”いじめられていた自分”の終わり
夏の小旅行
今年も夏休みが始まった。
夏休みの母親としてのタスクは早めに済ませておきたくて、7月末に娘たちと八ヶ岳のコテージに一泊旅行へ。
実は私は小学5年生の2学期に、東京から山梨県北杜市(当時は北杜市ではなく”長坂町”だった)に引っ越しし、高校卒業まで暮らしていた。
今回の旅行は当時住んでいたその地域に行くことにした。
自宅からそう遠くないし土地勘も多少はあるからなんとか私の運転でも娘たちを連れて行ってあげられると考えたからだ。
娘たちが喜びそうなコテージの良いプランを予約。
昨年は余裕がなくどこへも旅行に連れていってあげられなかった。
1泊でもいいから非日常の体験をさせてあげたい。
せっかく行くのに小さい家のようなコテージでは特別感がない。
娘たちが絶対に喜びそうなプレミアムコテージに泊まることに決めた。
かつての母校は廃校になっていた
軽自動車で恐怖の高速道路を無事に走り切り、目的地はもうすぐそこ。
私にはできることなら立ち寄りたいと思っていた場所があった。
それは小5の2学期から通った小学校だ。
すでに廃校になっていることは何のきっかけか覚えていないが調べて知っていた。
現在は校舎を利用して八ヶ岳文化村という施設になっているようだ。
校舎の裏に車を止めて恐る恐る敷地へ足を踏み入れる…
「ここはママが通っていた小学校だよ」というと
「えー!」と驚く娘たち
娘たちが通う小学校は4階建て。一方この校舎は2階建て。
驚いた。
私の記憶にある小学校はもっと”ドーン”と圧迫感があって大きいはずだった。
(こんなに小さかったんだ…)
小学生のわたしに思いを馳せる
「ママはここでいじめられてたんだよ」
「ええ?!」とさらに驚く娘たち。
そう。私にとってこの学校は地獄だった。
当時の全校生徒は100人ほど。
私の学年は20人くらいだった。
そのうち女子は私を含めて6人。
よしみちゃん
ともみちゃん
えみかちゃん
ちえちゃん
あと一人、顔は覚えているんだけど名前が思い出せない。
(書いているうちに思い出した。くみちゃんだ)
小学5年生だった私はそれまで住んでいた東京から山梨へ引っ越すのを楽しみにしていたし、新しい学校で新しい友達と出会えることにワクワクしていた。
ちょうど長女が今5年生だから、そっか、私あの頃、今の長女くらいだったんだ…
そう考えると当時の私がどれだけピュアで幼かったか想像できる。
新しい小学校でそんなまだ幼く純粋な私を待っていたのは楽しい学校生活ではなく、”いじめ”だった…
いじめのきっかけはクーデターだった?
東京の学校へ通っている頃、私の人生はかなりうまくいっていた。私は4月生まれで勉強ができたし、友達もたくさんいて毎日楽しく過ごしていた。
友達と別れるのは寂しかったけど、田舎に引っ越したら犬も飼えると両親に約束してもらっていたし、通っていた学校では転入も転出もめずらしいことではなかったから転校が特に嫌だとは思わなかった。
正直、どんな風にいじめが始まったのか覚えていない。
脳が記憶から消したのかもしれないな。
転校した私は新しい学校で女子たちとすぐに友達になった。
その中の一人、ちえこちゃんが、ボス的存在として君臨していた。
よしみちゃんがいじめられていたけど、みんなちえこちゃんが怖いからよしみちゃんを助けない。よしみちゃんは仲間外れ状態だった。
でも私はよしみちゃんが一番気が合ったし、仲間外れにされたり都合よくちえこちゃんに利用されているのが可哀そうだと思った。
みんながちえこちゃんに従うしかないなんて変だ。
そもそも、ちえこちゃんの何がそんなに偉いのか?
私はみんなに相談してクーデターを起こした。
ちえこちゃんがよしみちゃんにしている無視を、試しにちえこちゃんにやってやろうという作戦だ。
クーデターはあっけなく成功した。
みんなに無視されてちえこちゃんが泣いていたのを覚えている。
これがきっかけだったのかな?
どうしても思い出せない。
とにかくしばらくして私は女子たちはもちろん、男子たちからもいじめられるようになり、ついには他の学年の子たちからも、そして学校全体からいじめられるという暗黒の日々が始まった。
救いだったことがある。
それは私の2学年下の弟は、いじめに巻き込まれずに済んだということだ。
苦しかった日々
全校からいじめのターゲットになった私は、それでも学校に通っていた。
学校は怖かった。顔を見れば悪口を言われたり無視されたり。
靴に砂が詰められていたり…
無視されて一人でいることには慣れたけれど、突然背後からボールを投げつけられてからは怖くて常に周りを警戒しなくてはならなかった。
いつもビクビク、早く家に帰りたい、早く時間が過ぎてほしい、そればかり考えて耐えていた。
東京でエレクトーンを習っていた私は音楽の先生に気に入られていて、全校で歌う時の伴奏や指揮者をやらされていた。
練習の時に私が前に立つと、みんながわざと騒いだり悪口を言ってくる。
そして先生が入ってくると何事もなかったかのようにシーンと静まり返るのだ。
ほとんどの子が、先生の前ではいい子にふるまっていた。
今にして思えば親にすぐに言えばよかったと思うけど、その当時は言ってはいけないと思っていた。
もしも自分の子供たちがいじめにあっていたら、一日も早く事実を知りたいと思う。だから私がいじめられていたと知った時の母の悲しみが今ならよく分かる。
夏のキャンプの時、私は偶然に男子たちが私の悪口を言っているのを耳にした。
男子たちはこう話していた。
私が「可愛いからって調子にのっている」と。
衝撃的だった。
(可愛い?私が?)
