誰だって【どうしてもできないコト】を抱えながら生きているのでは?
「今日、お茶できる?」っていつも当日言ってくるN子。私はたいてい快諾。朝に連絡があってその日にお茶…というのはよくあるコトだった。私とN子のあいだでは。
ところがいざ私からお誘いの連絡をすると…のらりくらり。当日まで返事がないうえに結局来られないことも…。
そういうことが続くと、「なんだこれは?」ってなりますよね。「いつもそちらの都合じゃないの!?」って。そんな気分になってきて、当日のお茶のお誘いを断ったりしてたら、何となく疎遠に。
ところが最近読んだこの本でN子のコトを思い出した。
いえ、N子が認知症だったのでは?と思ったわけではなく。【人にはそれぞれ、何らかの理由で(簡単に思われることでも)、どうしても、できないことがある】と思い至った。この本を読んでいたら。
認知症がある方に関して書かれてる本なのです…が、読んでいるうちに
差こそあれども、【誰だってどうしてもできないコトを抱えながら生きているのでは?】と思えてきた。そこに【社会生活への影響の有無】の違いがあるだけなのでは…と。
N子にとっては、"いつも当日お茶に誘う”というより"いつも当日にお茶に誘わざるを得ない”ということだったのかも。当日にならないと自分の体調(メンタル面も含めて)の状態がわからなかった?…と今になって気づいた。
…というわけで、N子とは「もし上手くタイミングが合って会えればキセキだし、うれしい」と思う。私だって抱えているコトはあって、何とかごまかしつつ生きているのだから。
※ 何となく頭の中を図にしてみました。誰もができないこと(抱えてるコト)を持ってる前提で、境目の壁(社会生活に支障をきたすかどうかの)を気にせずにうまく過ごせたらいいのにな…と思います。
もしサポートいただけたら何か体験に使います。そして、それをまた文章にします。