『古事記』では、国生み前にも「国」がある(『古事記』通読⑪)ver1.43
※連載記事ですが、単独でも支障なくお読み頂けます。連載初回はこちら。
※宇摩志阿斯訶備比古遅神についての2回目です。1回目はこちらです。
前回、ウマシアシカビヒコヂの神の記述には、5つの疑問点があると書きました(↓)。
今回はそのうちの2と3について解明していきます。1を飛ばしたのは、1の疑問を解くためには2と3の疑問の解明が必要だからです。
■「国」の登場
宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂの神)の登場シーンでは、唐突に「国」について言及されます(以下の原文の文章番号⑤)。
「国」は、イザナキとイザナミによる国生みで誕生したのですから、国生み前には「国」は存在しないはずです。ところが、イザナキとイザナミが誕生する前に、『古事記』には「国」が登場するんですね。これはいったい何を意味するのでしょうか。
原文を見てみます。
今回は、国生み以前の「国」について、『日本書紀』の「国」とも比較しながら書いていきたいと思います。
それでは、さっそく、いつものように、稗田阿礼と一番の読み手であったであろう当時の皇子に登場してもらうことにします。
前回のつづきから、対話をはじめます。
■『古事記』の稚い国
阿礼 イザナキ・イザナミが誕生される前は、地には国にもなれないような陸地すらなく、水に覆われていました。プカプカ浮いてクラゲのようにふらふら漂っているような稚い国なんて、地にあるはずがないのですよ。
皇子 じゃあ、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂの神)が誕生された、「国稚く浮ける脂の如くしてクラゲなすただよへる時」って何を言っているの?
阿礼 別に浮いているのは物じゃなくても構わないでしょう?海の上には、夜には月影が、昼には太陽が浮かんでいませんか?
皇子 うーん。まあ、それはそうだけど、月影も太陽も国ではないよ。
阿礼 では、国とは何でしょうか?
皇子 国見をする天皇の領地ではないか。
阿礼 宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂの神)が誕生するのはイザナキもイザナミも生まれる前ですから、国見をする天皇もいらっしゃいませんよ。
皇子 でも、天皇の祖である神がいるのだから…。そう、神が国見をしてたんだよ。海に映った月影や太陽というのは、神の国見のしるしなんだよ。
阿礼 まあまあ、結論を急がずに。そもそも国見って何でしょう?
皇子 それは、天皇が、人々の生活を見て、貧窮に苦しんでいれば税を軽くし、造反の兆しがあれば取り締まり、特に貧窮ということもなく人々がきちんと税を納めていれば、国褒めをして神々に感謝することだよ。
阿礼 では、国土も無く、領民もいない時には、神様は何を目的に国見をするのでしょう?
皇子 目的というか、国見ができるような国を海上に見ていたってことじゃないかな。
地にまだ陸地がないときは高い山も高い建物もない、それに阿礼が言うように領民もいないから、たとえ、そのとき天皇がいらっしゃっても、確かに、国見はできない。 それはわかるよ。
だけど、神様は高天原にいらっしゃるから、上から見ることはできるよね。
それに、民はまだいないけど、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)が予祝しているわけだから、神様は、国見ができたんじゃないかな。神様は、国生みのずっとずっと前から、国見をしていたんだよ。
阿礼 民がまだいないときには、貧窮に苦しむ民や、造反の兆しがある民に目を配る必要はないですから、神様は国見はされていなかったと思いますよ。
神様は、天皇が国見ができるような、今の国になるような場所を海上に探していたのではないでしょうか。
その場所がまだ決まっていなかったから、神々の視線の先は、海月のように漂っていたのだと思います。
皇子 国見をするような国はまだないから、場所を探していたんだね。それって、国が計画段階にあったってことだよね?
阿礼 それはちょっと違います。計画段階の国は、計画どおりに完成するまで「国」ではありませんが、国土という実体はないけれども、「国」はあったのです。だから、「国稚く」というのです。
例えば、わかい人は十分な大人ではないけれども、人であることには変わりませんよね。それと同様に、わかい国も国であることには変わりありません。
「国」というものは、国土がなければ存在しないものではなく、国土を得て十分な国になるものなのですね。
皇子 国土の前に国ができていたのか。それが、国土を得るんだね。神が木や岩に宿って神木や神岩になるようなものなのかなあ。
阿礼 そうかもしれませんね。ただ、神木以外の木や神岩以外の岩はありますが、国はそうではありません。国にならない国土はありえません。
宿るべき相応しい国土が、地にはなかったので、まずは国土が生まれるに相応しい場所探しをしていたというのが、「国稚く浮ける脂の如くしてクラゲなすただよへる時」だったのでしょうね。
皇子 その時に誕生していた神様は、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)と、高御産巣日神(タカミムスヒの神)、神産巣日神(カミムスヒの神)の三柱だよね。
ということは、国は、この三柱の神々の時にできていたんだよね?
