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日本書紀の天地開闢と古事記の天地初発はどう違うのか(対話『古事記』1)

元明天皇は、孫のおびと皇子のために『古事記』を完成させ(*1)、稗田阿礼ひえだのあれに天武天皇から伝えられた奥義を伝えるよう命じた。


■天地初発〜世界のはじまりは気づき〜

稗田阿礼ひえだのあれ 天地あめつちはじめてあらはし時、つまり、この世界のはじめの時に、天と地とがありました。 
高天原に成りませる神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)。
天に高天原というところがあり、そこにはじめての神さまが誕生されました。その神さまの名前を、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)と言いました。

首皇子おびとおうじ あれ? 世界のはじめには混沌があって、それが天と地にわかれたんだよね? 太安万侶おおのやすまろや日本の歴史をまとめている他の者もみんなそう言っている。「天地開闢てんちかいびゃく」というんでしょう。天と地ができる前の渾沌がこの世界のはじまりだよね。そこはスルーなの?

阿礼あれ 「天地開闢てんちかいびゃく」は、諸外国への建前でございます。『淮南子えなんじ』や『三五暦紀』など漢籍には、そのように書かれているそうですが(*2)、それは陰陽思想と言って、日本古来の言い伝えではありません。世界の最初に、天も地もあったのでございます。

皇子 それはおかしいよ。天も地もあったってことは、その前があるんだから、世界の最初とは言えないんじゃない?天と地が生まれる時が、本当の世界のはじまりなんじゃないの?

阿礼あれ 世界のはじまりは、天と地の気づきであり、それによってはじめて天と地とは天と地になり、時が動き出したのです。時がはじまった時がはじまりであり、時が動きはじめていなければ、天と地とがあろうと無かろうと、世界はまだ始まっていないのです。

皇子 時のはじまりが世界のはじまりなのか。うーん、それはそうかも、、。だから、『古事記』の書き出しは、「天地初発の時」なのか、、。世界は「時」から始まるんだね。その時がどんな時かっていうと「天地初発の時」なんだ。

稗田阿礼ひえだのあれ  さようでございます。

首皇子おびとおうじ でもさあ、時が動きはじめた時が、世界のはじまりというのはわかった、、のかな。まあ、それでいいけど、時が動き出すのと、天地の気づきとどう関係があるの?

阿礼あれ  このあいだ、石でキジを撃ち落とされたことを覚えていらっしゃいますか?

皇子 なんだい唐突に。もちろん、覚えているけど。

阿礼あれ  あれは本当に見事でございました。皇子の一投一撃のもとにキジが落ちて参りました。

皇子 うむ。ふふっ。

阿礼あれ  その時、皇子が投げた石は狩りの道具でしたが、石の飛礫つぶてで鳥を落とそうと思って手に取られる前は、その石はただの石で狩りの道具ではなかったでしょう。

皇子 それはそう。鳥を落とすのにちょうどいい石を見つけたから、それで撃ったのだから。

阿礼あれ  つまり、皇子はちょうどいい石に気づいて、その気づきによって、石は狩りの道具になったのです。

皇子  ん!

阿礼あれ  世界のはじめには、天と地の他には何も存在していません。誰かが気づいて、天と地にしたわけではありません。ということは、天と地が、自分で天と地にふさわしいと気づいたことによって、天と地は、天と地になったのです。
 中国の神話が言うように、何か別の混沌としたものがあって、それが天地に変化していったのではありません。世界のはじまりに、存在としての天地はあったけれども、それは天地ではなかった。それがどういうことかは、皇子が投げた石が示すとおりです。
 気づきの前に、時は動いておりません。はじまりの前に時間は無いからです。つまり、世界のはじまりは、天と地の気づきであり、その気づきにより何ものでもなかったものが天と地になり、気づきと同時に、時が動き出したというのが、『古事記』が伝えるいにしえより天皇家に伝わる世界のはじまりの話なのです。天地初発は天地開闢とは違うのです。

皇子  かたちだけあってまだ何ものでもない天と地が、意識を持ったことで天と地になったというわけだね。それが世界のはじまりなんだ。なんだか、舞台で幕が上がる前は、役者はいるけどその役は存在しないって言ってるみたいだね。

阿礼あれ どうなんでしょう。舞台が上がる前は、確かに役は存在しませんが、役を演じる役者の時間は動いていますよね。
 天と地の気づきの前には、時は動いておりません。はじまりの前に時間は無いからです。世界のはじまりは、天と地の気づきであり、その気づきにより何ものでもなかったものが天と地になり、気づきと同時に、時が動き出したというのが、天武天皇が伝えたかったいにしえから日本に伝わる世界のはじまりの話なのです。

皇子 確かに、天地開闢とは全然違うことを言っているね。


■天と地と神

皇子 意思のある天と地は、神さまだよね?

