『お休みどころ』みたいな人
「余分にイスをひとつ持っている人でいたい」
イクミちゃんは中学の時、寄せ書きにこう記した
(なんて大人っぽいんだろう)とわたしは憧れた
何十年経ってもわたしの心にピン留めされてる
他の子たちが
「成功してお金持ちになりたい」とか
「好きな人と結婚したい」とか書いてる中で…
「余分にイスをひとつ持っている人でいたい」
むむ、これは良すぎないか?
しかも「疲れている人がいつでも座れるように」と続く
*
さて、この度このイクミちゃんの言葉をじっくり思い出すきっかけになったのは…茨城のり子さんの『お休みどころ』という詩
バス停に屋根をつけたぐらいの
ささやかな たたずまい
無人なのに
茶碗が数個伏せられていて
夏は麦茶
冬は番茶の用意があるらしかった
ふむふむこれが『お休みどころ』の雰囲気か
そして次は詩の中頃に出てくるわたしの好きな部分
「お休みどころ……やりたいのはこれかもしれない」
ぼんやり考えている十五歳の
セーラー服の私がいた
*
ん?十五歳のセーラー服の私?
イクミちゃんも十五歳頃にあれを書いてるな
「余分にイスをひとつ持っている人でいたい」
イクミちゃんにとって「余分なイス」とは『お休みどころ』みたいなイメージだったのかな?
あぁ、やっぱり憧れる
その考え方
「お休みどころ……やりたいのはこれかもしれない」
わたしもこの考えをいただこう
それから思い出したイクミちゃんの言葉
「余分にイスをひとつ持っている人でいたい」
この考えもいただいておこう
双方を取り合わせた雰囲気を持ち合わせるのが、わたしの理想
※ 茨木のり子さんの『お休みどころ』が入っています↓
もしサポートいただけたら何か体験に使います。そして、それをまた文章にします。