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F1世界選手権パーソナル・セレクション

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主に1987年から1990年代前半のF1
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#自動車レース

F1世界選手権パーソナル・セレクション①【ジョイントNo.1同士の激闘】

1950年5月13日、イングランドのシルバーストーンにおいて「世界ドライバーズ選手権」の名で始まったF1世界選手権(この名称は1981年から)は2020年に70周年を迎えた。

筆者は物心ついた頃からの自動車好き、レース好きでカーグラフィックのコラムなどを通じてF1を知ったが、関心が膨らんだのは多くの皆様と同じく、1987年にフジテレビ系列で始まった全戦放送がきっかけ。

本稿はリアルタイムでテレ

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F1世界選手権パーソナル・セレクション【中嶋悟70歳を言祝ぐ(番外編)】


大魚を逃した5レース

25年ほど前、偶然見たテレビ番組で「アントニオ猪木《負け試合》ベスト10」なるものをやっていた。
ちょうどプロレスラーとしての引退試合が間近で、そこに合わせた異色企画。
大槻ケンヂなどが出ていたと思う。
アントニオ猪木、プロレスのどちらにもあまり興味のない筆者だが、「負け試合」に選手の魅力が出るという切り口は強く印象に残った。

後にぼちぼちものを書くようになってからは、

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F1世界選手権パーソナル・セレクション【中嶋悟70歳を言祝ぐ】

恬淡たる雰囲気の小さな巨人

日本人初のF1フル参戦を果たした元レーシングドライバーの中嶋悟(1953~)が去る2月23日、70歳の誕生日を迎えた。
故・高橋國光、先日文部科学大臣表彰が決まった星野一義、長谷見昌弘たちと並び、日本におけるモータースポーツの社会的地位を引き上げた大功労者。
とりわけ中嶋のF1参戦により、日本で長く暴走族の延長や公害のもとだと言われたモータースポーツが、海外ではステー

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F1世界選手権パーソナル・セレクション【アイルトン・セナの名レース】


文字通り記憶に残る存在

1994年5月1日、アイルトン・セナ・ダ・シルバは34歳の生涯を閉じた。ポールポジション獲得65回に象徴される速さの閃光に加え、どこか物憂げな雰囲気の漂う姿が世界中で愛された。
とりわけバブル期のF1ブーム真っただ中の日本では、「音速の貴公子」の枕詞がついて高い人気を集めた。没後30年近く経った現在も、命日が近づけばアーカイブを含めてたくさんの記事がネット上に並ぶ。

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F1世界選手権パーソナル・セレクション番外編②【知らない時代の名勝負】

本稿の①に記した通り、このセレクションは「ちゃんと見たものから」と考えてリアルタイムでテレビ観戦できたレースから選んできた。

ただ近年CSなどで昔のレースのフル映像を見られるようになったので今回はその中から心動いたものをセレクト。

1982年オーストリアグランプリ(8月15日)真夏の危険な高速サバイバル。コースと観客の距離の近さが怖すぎる。F1史上4番目のクロスフィニッシュ。

1983年オラ

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F1世界選手権パーソナル・セレクション番外編①【ホンダマイルストーン】

本稿の意図はこちらに。

2020年限りで本田技研工業株式会社が母体のホンダF1は参戦を終了する。そこでホンダの輝いたレースを取り上げる。なおパーソナル・セレクション①~③にも1987年イギリスグランプリなどホンダが素晴らしい戦いを演じたレースは含まれているのであわせて御覧頂ければと思う。

1987年第4戦モナコグランプリ(5月31日)ホンダエンジンモナコグランプリ初優勝。ここから1992年まで

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F1世界選手権パーソナル・セレクション③【波乱と番狂わせ】

本稿のテーマはこちらに。

1987年第8戦ドイツグランプリ(7月26日、ホッケンハイムリンク)

真夏の高速サバイバルレース。シーズン中盤ホンダパワーの前に劣勢のマクラーレンTAGポルシェが、エースのアラン・プロストに総力を集めて勝負に出る。ストレートでウィリアムズ・ホンダをぶち抜き、タイヤ交換も成功。完勝と思われたが・・・レースは最後まで分からないと筆者に教えてくれた1戦。

1988年第12

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