阿礼 そうなりますね。ひょっとしたら、稚い国とは、この三柱の神々から成る世界そのもののことだったかもしれません。
皇子 だとすると、産巣日神(ムスヒの神)様は、太陽であり月であるわけだから(「通読⑤」を参照)、その天からの写しである地上の太陽や月の像が、まるで浮いた脂のように海の表面上に光っていて、でも場所が決まっていなかったから、海月のようにふらふらしていたのかもしれないね。
もしかして、高天原に大きな鏡があって、太陽や月を反射させて、海上をあちこち照らしていたのかもしれないね。
■「国生み」せよとの勅命
『古事記』で、文章番号⑤の次、つまり2回目に「国」が言及されるのは、神名の一部になっている場合を除けば、神世七代の記述の直後のイザナギ・イザナミが、国生みを命じられるシーン、一文づつの区切りで言えば十八番目の文章(文章番号⑱)です。ここから、『古事記』の文体は、冒頭から続いていた圧縮された文体が通常の記述態に変わります。
国土のない稚い段階の国に対して「修理め、固め、成せ。」という勅命が下されるということは、稚い状態の国は、
1.修理める
2.固める
3.成す
の3つのプロセスを踏むことで、稚い段階を脱することができるものであることがわかります。
天の沼矛を授けられたイザナキ・イザナミが、この勅命を受けた後に取った行動が、
A.天の浮橋に立って天沼矛を海面に指し下ろし、
B.淤能碁呂島を造営し、
C.そこに天降って嶋生み神生みを行った
ことであることから、
「修理め(よ)」とは、Aを答えとする命令、すなわち、漂える状態の場所を特定し、そこに沼矛を差し入れよということ(あるべき場所の中に入れることという意味のおさめる:例)タンスに収める)、
「固め(よ)」とは、Bを答えとする命令、すなわち、Aの場所を固定せよということ、
「成せ」とは、Cを答えとする命令、すなわち、Bで固まった場所から物理的存在としての「国」を生めということだったと考えられます。
■修理めよという勅命から分かること
「修理め、固め、成せ。」という勅命で、注意したいのが、「修理」という表現です。
『古事記』では、「修理」という言葉は、文章番号⑱の他には、以下の甲乙の二例があります。
この二例は、それぞれ建築物を修繕するという意味で用いられています。
建築物は、設計図ないしは完成模型をもとに制作されます。実際の建築行為に先立って、設計者および施工者の念頭にある完成形に基づいて、それを最初に現実化する行為が建築であり、二回目以降が「修理」です。
(甲)であれば天皇の宮殿が、(乙)であればもとの宮殿が完成形として念頭にあり、それを現実化する行為として「修理」がなされています。
『古事記』の他の例ではすべて建築物に用いられる「修理」という用語を用いた「このただよへる国を修理め固め成せ」」という天つ神もろもろの命(みこと)は、「国」の完成図ないしは理想像が天にあらかじめあることを想起させます。
先ほどの皇子と阿礼との対話での阿礼の台詞に、「稚い国とは、この三柱の神々から成る世界そのもののことだったかもしれません。」がありましたが、より具体的な「国」の完成図ないしは理想像が高天原に存在していたことがうかがえます。それは、「修理め、固め、成せ。」という勅命が出された直前の、神世七代の物語で明らかになりますが、今回の趣旨からは外れますので、予告のみとして割愛します。
■天からの視線
前回指摘したように、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジの神)の登場シーン(原文文章番号⑧)では、視座が天で視点が地になっています。つまり、天から地を見下ろしているのです。
この視線は、雄略天皇の段、天語歌の第一歌(古事記歌謡九九)「瑞玉盞に 浮きし脂 落ちなづさひ」における杯を見下ろす雄略天皇の視線に重なります。
雄略天皇は第21代の天皇で、非常に大きな勢力を持ち大和の勢力を拡大したとされています。
浮きし脂のごとき稚き国は、完成図ないしは理想像を持った者が、上からの視線で捉えたものなのです。
「国わかく浮ける脂のごとくしてクラゲなすただよへる時」とは、「将来神々が暮らす国をどこにしようか、まだ土地の存在しない水に覆われた地に、まるで浮いた脂のように海面上に土地を想定しながらも、海月が漂うように、その場所を決めかねている状態」を言うものであり、現代風に言えば、海面をサーチライトで探しているような、あるいは太陽や月を鏡で反射させて海面をあちこち照らしているような光景と言えるでしょう。
そんな時に誕生するのが、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジの神)ですから、当然、その存在は「国」と関わりがあるはずです。これについては次回解説します。
■『日本書紀』の「国」
さて、「国」という言葉が、国生み前に登場していることから、『古事記』では、「国」を「国土」とは切り離して考えていたことがわかりますが、このような発想は、『日本書紀』にはありません。
