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親が子供を支えているのか、それとも子供が親を支えているのか?

 一般的に家族を構成する生物は親が子供を養っていることがほとんどだろう。
 人間も例に漏れず、親が働き子供を養うのが一般的だ。
 一見この関係は親が子供を支えているように見える。
 いやいや、一見もなにも子供が一方的に親からの恩恵を受けて育つのだから親が子供を支えていると断言できるかもしれない。
 ただ、老後となると逆に子供に介護の面倒を見てもらう親も決して少なくなく次は子供が親を支える番でこの時点で全体を見ると人間社会は単純に親が子供を支えていると言い切るのは難しいが、そんな話を今回したい訳では無い。
 人間の親は最初から最後まで子供に支えられて生きているということ、親孝行がどうのだとか、そういった日本の人間社会の呪縛から幾人かは解かれることを望んで説明したいと思う。

 さて、親とお子供どちらがどちらを支えているかは先に述べたように「子供が一方的に親からの恩恵を受けて育つ」のだからこの時点で「親は最初から最後まで子供に支えられて生きている」という理論が破綻しているので議論にすらならないと思う人は多いだろう。しかし、こういった難題には極端な数字を代入したりや最悪のケースを考えたりして整理すると意外と答えが見えてくるのである。
 今回で言う最悪のケースとは「死」である。
 親が死んだ場合の子供へのダメージと
 子供が死んだ場合の親へのダメージ、どちらが大きいかである。
 多くの生物は親が死ぬと子供が餓え死にしたり捕食されるが、日本の人間社会ではそれは起こらない。なにかしら行政が介入して、子供は保護され育てられる。
 当然子供にとっても親の死は大きな精神的苦痛であることは間違いない。
 しかし子供が死んだ親の場合はどうだろうか?
 親の方が子供より精神的苦痛は大きいのではないだろうか?
 特に母親においては計り知れないダメージを負うだろう。子供の死をきっかけに後追い自殺も十分に考えられる。
 はじめから里子や昔であれば養子に出され両親を知らない子供がいるように子供は意外にも親がいなくてもなんとか育つものである。まして成人し、歳を重ねれば重ねるほど親の死は子にとってダメージは少なく、むしろ親が子供より先に死ぬのは自然摂理である。老衰で亡くなった親を後追い自殺する子供は極めて稀だろう。
 しかし、人間の親に限り、子供の喪失はいつでも極めて深刻なダメージとなる。
 ここで、改めて整理すると、
 子供が親を失うより、親が子供を失った方がダメージが大きいのである。しかも後追い自殺をしかねないレベルにだ。
 このような形態をしている人間の家族構成から親が子供を支えに生きていると言っても過言ではない。
 よって、「親は最初から最後まで子供に支えられて生きている」と言わざるを得ない。
 だから、生きているだけで親孝行であり、逆を言えばそれ以上の親孝行はないとも言える。
 ただ現代社会において人間の不遇の死が減り子供が生きていて当たり前となったため孝行をしている実感が少なくなっているだけなのである。

 「子はかすがい」や「親より先に死ぬのは一番の親不孝」という言葉があるように、子供は思いの外、親の支えとなっているのである。生きている限り、自動的に親孝行をし続けていると考えて正しい。

つまり「親孝行できているか?」と子供が悩む理由は存在しない。

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