天之御中主神<下・古事記一番目の神、アメノミナカヌシの神の予祝について(『古事記』通読⑤)ver.1.23
※連載記事であり、天之御中主神の2回目ですが、単独でも支障なくお読みいただけます。天之御中主神の1回目はこちら。通読初回はこちら。
■誤解の多い神
『古事記』第一番目の神である天之御中主神(アメノミナカヌシの神)には二つの特徴があります。第一に、一番最初に誕生した神であるのに、とても影が薄いこと。第二に、とても誤解の多い神であること。
影が薄いのは、『古事記』には、書き出しの一回きりしか記述がないためです。
天地初めてあらはしし時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)。
これでおしまい。二度と記述はありません。
そして、『日本書紀』本文にも出てきません。「一書に曰く」として、別伝の一つとしての記述はあります(これについては機会がありましたら書いてみたいと思います)が、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)と同じく『日本書紀』の別伝の一つにしか登場しないタカミムスヒの神とカミムスヒの神が、『古事記』では度々登場するのに対し、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、一回出てくるだけなんですね。
だから、一般には印象に残らず、影が薄いんです。
ところが、一番最初に誕生した神なのだから、大切な神に違いないということで、歴史的に、いろいろな人たちがそれぞれに都合良いエピソードを加えてしまい、それが継承されてしまったため、誤解の多い神になってしまいました。
天之御中主神(アメノミナカヌシの神)を祀っている神社は、全て(昭和になって建てられた某社などごく一部の特殊例を除く)もともとは他の神を祀っていたことについて前回書きましたが、『古事記』に書かれている天之御中主神(アメノミナカヌシの神)と、多くの人が天之御中主神(アメノミナカヌシの神)だと思っているものとの間には、かなりの違いがあるのです。
■イスラム教に似ている??
ある神職さんが、かつて私に、「歴史を重ねて今の神様がいらっしゃるのですから、そのすべてを経た今の神様がその神様なのです」と語ってくれたことがあります。
これを聞いたとき、この考えは、ちょっとイスラム教に似ているなあと思いました。
世界三大宗教のひとつであるイスラム教では、ムハンマド(マホメット)を最後の預言者に位置づけています。「最後の」ですから、アブラハムやモーセやイエスも歴代の預言者として認めているのです。
ユダヤ教→キリスト教→イスラム教とバージョンアップされてきた最新版の一神教がイスラム教という訳です。神の概念は取捨選択ではなく、重ね着のようになっています。何一つ脱ぎ捨ててはいないけれども、表に見えるのは最後に着た(来た)神様というわけです。
なるほどそれはそれで、ひとつの見識であるし、信仰であると思います。
私は、その神職さんの考えを否定しませんが、同時に、『古事記』の編纂動機を大切にしたい気持ちもあります。
『古事記』の「序」には、編纂の動機が異説を排することにあったと書かれています。その動機の背景には、政治的宗教的な様々な思惑があったものと思われますが、異説を廃して書かれた書物が伝えたかったことを汲み取るために異説を拠り所にするのは矛盾しています。
あくまでも『古事記』に書かれている天之御中主神(アメノミナカヌシの神)とは何かを知りたいと言うのも、またひとつの立場であると思うのです。
件の神職さんがどう思われるかは別として、上着の脱ぎ着の自由さが保障されるのも、八百万の神と共にある姿勢であると思います。
■天之御中主神に関する誤解
天之御中主神(アメノミナカヌシの神)に関する誤解は、大きく次の3つです。
×1.天之御中主神は、中心を神格化した神である
×2.天之御中主神は、シリウスや北極星など、どこか特定の天の中心を神格化した神である。あるいはそこに所在する神である
×3.天之御中主神は、世界の創造神である
1と2がなぜ違うのかについては、前回書きました。3については今回書きます。その上で、さらに、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)がどのような神であるか、あくまで『古事記』に書かれていることのみから言えることを書いてみようと思います。
それでは、今回も、稗田阿礼と一番の読み手であったであろう当時の皇子との対話で解説をはじめます。
■天之御中主神は、世界の創造神ではない
皇子 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、世界を創造されたの?