『日本書紀』の「天地開闢」は、混沌としたひとつのかたまりだった世界が、天と地とに分離し、固まってはいないものの洲壌(くにつち=国土)が出来、そんな時に葦の芽のような物が出来て、それがすぐに国常立尊(くにのとこたちのみこと)に変化するという話です(次回詳しく解説します)。
『日本書紀』の「国」は国土ありきなのです。
『日本書紀』の最初の神は、その名前に「国」を冠する神=国常立尊(くにのとこたちのみこと)であり、国土の誕生の時に誕生します。つまり、『日本書紀』の「国」は、国土と一体不可分な存在です。
天地開闢として語られる世界の創生は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)の誕生に至る物語の端緒として語られています。
つまり、『日本書紀』とは、天皇の年代記である以前に、「国」の成り立ちの物語でもあるのです。
この『日本書紀』の書き出しは、律令国家の公的歴史書として理にかなっています。律令国家というのは、国が法律(律と令)に基づいて領民から徴税する制度ですから、
国 = 領土(国土) + 領民(国民) + 官僚組織(徴税組織)
の等式が成り立っています。
領民は、国土で働いてこそ納税が可能となる存在ですし、納税可能な領民がいてこその徴税組織ですから、律令国家の基盤の第一は国土なのです。
国土を前提としない国などありえないというのが『日本書紀』の立場なのだと考えられます。
この、
国 = 領土(国土) + 領民(国民) + 官僚組織(徴税組織)
の等式は、現代の国民国家にもあてはまります。『日本書紀』の「国」は、現代の領域国民国家と地続きです。
これに対し、『古事記』の「国」は、国土を前提としていません。このことについて掘り下げてみます。
■『古事記』の「国」
国生みに際し、イザナキはイザナミに、「汝が身の成り合わぬ処を刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ。」と言っています。
「国を生み成そう」ではなく「国土を生み成そう」と言っているのです。
このことから、イザナキとイザナミは、国生みにあたっては、自分たちが生むのが国ではなく国土であることを意識していたことがわかります。
「この漂っている国を修理固成せよ」という勅命を受けての国生みですから、二神で生み成すのは、既に存在していて漂っている「国」ではなく、国土であることをイザナキもイザナミもわかっているのです(わかっていなかったのは『日本書紀』に影響されて、「国土=国」と解釈してきてしまった読み手の方です)。
物質化される前の国が、稚き国です。すなわち、国土のない稚(わか)い段階の国とは、将来神々が住むべき、まだ固有の土地となっていない未実現の場所を意味していることがわかります。
物質的な存在ではなかった「稚い国」が、国土を得て「物質的存在としての国」となったのが国生みなのです。
事実、『古事記』では国生み以降は、国と国土との書き分けはなされず、国生み以降は、国土のある国が国と呼ばれます。
物質化される前には区別されていた国と国土は、生まれた瞬間に国として同一の存在となったのです。
また、「国土を生み成さむ」との合意を受けて、イザナミが生んだのは、淡道之穂之狭別島から両児島までの「島と呼ばれる国」と、大事忍男神(オオコトオシオの神)から火之迦具土神(ヒノカグツチの神)までの神々です。
国土 = 島であるところの国 + 神
の等式が成り立っています。
「島」は、『万葉集』で歌われる秋津島(アキヅシマ=『古事記』の国生みでは、大倭豊秋津島)が、日本列島全域ではなく大和の支配領域を指すように、自然条件的な島であるよりは、「俺のシマで勝手なことするな」の「シマ(=支配領域)」を示す言葉ですから(日本は島国なのでシマとアイランドが一致しているだけ)、上の等式は、
国土 = 支配領域としての国 + 神
と書き直すことが可能です。これは、律令国家的な支配領域としての国だけでは、「くに」と呼ぶのに不十分であることを意味しています。「支配領域としての国」はシマであり、「くに」とは呼べないのです。
神々が暮らすのに相応しい島が、『古事記』の国なのです。
逆に言えば、神々が暮らすのに相応しくなくなったとき、国は単なるシマ(領域)に堕してしまうというのが『古事記』の思想です。
『日本書紀』の「国」は領域そのものですから、「国」に関して『古事記』と『日本書紀』の思想は異なると言って良いと思います。
■『古事記』の「国」はファンタジーか
『日本書紀』の「国」は、律令制の国家概念を反映したものであり、それは近代の領域国民国家の概念にも通じるものです。我々は普段、「国」を何の疑問も無く近代国家(領域国民国家)とイコールなものとして考えています。『日本書紀』の「国」は、我々近代人にとって、理解しやすいのです。
