頼朝・政子と伊豆山温泉
過去記事「なぜ家康は熱海の湯を愛したのか」から、伊豆山温泉が気になり出し、再び伊豆山温泉へ。頼朝と北条政子に思いを馳せつつ、今日はじっくり伊豆山温泉を語ってみようと思います。
東海道本線で「熱海」へ
小田原を過ぎて、海が近づき、早川を過ぎれば、東海道線屈指の海の見える絶景。湯河原を過ぎて、初島が見えてきます。下記の写真は1950年代半ばの車窓です。まだ蒸気機関車が走っていた頃でしょう。
今では熱海駅からはこんな光景は見えませんが、駅前のビルが無ければ、海まで一望できるのでしょうか。
今日は、昼過ぎからの散策のため、お昼は熱海の駅前を探します。駅から離れるとシャッターの降りた店も多いですが、それでも、駅前に新旧混在して店があり、人もごった返している温泉地は、あまりないのではないか。下のような写真が象徴しています。今年7月にはホテルニューアカオが復活。
こちらの食事処のディスプレイに「イカメンチ」??とあり、思わず、入ってしまいました。
店のおばちゃんに「イカメンチは半分は塩かけて食べると美味しいよ」とのことで、その通り食します。メンチは歯ごたえ滑らか、味も上品。確かにソースは要らない。アジフライは普通笑、イカメンチだけ3,4つ食べたくなるくらい美味しかったです。
伊豆山温泉までは徒歩で
まず海側まで出て、東伊豆沿岸のメイン国道135号を歩きます。
ここから少し歩くと海光町の石畳と地図にはあります。行き止まりのエリアですが、立ち寄ってみます。和風の家から、お城のような家まであります。
政子、息をひそめる「秋戸郷」
石畳のエリアから少し歩いたところに、源頼朝・北条政子ゆかりの地「秋戸郷」があります。
伊豆に流されて十数年、駆け落ち同然で結ばれた二人、頼朝(30歳)、政子(20歳)あたりと言われています。頼朝34歳で挙兵するも、伊豆山のさらに北にある「石橋山の戦い」は惨敗。その後、頼朝は船で千葉の方に逃れるも、政子は伊豆山権現の計らいで、匿われ、まさにこの「秋戸郷」にて、頼朝の行く末を見守るのでした。頼朝が船に乗ったまでは知らされる政子ですが、その後の行き先は分からず、眠れぬ夜を過ごしたであろうゆかりの地。今はこの石碑しかありません。
水葉亭は海を一望できる巨大な内風呂があり、豪華な温水プールのよう。今でも健在らしく、家族連れの旅にはおススメかと。
国道を外れて、さらに海にむかうS字の道をひた歩きます。坂を下りきると、いくつか伊豆山のホテル・旅館が見えてきます。
日本三大古泉「走り湯」
伊豆山温泉のシンボルともいえる走り湯。全国でも珍しい横穴式源泉、奈良時代には、一日に七千石(1分間に900リットル)ものお湯が滝のように海岸に噴出していたことから、その名がついたとか。
入った瞬間、メガネは真っ白。源泉温度は70℃越え。水蒸気サウナのようです。一時は伊豆山観光の採掘で枯渇しかけたが、昭和45年の増掘で復活したそうです。
さて、ここから、政子・頼朝ゆかりの伊豆山神社に向かいます。参道はこのあたりから始まっているのですが、階段だけで、820段。普通に歩くと、20,30分はかかります。
「伊豆山神社」はお寺!?
