才能を発揮させる方法
前回に引き続き、【才能】について書きたいと思います。
前回の記事はこちら
1. 非効率な努力をしない
前回私自身の経験の事を書きました。
その経験で重要なのが、ある地点での努力の仕方の明確な変化です。
それまではこうでなきゃいけない、こうあるべきだ、しなきゃいけない。
という気持ちだったのが、
「こうしてみたい」に変わったことです。
これはものすごく重要なことなのですが、自分を含めて多くの人がこのことに気づかずに効率の悪い努力をして苦しんでしまっているのです。
可愛いキャラが描けるように、作れるようになりたいという希望があって、でも美術の基礎はデッサンだから、まずは円錐が描けなきゃ。立方体もかけなきゃ。そして石膏像も描かなきゃというふうに、デッサンなどを上手くなるためにやらなければいけないことという義務としてやっているのです。
問題はデッサンがいい、悪いと言うのではありません。
やらなきゃいけないという気持ちでやっているのがいけないのです。
例えばもし可愛いキャラを描けるようになりたいという気持ちがあるのであれば、とことん可愛いキャラを描くなり作るなりすればいいのです。
もっと上手く描きたい。もっと可愛く描きたい。という気持ちは自発です。
これを、可愛く描かなければならないという気持ちになったらそれは義務になります。
義務は積み重ねれば積み重ねるほど苦しくなってくるのです。
私が一回潰れた理由はこれです。
人体こそ基本。解剖学は勉強しなければいけないもの。
そう言い聞かせながら練習してきました。
はっきり言って面白くなかったです。
というより苦しかったです。
苦しくなるパターン
義務だから面白くない。
↓
苦しくなる
↓
続けられなくなる。
↓
続けられないから上達ができない。
↓
上達できないから苦しくなる。
↓
無理やり努力する。
↓
さらに苦しくなる。
まさに地獄の無限ループです。
上達の秘訣は、練習、勉強を続けて出来るようになる事を積み重ねて行くことですが、積み重ねるという行為をするために大事なのは、やりたいという気持ちなのです。
2. 義務でなく、やりたいという気持ちを大切にする
上達するための練習は、やらなきゃいけないと言う義務ではないのです。
上手くなる人は大概好きなことをひたすら好きなように描いたり作ったりしています。
そうやって上手に、可愛くとかカッコよく描きたくてずっと描いてきて、ある時ふと気づいたりするのです。
顔の構造がよく分かってなかったんだなと。
そして色々調べてみると、彫刻をすれば構造を理解しやすいとか、デッサンを練習すれば陰影の練習になるのでは?
と気づいたりもする事があるかもしれません。
そこでデッサンをやったとしたら、
その時はもう基礎だからやらなければいけない、義務だからやらなければいけないという理由ではなく、
もっと顔の構造を知り、可愛い顔が、かっこいい顔が上手く描けるようになりたいからというポジティブな理由ができるのです。
そのような気持ちでデッサンに向き合う場合は、おそらくもっと楽しいものになるはずだし、上達も早いはずです。
デッサンをする目的が生まれたのですから。
義務ではなく自発
そうなんです。
あなたが上達するのは、義務などではなくて、あなたが望んでるからなのです。
自分の望むものという自発を根底に、今自分ができること、やりたい事を広げて行くと、
自発でやると
やりたいものを描いたり作ったりしてみる。
↓
楽しいから継続できる。
↓
継続できると上達する。
↓
上達してくると、もっとこうしてみたいと言う希望が出てくる。
↓
新たなやり方を勉強する
この上達のポジティブなサイクルに乗せることができると、上達するスピードが格段と上がってくるのです。
自分が表現したいものを気持ちよく出すときに、その作品には魅力が産まれます。
そして魅力というのは、それぞれがもつ自分の【好き】から生まれるのです。
【好き】まさに人それぞれ。
1000人いれば1000通りあると言えるでしょう。
才能というものは、その人それぞれのもつ【好き】のことであって、そういう目で見れば、まさに全ての人は何かしらの才能を持っているということです。
いい作品は、自分の【好き】に気づいて、それを一生懸命出そうとして洗練を重ねて発揮できていくものなのです。
それは決して義務的な気持ちでやる練習で出せるものではないのです。
3. 技術・知識よりも大切なもの
前に書いた監禁されてデッサンを練習する話を思い出してください。
あそこまですれば確かに皆うまくなります。
しかしそれは【技術】という一面がうまくなるのです。
多くの人が、上手く描く、作るという【技術】に囚われてしまっているのです。
そして【高い技術イコール才能】だと思われてる節もあります。
以前技術よりも大事なことがあり、それは【知識】だと書きました。
手を動かす前に、表現する対象を知るということですね。
しかしながら、その【知識】よりも大事なものがあるのです。
自分自身の才能を発揮するためには、それが必ず必要になってくるのです。
それは、、、
心なのです。
そうです。
私が販売している50万円の壺を買えば、その心が洗われるのです。
嘘です。
4. 心の大切さ
心とは何か?