ただし、現代は、この分かりやすい国家概念が揺らいでいる時代です。国家による関税撤廃の枠組みでもあるTPPや、人が生存するために国境を越えていく難民の問題、貨幣の発行を中央銀行以外が行おうとするデジタルマネーの動きなど、どれも律令国家~近代国家の概念を超えていく動きです。
一方で、その反作用としてのナショナリズムの高まりがあります。アメリカ・ファーストはその典型例です。
こうした、遠心力と向心力とが激しく働く『日本書紀』的な「国」の外側に、『古事記』の「国」は存在しています。
『日本書紀』的な「国」はリアルな国で、『古事記』の「国」はファンタジーの国であるように思えます。
しかしながら、実はそうとも言えないのです。
『想像の共同体』という、リアルそのものと思われがちな「近代国家」こそファンタジーであるとこを喝破した書籍があります。
法学部や社会学専攻だったりすると、教養課程のどこかの授業で必読書に指定されている確率が非常に高い政治学/国際関係論の現代の古典です。
『想像の共同体』の表紙カバーには、
国民はイメージとして心の中に想像されたものである。/国民は限られたものとして、また主観的なものとして想像される。/そして、たとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は常に水平的な深い同志愛として心に思い描かれる。
とあります。
一方、タカミムスヒの稿で触れましたが、20世紀の欧米の思想を大転換させてしまった人類学者のレヴィ=ストロースは、メディアや国家など顔が見えない関係は真正性を欠いており、顔が見える関係こそ真正(authenticité、本物)だと言います。
『古事記』は、「野性の思考」を色濃く残しており、その「国」も「真正さ」の発想を土台にしていると考えられます。
「国」に関する『古事記』と『日本書紀』の、ファンタジー/リアルの関係を反転して、現代の「国」を見るというアクロバットが、グローバル化の末に行き詰まった近代国家から「国」を掬い出すきっかけになるのではないかと、結構真面目に、私は思っています。
■熊楠の思想
さて、『古事記』と『日本書紀』の「国」をめぐるこの齟齬が、具体的な衝突となって歴史に現れた事件が、明治時代の南方熊楠(みなかたくまぐす)の神社合祀反対運動と言えるかもしれません。
この運動についてご存じない方は、ぜひ次のリンクの先をお読みになって下さい。
『日本書紀』的な、領域として国を捉える発想に立った明治政府の神社合理化施策に対し、南方は神社合理化施策への強い反対運動を行いましたが、南方熊楠は『古事記』と同様の国家観に立って国を捉えていたように私には思えます。
太平洋戦争以降、『古事記』の国(家)観は、『日本書紀』の国家観に完全に呑み込まれてしまったままのように見えます。私たちは、『日本書紀』的な国の栄枯盛衰を経験しているさなかですが、『古事記』の国はまだ、領域国家の暗い胃袋の中で岩戸開きを待っているのではないでしょうか。
■おまけ(『出雲国風土記』の稚い国)
★『古事記』マニアック注釈(読み飛ばし可能です♪)★
『出雲国風土記』(713年編纂開始~733年完成)には、「稚」の用例が二例あり、そのいずれもが「国」を形容しています。そのため、国文学の論文などでは、『古事記』の「国わかく浮ける脂のごとくしてクラゲなすただよへる時」の解釈に援用したものを中にはあります。
結論から言えば、『風土記』は律令国家の命として編纂された書物であるため、律令国家の枠を超えた意味を持つ『古事記』の「国稚く」の参考にはなりません。このことについて、用例に則して見ていきたいと思います。
橋本雅之博士(国文学)の解説(角川ソフィア文庫)によれば、 「稚国=未完成の国」、「初国=国のはじめ」であり、「稚国」は、完成された「国」を念頭に、そうなっていない時の状態の記述ということです。
未完成な「稚国」は、狭布のようであるのだから、完成された国は形が適正であることを含意します。実際、国引きによって形が整い、小さい初国は、大きい国となって意宇が完成します。
用例2では、「国稚く」の直後に「国形」に言及しています。「国形=国の地形」は画鞆に似ていることから地名(=郷名)を恵伴と言う由来譚となっていますので、事例1のように「稚い」ことが形の未完成を示してはいません。この事例2の場合、稚いはfreshないしyoungの意味で使われています。
二例とも、律令国家に組み込まれた地方組織としての国があって、その国が初期段階であることが、「稚」+「国」の意味内容です(事例1は形=領土が未完成、事例2は歴史が浅い=統治が完成していない)。
国が生まれる前の「国稚く」とは、国の定義が異なるため、『出雲国風土記』の事例は、律令国家を前提としない『古事記』の「国稚く」の参考にはならないのです。
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