【公演レビュー】2021年12月20日/大野和士指揮、東京都交響楽団

禍を転じて福と為す

~プログラム~
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
-休憩-
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
本公演は若干の曲折があり、いったんはサッシャ・ゲッツェルの指揮による上記プログラムで固まったが感染症禍の状況変化のため、外国人の入国が不可能となり音楽監督の大野和士が代役に立った。昨年から今年にかけて東京都交響楽団やオペラ部門芸術監督を務める新国立劇場(オペラハウス)を支えてきた大野和士は、ブリュッセルの自宅で久々のバカンスに入る予定を急遽取りやめた。
結論から言えばこの指揮者交代は演奏会の成功に繋がった。
ラフマニノフにおける阪田知樹のソロは以前バッティストーニ指揮、東京フィルとの共演で聴いたが、その時よりしなやかで安定した技巧を背景とする明晰な音楽運びは保持しつつ響きの稜線の深さが増して、陰陽のコントラストは鋭くなった。大野和士と都響のバックアップは細部まで解像度の高い骨格に極彩色を描出。ラストの弦の光沢など往時のフィラデルフィア管弦楽団を想起させるespressivo。ホルンのコクのある音色、ティンパニの打ち込みのインパクト(フィナーレ大詰めの一槌‼️)、木管の寂寥感も際立った。
やはり指揮者の芸格が高いとソリストは乗りやすいし、踏み込める。ソリストアンコールのニールセン「メリークリスマスの夢」が洒落ていた。
ショスタコーヴィチの交響曲第5番は文句なしの名曲ながら、それゆえに色々な「お話」のまとわりついてしまった作品だが、大野和士はまず各パートの役割分担を徹底することでいかに緻密で凝った面白い音楽か可視化する。その上で寒々しい悲劇から諧謔まで聴き手の想像が膨らむ凹凸を展開する。第2楽章の木管のフレーズなどチャイコフスキーの白鳥の湖みたいに聴こえて不可思議な官能が漂い、改めて汲めども尽きぬ破格の作品だと思い知らされた。
都響は管弦打のいずれも楽想の推移に相応しいサウンドを響かせた。とりわけホルンやトロンボーンの玲瓏たる強靭な鳴りっぷりは見事。フィナーレでやや疲労がのぞいたがすぐ修正できたのは地力のなせる業。客席の入り、反応も良かった。冒頭で記したように指揮者交代の勝利であり、大野和士に感謝する。
※文中敬称略

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