阿礼あれ 最初の神さまは、天之御中主神アメノミナカヌシのかみです。

皇子 じゃあ、神さまと、神さまじゃない天と地は何がちがうの? 天と地は、どうして神じゃないの(*3)? 自分で自分のことを天と地だとわかったんだよね。自分がわかるんだから、神だよね。

阿礼あれ  なぜ、自分で自分がわかると神と言えるのですか?

皇子  なぜって、神さまってそういう存在でしょう? 自分のことがわからないなら、それは単なるモノというかただの現象だよね。でも天も地もそうじゃないから、神さまなんじゃないの?

阿礼あれ  皇子は持統天皇お祖母様まれた香具山の歌をご存じでしょう?

春過ぎて夏きたるらし 白栲しろたへの衣したり 天の香具山

(持統天皇・『万葉集』巻一の二八)

皇子  もちろん。香具山は、耳梨山と愛し合っていたのに、畝傍山を好きになっちゃって、それで耳梨山と喧嘩したんだよね。そんな香具山が白栲しろたへの衣を干している初夏の真っ白な花一面の斜面の様子を歌った歌だよ。

香具山は 畝傍うねびををしと 耳梨みみなしと 相争いき 神代より かくにあるらし いにしえも しかにあれこそ うつせみも つまを 争ふらしき

(天智天皇・『万葉集』巻一の一三)

阿礼あれ  そうですね。天智天皇様が、「香具山(女)は新たに現れた畝傍山(男)に心移りしてしまって、もともとの恋仲の耳梨山(男)と争ったそうだ。神代の時代から男女というものはこうであるらしい。昔もそうだからこそ、今の時代を生きる我々も、愛する者をめぐって争うらしい 。」とうたったのですよね。そんな、香具山は神でしょうか?

皇子  神と言ってもいいと思うけど、神とは言わないね。香具山にある天香山あまのかぐやま神社にお祀りされているのは櫛真智命神くしまちのみことのカミだしね。ご神体は香具山だと思うけど、香具山神とは言わない。

阿礼あれ  天と地も同じことです。我々に働きかける存在が神であって、神々の舞台となる天や地や山などは、それ自身を神とは言いません。

皇子 そうなんだね。

阿礼あれ  最初から少し難しかったかもしれません。私が元明天皇様に命じられたのは、皇子が天皇になられるための思考の準備をということですから、多少難しいのは仕方ありません。けれども、難しく思えるのは最初のところだけです。それに、上宮厩戸豊聡耳太子うえのみやのうまやととよとみみのひつぎみこ(=聖徳太子)様が打ち込まれていたような仏典解釈に比べれば、私が天武天皇様に聞いた初発の神々の話は、ずっとわかりやすいはずです。それに、そのうちにわかってくることもあるでしょう。

皇子 うん、そうだね。そうなることに期待するよ。


◎註釈

*1 以下の記事を参考ください


*2 以下の記事を参考ください


*3 「カミ」は、「チ」、「ミ」、「ネ・ノ」、「ヒコ/ヲ・ヒメ/メ」、「ヒ」、「ヌシ」、「タマ」、「モチ」といった様々な神霊感を統合した概念で、『古事記』や『日本書紀』の編纂が着手されたころに、古代日本語の「カミ(威力を持つ・畏るべき・神秘的な力をもった等の意の美称)」が中国語の「ジン」を媒介に形成された。(溝口睦子「記紀神話解釈の一つのこころみ」1973年)
この論文は大変に参考になるが、『古事記』を読む際には、「記紀神話」という発想から離れることが重要であり、この点は指摘しておきたい。高御産巣日神が高皇産霊尊と書かれるように、『古事記』に登場する「神」の多くは、『日本書紀』では「神」とは表記されない。『古事記』にとって「神」は特別なのであるが、「記紀神話」として『日本書紀』といっしょくたにしてしまうと、この「神」概念の特別さが消えてしまうからである。『古事記』が指す「神」は、『古事記』を読むことからしか理解できないのであり、その意識が薄れてしまえば、日本の神は容易に西洋の神の概念に浸食されてしまうであろう(以下の拙稿も参考いただけると大変ありがたいです)。


◎概略

・『古事記』の世界創生のストーリーは「天地初発」であり、『日本書紀』の「天地開闢かいびゃく」とは全く異なる内容である。
・「天地初発」は、時のはじまりである。それは、天と地の気づきを最初とする。


◎今回のあとがき

稗田阿礼と首皇子おびとおうじの対話のギミックは、以前にも行いました(↓)。以下の記事群を読んで下さった方は、なんだ再掲かと思われたかもしれません。以前は、対話に箸休め的な役割を持たせていましたが、今回は対話だけで説明を続けさせようと考えていますので、新しく加筆修正しています。以前に読まれた方も楽しんでいただけるよう頑張っていこうと思っています。


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