山の中腹の立派な神社。昔から箱根権現と並びこの地域の信仰の対象として影響力があり、北条氏にとってもゆかりのある神社です。
神社には身を清める水がないといけないですが、こちらには、立派な池があります。
まず目指すは、「伊豆山郷土資料館」ですが、資料館というより宝仏殿でした。しかも、並べてあるものを見れば、これは寺!「ここは、神社じゃなくて、お寺ですね」と、館内の方に聞いてみれば、「歴史があり、『神仏習合』で、発掘されたものは仏教に関するものが多い」とのこと。平安末期の経塚(お経を銅製の筒に居れたもの)やら、硫黄が着いた仏像やら、かなり歴史的に重要なものが多く驚き。図録もなく、撮影禁止なのが残念ですが、普通の神社じゃないことは一目瞭然でした。
ここは海抜は170m、さらに奥には本宮があり、徒歩で1時間!海抜380mのあたりにあるとのことで、この時間からはおススメできないとのこと。こちらは登れる気力もありませんでした(^^;
そして、この腰掛石!頼朝と政子が境内で語り合ったということで、案内板には「どうぞお座りになり、いにしえに思いを馳せてください」。伊豆山神社に匿われつつ、ふたりは何を語ったのでしょう。平家のことや幕府のことを話したわけではあるまい。まだそのころは、政子もまさか幕府を開幕に至るとは、夢にも思わなかったことでしょう。
伊豆の田舎の小豪族の娘が、一国の運命を左右する人物になるのですから、飛んでもない数奇な運命です。
北条政子、一つだけエピソードを語るなら、
政子は頼朝が妾を近寄らせることを許さなかった。頼家が生まれる前後に、知らないうちに、頼朝が他の女性に手を出し、大激怒。頼朝の妾を住まわせていた家をぶち壊し、そこの主人を流罪、妾も命だけは奪われなかったが追放。
二代目執権北条義時の三男の書いた北条重時家訓には、「妻にしようとする人の心根をよくよく見て、ひとりに決めなさい。仮にも浮気をしてはいけない。そんなことをしたら正妻の嫉妬心が積もって大変なことになるだけだ。また浮気の罪で必ずや地獄にも落ちてしまうだろう」とまぁ、アカラサマな家訓なのでした。
武家国家の草創期は「一夫一婦」からというのは興味深いです。当然これは長く続かないのですが、血縁で続いていく明治に至る日本史の中では特異な一幕と言えるでしょう。
気持ちよさそうに眠る猫ちゃんを横目で見ながら、境内を後にします。また、あの階段を降りていきます。
伊豆山唯一の外湯「浜浴場」
地元の組合以外の方は350円で入浴できます。泉質はCa-Na塩化物泉、温度は74.8℃の高温。PH7.9、源泉名は「第二走り湯」となっています。地元の方に聞いたところ、下の走り湯の近くから引っ張て来ているとのことで、もう「走り湯」そのものと言って良いでしょう。
薄っすら黄色がかったお湯で、塩辛いですが、香りは不思議な石膏泉的、甘い感じがします。必ずと言っていいほど、地元の方がいて、いつも気持ちよく挨拶、対話も弾み、元気もらいます!
湯上りは肌すべすべ、脱衣所の椅子に座り、買ってきたお茶でくつろぎ、至福のひと時。(自販機は無し)
さて、頼朝と政子は、走り湯に入ったのか…、それは当然入っただろうと、改めて入口の走り湯の説明書きを読めば、「源頼朝も北条政子もこの走り湯に入り身を清めた後、伊豆山権現に参詣し、武運長久を願い、源氏復興を祈りました」とアリ。一緒に浸かっていたかは分かりませぬが…。
逢初橋で会いましょう
浜浴場から、再び熱海駅へ戻ります。最後にご紹介するのは、「逢初橋」。
政子は頼朝と結ばれる前に、伊豆の国の代官、山木兼隆に嫁がせることを父に決められていた。しかし、婚宴の晩、政子は闇夜に紛れ、雨降りしきる伊豆の山中を夜もすがら走り、伊豆山に先に来ていた頼朝とこの橋で再会するのでした。伊豆山権現詣として知恵を巡らした頼朝の家臣と政子の情熱がここで成就することになります、劇的な地。
実はこの橋は当然、後年に国道に架けられた橋であり、実際の逢初橋は、御岳社の森の中にある以下の橋だったとのこと。しかし、先の土砂災害でこの石橋は流れてしまったとか、至極残念。
その後の二人の人生を考えると、伊豆山で再会はやすらぐ束の間のひと時だったことでしょう。この話は吾妻鏡の中で、政子も回想するのでした。
真っ暗な伊豆の山中を走り抜け、空が明らむ頃に、ふたりは再会したのでしょうか、頼朝のもとに身を寄せたあの夜が無ければ、鎌倉幕府は無かった!
NHK風に言えれば、「この時歴史は動いた」夜だったのであります。
北条政子の評価は賛否両論、分かれるところではありますが、当時の時代背景を十分に考えてみれば、素朴で純情、心の内も表現しながら、新しい時代の扉を開けた女性像ではないかと私は思います。
ということで、しばし頼朝、政子の再会に思いを馳せて、逢初橋を後にしました。
次回ももう一つ、伊豆山にまつわる話になりそうです。(つづく)
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