ストレスのサインが出過ぎる前に、「逃げる」ってのはどうだろう
うちにいる妖怪の話・・・
夜中、バリバリ、ボリボリ、ムシャムシャとなんだかうるさくて目を覚ましてしまった。
すると、うちの旦那が手当たり次第、家にストックしてあったお菓子を貪り食っていたのである。しかも、電気も点けず、真っ暗闇の中で。
その姿が暴力的で何かに取り憑かれているようにも見えて怖かった。
まるで日本昔話しに出てくるヤマンバみたい。真っ暗な中、ムシャムシャ何かに取り憑かれたかのように貪り食らう。
私はそっと襖の陰から、その得体のしれない後ろ姿を見ている・・・
不気味。
朝になると、お菓子の袋が床に散乱していて、「ちゃんとゴミ箱に入れてよ! 犬が舐めちゃってるじゃん!」と言っても無視してくれちゃう。
食事時も、本当におかしいくらいよく食べる。まるで自分を攻撃しているかのようだ。これでもか、これでもか、とやっつけていくように、もしかして、社会に対して反撃しているの?
そんな姿を見ていると、なんていうのだろう、変な飢えみたいなものを感じる。
欲望を満たしたい、社会で認められたい、必要とされたい、誰よりも上に立ちたい、下っ端なんて嫌だ、指図されるなんてまっぴらだ、などなど、そんな満たされない気持ちのような、飢えみたいなものを、一緒に食事しているとひしひしと感じてしまう。
だから、なんだか怖いし、一緒に食事を楽しめない。鬼気迫っていて、なんだか怖くて。
テーブルの上のもの、冷蔵庫の中のもの、ストック用のお菓子が、掃除機に吸い込まれていくように、あっという間になくなる。朝起きると、嘘でしょ?!と叫びたくなるほど、家の中の食べ物がなくなっている。
彼の欲望を満たすために、どんどん食べ物が吸い込まれていき、満足というものを感じることなく、「他にないの? もっと、もっと」と言う。
なんかそんな様子を見るたびに、「ねぇ、なんのために生きてるの? 今のままでいいの?」と聞いてしまうのだけど、本人は一向にその危機を感じていないようで、「ん? 何が? これが人生じゃん。何? 俺、変?」
「変も変! 生きてないじゃん!」というと、「そう? 俺ちゃんと仕事してるよ。」と。
いや〜そうじゃなくて・・・
ま、いろいろな人生があってよくて、誰にでも自由な選択権があるのだけど、もうちょっと考えてみたらいいのに。
でも、私からの言葉は説得力がないらしい。ま、働けない人だしね(笑)。あちらのご家庭は、働いていない人には市民権も発言権もない。ま、いっけど(笑)。
社会に翻弄されるのって分かる。それが当たり前っていうのも分かる。自分もまだまだ翻弄されてしまうし。
でもさ、もうちょっと意識してみてもいいんじゃないかな。
自分の生き方を。
何がしたいのか。
人から言われたするべきことばかりで一日を終わらせるのではなく。1分でもいいから、自分に戻れる時間があってもいいのかなって。
そして、自分で決めるの。
これには翻弄されてもいいけど、ここまでは嫌だなとか。ここまではできるけど、ここからは自分に害が及ぶから嫌だなとか。
相手のルールに乗っかるばかりでなく、自分のルールもしっかり持っておく。
それができないのなら、逃げること=自分を守ること と割り切って、なんと言われようとも、とっとと逃げるとか。
だって、ストレスって症状が出てから治すのって本当に大変なことだと思うから。
でも、自分の行動で、「あれ?」って思うところが出てきたら、立ち止まってみる勇気とか、逃げる勇気があれば、軽症で済む。
心が訴えていることと、やっていることが違うとか、休憩したいのにできないとか、って、もうサインが出過ぎちゃってる状態だから、もうちょっと前に勇気を出して対応するっていうのはどうだろう。
まだ元気だけど、ちょっとだけ心がジレンマを感じ出したぞ、とか、まだまだ元気だけど、ちょっと休みたい気分になってきたぞ、ひとりの時間が欲しいぞ、という感覚がサインなんだと思う。
病気になっちゃってから、ストレスでなんらかの症状が出ちゃってからだと遅い。それはもうサインが出過ぎちゃってるってことなんだと思う。そうなってからだと、治すのでまた大変になって、治療自体がストレスになることもある。
サインが出過ぎちゃってから何かするのではなく、サインが薄々出てきた時点で対応すると楽なんだろうなぁって思う。
皆さんも、ヤマンバになる前に、気をつけてください。
私もサインを見過ごさないよう気をつけます。
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