【公演随想】2023年9月15日/池辺晋一郎80歳バースデー・コンサート

[要約]

交響曲、オペラから映画音楽、大河ドラマのテーマ音楽に至る幅広い、旺盛な作曲活動を続けてきた池辺晋一郎(1933年9月15日生まれ)氏の80歳の誕生日当日に行われた記念コンサート。
プログラムは三部構成で無伴奏合唱、オペラ、管弦楽が取り上げられた。
いずれも20代の作品と60歳以降の創作(ラストは新作の交響楽作品)を組み合わせ、器楽系や劇伴以外の作曲遍歴を端的に味わえる内容。
聴いていて私が感じたのは、多彩な技法を駆使しつつ、音楽の作りに無理がないこと。
その時々の創作意欲、注文の内容、演奏する人間の連立方程式を解き、最も「ハマる」技法を選び取り、ほどよく刺激的でしかも演奏者や聴き手が呼吸できる音楽に仕上げる感受性、技術に敬服した。
最後にバースデーケーキが出てきた以外、余計なセレモニーなどはなく、音楽中心で祝ういい会だった。

《曲目》

池辺晋一郎:

[無伴奏合唱]
相聞Ⅰ(1970)
相聞Ⅱ(1970)
相聞Ⅲ(2005)
広上淳一指揮、東京混声合唱団

[オペラ]
「死神」(1971、1978改訂)から「死神のアリア」/ 古瀬まきを(ソプラノ)
「高野聖」(2011)から「夫婦滝」「白桃の花」/ 古瀬まきを(ソプラノ)、中鉢 聡(テノール)、東京混声合唱団
広上淳一指揮、オーケストラ・アンサンブル金沢

[管弦楽]
ピアノ協奏曲Ⅰ〔ピアノ協奏曲第1番〕(1967)/ 北村朋幹(ピアノ)
シンフォニーⅪ〔交響曲第11番〕(2023[東京オペラシティ文化財団、オーケストラ・アンサンブル金沢 共同委嘱]世界初演)
広上淳一指揮、オーケストラ・アンサンブル金沢

池辺晋一郎は筆者とクラシック音楽の「接着剤」

私は1995年(中等科3年生)の秋にクラシック音楽に興味を持つと、まもなく毎週日曜日にNHK教育テレビ(現在のEテレ)の「N響アワー」(1980~2012)を見始めた。
これはNHK交響楽団のコンサート映像を中心に司会者やゲストの解説、トークが挟まる1時間番組。
当時の司会はピアニストの中村紘子(1944~2016)さん。週末の夜にふさわしいしっとり目の雰囲気で話しぶりは軽妙かつ上品、エンディングに自ら演奏を披露した。
翌1996年4月、司会者が池辺晋一郎氏と女優の檀ふみのコンビに代わり、画作りも明るめに変更される。
当時の私は「作曲家・池辺晋一郎」を、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」のテーマなどで認識していた程度。そのため当初は少々戸惑ったが、暫く経つと専門家らしい鋭さがありながら気取らない解説、さりげなく挿入されるダジャレの脱力にすっかりハマった。

ちょうどスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(1923~2017)が、NHK交響楽団に初客演した時期で、私は放送される彼の映像でシューマンの交響曲第4番、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」などを初めてきちんと聴いた。
優れた演奏と番組内の解説を通じて音楽的知識は拡がり、また以前のnote記事で取り上げたようにスクロヴァチェフスキは、私の青春の一部と言えるほど大切な指揮者になる。

疑いなく池辺晋一郎は私とクラシック音楽を引き合わせる要素の1つだった。深く感謝している。

鋭く柔軟な才と職人的手腕の融合による「無理のない独創性」

今回のプログラム中、最も「刺さった」のは第一部の無伴奏合唱。
万葉集の相聞歌を採って書かれた3曲で「Ⅰ」「Ⅱ」は、1970年に東京混声合唱団から委嘱された図形楽譜による作品、「Ⅲ」は2005年に別の団体の委嘱で創られ、こちらは通常の楽譜で記している。
ある種の前衛性を感じさせつつ、音楽の動きに突っ張りがなく、放たれるしなやかな必然性が、聴き手を説得し、魅了する。言葉との響き合いは清澄かつ強靭。
約35年後の「Ⅲ」は同工の要素を持ちながら、つくりがより洗練され、音の動きが残す余韻は深遠。
失礼を承知で申し上げれば、「Ⅰ」「Ⅱ」により魅力を感じた。

「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」まとめての出版が決まった際、池辺晋一郎は「Ⅰ」「Ⅱ」を通常の記譜法に改訂しようとしたが、どうしてもできなかったという。
これは無理に図形楽譜で書いたのではなく、楽想を可視化する手段としてあるがままに選んだ手法だからだと推測する。
池辺晋一郎は世代的にも当然前衛の波に洗われ、自身の創作に色々取り入れたが、変に凝り固まった印象はなく、インスピレーションや委嘱(注文)の背景、そして演奏者の状況までクロスマッチさせて一番しっくりくる手段を選んで創作してきた(いる)と私は考える。
だから旧作は錆びないし、最近の作品と並べてどっちがどうという話にもならず、どちらも面白く聴けるのだ。

コンサートの掉尾を飾った11番目の「交響曲」は、一定の緊張の中に自他の引用が見え隠れするおもちゃ箱的作品で、ショスタコーヴィチの交響曲第15番と通じる突き抜け感があった。縁の深いオーケストラ・アンサンブル金沢の機動性も巧く生かしており、尖った才能と職人性が交錯する、池辺晋一郎らしい新作といえた。

演奏者はみんな好演。余計なセレモニーやスピーチはなく、作曲者と作品への敬意を音楽で表す良質の時間だった。

※文中一部敬称略

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