そんなこと考えたこともなかった。
それよりもむしろ、(それがいじめの原因になるの?!)と驚いた。
私なんて全然可愛くないし、いじめられるなら可愛いと思われなくていい。
なぜか私がクラスのある男子を好きだという噂を広められたのも本気で嫌だった。
私はその(頭の悪い)男子のことを一ミリも好きじゃなかったし、そもそもいじめられてるのに人を好きという感情がどうやったら芽生えるのか教えてほしい。
6年生の後半だったと思う。私はとうとう不登校になった。
ふとした会話から気持ちがあふれて母に泣いていじめを訴えたら、学校に行かなくてよくなった。
不登校になるとクラスの人たちが書いた手紙を先生が自宅に持ってきた。
ろくなことがかかれていなかったのですぐに捨てた。
母はいろいろと調べてくれて、私は私立中学を受験させてもらえることになった。
卒業まで我慢すればいいんだ。というゴールが見えたことで私は救われた。
幸い勉強は得意だったから、塾の短期講習を数日間受けただけだったが無事に私立中学に合格した。
田舎の小学校だったから、都市にある私立へ進学した子がそれまで一人もいなかったらしく、私が合格したと聞いて大騒ぎだったらしい。
当事者の私にはそんなことはどうでもよかった。
とうとう、いじめから解放されたんだ。
いじめ後遺症?
それでも感受性が豊かな子供の頃に他人から悪口を言われ続けた経験からか、私は自尊心の低い学生だった。
私立中学ではみんな塾に通っていたし、小学校では成績トップだった私だったが塾へも行かず、家でもほぼ勉強しなかったので当然ながら成績上位でいられるわけもなく、ぱっとしない存在となった。
そしてそれは目立ちたくなかった私にとってはちょうどよかった。勉強を頑張ることもなかったし、学校は私にとって平和に過ごせればよい場所だった。優秀な友人たちに囲まれて、自分に自信はまったくなかった。
悪夢にうなされることもよくあったし、ふとした時にいじめがフラッシュバックして暗い気持ちになることもあった。
親しい友人を作ることも難しく、一人でいることが多かった。
私は生まれつきの性格が内向的なのだと思っていた。
だが振り返ってみると、転校する前の私は友達がたくさんいて、どちらかというとリーダー気質だった。新しい遊びを考えるのが得意で、みんなが集まってきてちょっとしたブームになったり、ルールを決めてみんなに説明したりするのも得意だった。
けれどいじめを乗り越えて中学に入学してからは、クラスで常におとなしい存在だったと思う。
自分の考えを否定されるのが怖かったし、他人の目が怖くてできるだけ目立ちたくなかった。
私にとっていじめ被害者だった過去は、過去であると同時に現在でもあり、未来にも影響を及ぼしていたのだと思う。
30年越しの、いじめ完結?
今回、いじめられた舞台の小学校を訪れてよかったと思う。
小学校は小さい場所だった。
中へ入るのが怖くて怖くて毎朝、足がすくんだ昇降口。
1人でポツンと過ごしていた校庭の片隅。
学校付近に住み着いていた野良犬のポロリとの思い出。私が一人で泣いている時、涙を舐めて慰めてくれた。
ほぼ全校生徒からいじめを受けていたけれど、同じように転校してきた1学年下の女の子とは友達だった。
名前は忘れてしまったけど…
小柄で可愛くて優しい子だったな。
たぶんあの子も少しいじめられていたと思う。
私が先に卒業してから、あの子はどうなったんだろう?
大丈夫だったかな?
私に優しくしてくれる1学年下の男の子もいた。
みんながいじめている子に話しかけたり親切にしたりするのは普通ならかなりの覚悟と勇気がいることだ。
真っ暗闇だと思っていた学校生活だったけど、みんながみんな敵ではなかったんだ。
30年以上の月日が経った今、いじめられていた自分からは解放されようと思う。
普段は思い出さなくても、間違いなく小学生時代に経験したいじめは、私の人生に大きな大きな影を落とした。
日本中からいじめがなくなればいい。なくなってほしい。中学校、高校時代の私はそんなことをよく考えていたっけ。
それとまだまだ未熟でもあったので、私をいじめていた人たちの人生がめちゃくちゃになればいいとも思っていた。
あの子たち、あの人たち、今幸せなのかな…
私がクラスに存在したことさえ覚えていないかもしれないな。
いじめ加害者にとっては、いじめなんて過去のこと。終わったこと。長い人生の中でほんの短い期間のこと。反省や後悔したとしても、いつまでも引きずることではない。
そう思っているかもしれない。
でもね、いじめ被害者にとってはいじめの被害は一生続く。
私は今回の旅行をきっかけに、自分がこれまでいじめの呪縛から逃れられずに生きてきたことに気づき、この負の感情に終止符を打とうと決心した。
だけど、呪縛から解放されたとしても、このことを忘れることは決してないだろう。たとえ認知症になったとしても、いじめられたことは当時の苦しみと共に覚えているに違いない。
いじめに終わりはない。
でも、いじめに殺されてはいけない。
残された人生を、いじめの影から抜け出して、明るく笑って生きていきたい。
そう思える有意義な旅だった。
この機会を与えてくれた娘たちに感謝。
当時の私にわずかな希望を与えてくれた山梨の自然と、野良犬のポロリ、偏見を恐れず話相手になってくれた友人に感謝。
私を救うために私立中学へ入れてくれた両親に感謝。
感謝でいっぱいの人生をこれからも歩めたらいいな、と心から願った、夏の旅だった。
そうそう、泊まったコテージはとっても素敵で、子供たち大満足。
また、いつか娘たちと一緒に行けたらいいな。