表現するものを可愛くしたいとかかっこよくしたい、気持ち悪くしたいとかいう【思い】
自分が作品にこめたい気持ちです。
上手く描く、作るというのは【技術】です。
そのためには【知識】が必要です。
しかしそれらの根源である、自分がどうしたいのか? という【気持ち】、すなわち【心】が最も大切なのです。
こうしたら面白い、こうしたらカッコイイ、という好みは人それぞれ違います。
こんなことしたらウケないんじゃないか、とか笑われたら恥ずかしい、とか思わずに、まず、こんなのが好きなんだ! というのをとことんやってみることです。
そしてその好きなものを出したいという【思い】を根底に持って、その【思い】を表現するために勉強をすると、それは自発的な勉強になります。
しなきゃいけないという義務ではなく、私の【思い】を表現したいからというポジティブな勉強になるはずです。
そしてその実践が練習なのですが、その練習も、自分の【思い】を表現するためというポジティブなものになります。
好きなものを表現するという思いを根底に持っていれば、そのためのデッサンになり、そのための勉強になり、そのための練習になるのです。
そして、その好きを表現するために技術力を高めていったら、他の人とは違う、自分だけの何かが表現できるようになってくるのです。
技術を高めるために練習するのではなく、自分の好きを表現するために練習をするのです。
それがあなただけの味になるのです。
5. 味を出す
当然技術や知識も大切です。
身につけていかなければならないことです。
多くの人は、
技術を身につけてから好きなことをやろう
と思ってる節があると思います。
違うのです。
好きなことを好きな様にやってみるのです。
もっと上手に表現したいという【心】を根底に持ってやればポジティブに勉強や練習ができるのです。
そして結果的に技術も高まるのです。
才能がある人と呼ばれるのはそういう人たちです。
やりたいことをとことんやってきて技術力を高めていったのです。
前回の記事での例え話で、監禁されてひたすら技術力だけを高めていっても、ただの上手な人にしかならないし、作品に魅力も出てきません。
しかし多くの人たちがこの例えのように、やらされている状態で苦しんでいるのです。
誰にやらされているのかというと、他でもない、自分自身なのです。
こうでなければいけない、ああでなければいけない、これを勉強すべき、好きなことは基礎を固めてからなどなど、自分で作った義務の鎖に縛られてしまってるのです。
非常にもったいないことです。
魅力(味)を出すために
正しい知識や技術を身につける→好きなことをやる。
ではなく
好きなことをやる→その過程で技術と知識が身についていく。
ただの趣味でやっていて、アートの技術で食べて行く必要がないのであれば、とことん自分の好きなことを突き詰めていけばいいでしょう。
そうしているうちに、もっと上手くなりたいという欲は必ず出てきます。
その時勉強すればいいのです。
そうすると自発的な勉強になるから、確実に身につきます。
だけど、自分がすごいと思っている誰々がこの練習をしてきたから、自分もそうしなきゃ! という義務感でやってしまうと苦しくなるのです。
人は人と割り切って、自分の好きなものを自分で理解して自分に正直になること。
これが一番の上達の近道なのです。
6. (おまけ)嫌な仕事をどうやってするか?
しかし、プロになると自分の好きなものだけやって行くわけにはいきません。
むしろ好みでないこともしなければいけない方が多いかもしれません。
私の仕事はコマーシャルアートという部類になります。
どういうものかというと、自分が作りたいものでなく、クライアントが望んでいるものを提供する仕事です。
そのようなプロになったら自分が好きなタイプでないものでも作らなければいけません。
当たり前です。それがプロなんですから。
では好きでない仕事が来たときどうすればいいのか?
まず大事なことは、自分が好きなもの、好きな系統は何かを自分で自覚していることです。
そうすれば少なくとも、好きでないものをやるときの得体の知れないモヤモヤの正体が分かります。
そして好みでない仕事が来たときに、これは嫌なことだと捉えないことです。
嫌だというのは感情です。
そうなるとなかなかコントロールできなくなってきます。
その代わりに苦手なこととして捉えるのです。
苦手というのは客観的な事実です。
単純なことなのですが、嫌だという感情で捉えるのと、苦手という事実で捉えるのでは心の負担が全然違うのです。
嫌だ、で捉えてしまうと、その仕事が終わるまでずーっと気分が悪いだけでなく、そういう時に限ってなかなかOKが貰えなかったりします。
嫌だという感情は自分が生み出すアートにも影響するのです。
しかし苦手だと捉えることができれば、じゃあどうすればいいかという道が明確になってきます。
苦手だからチャチャっと終わらせてしまおう、と集中できるかも知れないし、苦手だからもっとできるようになるように少し勉強しよう、とかポジティブに捉えられることができるかも知れません。
そうやってプロとして自分の引き出しを増やせるのです。
引き出しを増やしていったら、苦手なものでもできるようになってきて、それが好きに変わる場合もあるのです。
そしてプロとして自分の能力が上がっていくプロセスは、他に変えがたい喜びがあるのです。
7. 結局才能とは何なのか?
色々書いてきましたが、最後に、才能とは何か?という最初の疑問のまとめです。
才能とはあなた自身です。
自分が好きなものを自覚してとことんそれを磨いていった時に、他の人がすごいと思えるものを生み出すことができるのです。
それは決してやらされた努力では出せないものです。
努力すれば必ず上手くなります。しかしそれは一種の技であって、本質的な才能とは違います。
磨くことを努力とも捉えられるかも知れませんが、当の本人にとっては好きなことをやっているので努力しているという自覚もありません。
ただ他の人から見ればものすごい努力をしている風に思えるのです。
人に遠慮して生きていた人にはなかなかそれを出せません。
好きなこと、得意なことがわからなければ、家族や親しい友人に聞いてみるのもいいでしょう。
自分が得意なものは何か? 何をしている時に没頭しているのか?
何をしている時、何を話している時が幸せそうか?
あなたが当たり前のように無意識でやってること、できていることが、他人にとってはすごい事であったり、それが実はあなたの才能だったりするのです。
それをとことん磨いていくといいでしょう。
誰でも必ずそれがあるはずです。
世間の常識、他人の言動に囚われずに、自分の得意、好きを伸ばす方向を見つけてそれを伸ばすためにとことん勉強と努力をしましょう。
そうすればいつかあなたも才能がある人と呼ばれるようになると思います。
頑張れ!
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