阿礼 天と地とがあって、そこに天之御中主神(アメノミナカヌシの神)が誕生したのですから、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)が天地を創ったのではありません。また、天地の何かを材料にして世界を創ったのでもありません。
皇子 ふうん。あっそうか!世界を創造したのはムスヒの神さまだもんね。天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、ムスヒの神さまを創造されたんだ。
阿礼 それも違います。高御産巣日神(タカミムスヒの神)様も、神産巣日神(カミムスヒの神)様も、次に、次にと、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)に続いて誕生されました。誕生されたことと、何かによって生まれたこととは違います。天之御中主神(アメノミナカヌシの神)様は、ムスヒの神様の親神様ではありませんし、ムスヒの神さまを創造されたのでもありません。
皇子 じゃあ、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、ただ最初に誕生しただけ?
阿礼 それも違います。
皇子 それなら、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)様は、万物を創造されたムスヒの神々をも従える全宇宙の支配神なんだね。やっぱり宇宙最強の神さまなんだ。
阿礼 皇子は、一番とか最強がお好きなんですね。
皇子 だって宇宙の最初の神さまなんだから、最強でなくっちゃおかしいだろう。
阿礼 最初と最強とは全然別のことですよ。それに最強って何ですか。誰かと闘って必ず勝つのが最強なのですから、最強の神さまには、勝つべき相手が必要になります。相手がいなければご自分の価値がないような存在が最強なのです。つまり、最強の神さまは、相手の存在に依存する神さまということになります。それって相手が上ですよね。最強なんて矛盾なんですよ。
■天之御中主神(アメノミナカヌシの神)の意義
皇子 じゃあ、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)の意味は何なの?
阿礼 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、天の中心を領有する神さまということでしたよね。領有って何でしょう?
皇子 その土地を支配するってことでしょう。
阿礼 では、ある土地を支配するにはどうしたらよいでしょう?
皇子 征服する。寄進を受ける。父や母などから譲り受ける。
阿礼 皇子が今おっしゃった、そのどれも、他人の土地を領有する場合ですね。そうじゃない場合は?最初の領有者の場合はどうでしょう?
皇子 まず、誰の土地でもないところを見つけてきて、そこを自分の土地だと宣言する。
阿礼 そうですね。
天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、最初の神さまです。それが、天の中心を領有する神さまであるということは、天に中心を見つけられたということです。
逆に言えば、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)が誕生する前には、世界に中心はなかったのです。
その時の世界は、天と地しかなく、天に中心を発見したということは、世界に中心を見つけたということと同義です。世界に中心というものをもたらしたことが、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)の偉大さの意味なのです。
皇子 それがそんなに凄いことなの?
阿礼 世俗的な価値観では、中心にいるから偉大なのだと考えがちですし、偉大な神だからこそ中心にいると思いがちです。天之御中主神(アメノミナカヌシの神)はそうではないのですから、とてつもなく凄いと思われませんか?
皇子 うーん、正直言ってピンとこないや。
阿礼 もし、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)がいなかったら、中心のない世界ができていたと考えてみたら、少し凄さがわかるでしょうか。
それは法則も何も成立しない世界です。たぶんそれは世界としては成立しない、世界そのものが成り立たないような、とても世界とは呼べないものに、世界がなっていたのだと思います。いや、中心無くしては、そもそも世界はできていなかったかもしれません。
・中心にいるから偉大なのではない(世俗的な権力・権威の否定)
・偉大な神が中心にいるのでもない(他に優越する絶対神の否定)
という発想を見ることが可能なところに、聖典としての『古事記』のオリジナリティを感じます。
■天之御中主神の誕生は予祝
阿礼 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、天地初発の時に、最初にたった一柱、世界に誕生されました。けれども、一柱であるときに、すでに孤独ではなかったのです。
皇子 どういうこと?
阿礼 中心は、それを中心だと見る者がいなくては中心にならないからです。天空に、ひときわ輝く星があったとしても、不動の輝点があったとしても、星々の凝集する天の川があったとしても、それを見て、そこが天の中心だと思う者がいなければ、それは単にその状態があるに過ぎません。
天之御中主神(アメノミナカヌシの神)が、最初の神として誕生したということは、たった一柱誕生したと同時に、それを見る存在の必然が誕生したということなのです。ゆえに、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)の誕生は、我々の誕生の予祝(=いまだ起きていないことを、起きてしまったこととして祝うことで、その到来や成就を確約する呪術儀式)であるのです。だから、我々はその誕生に感謝するのです。
皇子 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)が、最初の神さまだったから、ヒトが生まれることになったんだね。それは凄いことだね。
■神々の予祝かヒトの予祝か
皇子 でも…、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)を天の中心だと思う存在は、私たちでなくてもいいよね。天の他の神さまが天之御中主神(アメノミナカヌシの神)を中心と思えば十分だから、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、ヒトの予祝をする必要なんてなかったんじゃないの?
