎」がない(わたしは東京で育った上に、「おばあちゃんの家」も都市部にあるのだ)ゆえの憧れか。大学生のときに青春を燃焼させたゼミで仲間とともに訪れた地域の景色を思い出すからか。それとも小さいときにみたジブリ映画の感動が蘇るからか。あるいはDNAに蓄積された記憶か。
おそらくはそれらが複雑に絡み合って私の心象を成しているのであろう。電車が来るまでの40分、わたしは橋の真ん中で川を眺めたり、山の斜面にある道路を少し登ったりした。

電車が駅を出た。ここから高崎に向かう。あはれの気持ちはまだ収まらない。しばらくは似た景色が続く。
この景色に対して、わたしはどう関わっていきたいのだろうか。将来は移住して農業を行いたいのだろうか。それには感傷だけでは足りず、現実的な判断をくださなければならない。それとも、旅行の途中で観るだけで満足なのだろうか。あるいは、この景色を喜んで一緒に観たいという人を探すだろうか。

そんなことを考えながら景色を眺めていたら、よく眠れていなかった反動で急激に眠くなってきた。
眠る。起きる。高崎に近づく。もはやあの景色はない。高崎は都会である。都会はすばらしいし、ありがたい。しかし都会だけでは人は、いや、少なくともわたしは生きられない。
高崎で降りる。生ぬるい風が吹いてくる。ここから東京に戻る。

ふと、硫黄のにおいがしたような気がした。わたしは今硫黄くさいのだろうか?高崎駅ですれ違った人々は「あ、この人草津の帰りだな」と思っただろうか。

旅は人を変えるというが、今回の旅で、わたしの中に草津という場所、そして、都市と観光地、さらにそのふたつの場所の間の"何もない"土地が大きく根をはったようだ。

「もう一度行きたい場所」というものが増えていくのは、いいことだ。
次こそは「龍燕」に行ってシューマイを食べ、ビールを飲もう。ぬるめの湯があるという白旗の湯にも行こう。
それはいつだろうか。そのときわたしはその道中で、いったい何を思うだろうか。

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