阿礼 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)を天の中心だと思う存在は、人間でなくても良いというのは、それはそうです。
皇子 でしょう。天之御中主神(アメノミナカヌシの神)の予祝は、高御産巣日神(タカミムスヒの神)と神産巣日神(カミムスヒの神)の誕生に向けられたもので、別にヒトの誕生の予祝なんて考えなくてもいいじゃない。ヒトは神さまの予祝とは関係なく生まれてきたんじゃないかな?
阿礼 それは違います。天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、高天原に誕生されたからです。
皇子 どういうこと?
阿礼 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)が誕生する前には、天に中心はありませんでした。ですから、高天原は、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)様が誕生される前には、天の中心でもなんでもなく、ただの場所だったことになります。
皇子 そうなるね。
阿礼 なぜ、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)様は、単に天に誕生されたのではなく、わざわざ、高天原に誕生されたのでしょう?不思議に思いませんか?
高天原は、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)が誕生したことによって、天の中心に位置づけられます。ここまではいいですね。
皇子 うん。
阿礼 そうなると、高天原に、次に、次にと誕生する神々は、皆、天の中心の神々として生まれてくることになります。
皇子 高御産巣日神(タカミムスヒの神)も神産巣日神(カミムスヒの神)も天の中心の神々なんだ。
阿礼 高天原に誕生されたということは、そういうことです。
天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、天の中心であって、天の中心の神々のうちの一柱でもあるのです。天之御中主神(アメノミナカヌシの神)は、自分だけが絶対の君臨者になるような、他のすべてが自分のためにあるような、そのような世界を望まなかったのでしょう。そうでなければ、高天原にではなく、ただ天に誕生するだけでよかったはずなのです。
そして、高天原が天の中心であるためには、天の外から高天原を見る者が生まれなくてはなりません。つまり、それがヒトの誕生の予祝です。
皇子 そうかあ。天之御中主神(アメノミナカヌシの神)様の予祝で、ヒトが誕生したのだね。
■不在の在
『古事記』にはヒトの誕生が書かれていないと言われることがあります。しかし、天之御中主神の神名を考察してみると、ヒトの誕生の予祝になっています。『古事記』の一番最初の神は、誕生した瞬間にヒトとともにあるのです。
ここで、ヒトは、未だ存在せぬ必然、いわば不在の在としてあるのですが、これと同じ構造が、実は『聖書』にも見られます。
『聖書』の有名なフレーズに「初めにことばありき」があります。『新共同訳聖書』には、「初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。この言は初めに神とともにあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。」(ヨハネによる福音書1.1-4)と記されています。
ここで、言は神とともにあり、その言には人の光があったというのですから、人は不在の在です。「言」を「視線」に置き換えれば、「天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神」とそっくりです。意味がカタチに先行しています。天之御中主神(アメノミナカヌシの神)の名が示す、ヒトがいないのに視線があったということは、「初めにことばありき」とまったくの同一構造になっています。
■中心と視線
また、『旧約聖書』の記述では、アダムとイブは、禁断の木の実を食べることによって「視線」を獲得します。
創世記第2章には、「女がその木を見ると、それは食べるによく、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、二人の目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。」(創世記3.6-7)とあります。
禁断の木の実のなる樹はエデンの園の中心にあります。『聖書』でも『古事記』でも「中心」と「視線」はセットなのです。両者には、共通する神話的思考があると言えると思います。
(つづく)
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ver.1.21 minor updated at 2021/7/31(項番を④→⑤に採番し直し)
ver.1.22 minor updated at 2021/8/15(表題を変更←天之御中主神の第2回であることを明確にしました)
ver.1.23 minor updated at 2021/12/24(ルビ機能を適用しました)
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