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やさしさと純粋性を人生で初めて否定した9歳の日

ちょい鬱抜けてきたかも

きっかけはMOMEDフェスの瞑想を配信で聴きながら
肚から声を出し
細胞ぶるぶる震わせたこと
背骨の存在を感じたこと
軸を感じたこと

この方法を何度か試して再現性があればシェアしようかな

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ちょい鬱期につくづく思ったのは
私がほんとに他者に対して意地悪で冷たいやつだってこと

長女にさえ意地悪な目線を当てている
くまなく間違いや不足を指摘するような目線

それはそのまんま自分に跳ね返ってくるわけで
自分にも辛辣におまえはつまらないやつだ価値がないと言い放つ

全くの他人ならんともかく家族にくらい温かい視線を送ろうよ

この冷たい意地悪な視線を初めて人生で導入したのはいつだっけと思った

思い当たった

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小3くらいのときにいとこが生まれた
かわいくてかわいくてしかたなかった
赤ちゃんをあやすのは初めてで一生懸命遊んであやしてかわいがった

ある夜、抱っこして遊んでるときに
赤んぼがもんどりうって頭をぶつけて大泣きした
私は母にひどく怒られて
その夜拗ねた

多分ひどく怒ったわけじゃなかったんだろうけど
赤ちゃんが大泣きしたショックと相まって
怒られたこともショックだったんだろう

そのとき、やさしさや母性を馬鹿にすることにした
それから、小さい子供に対して斜に構えるようになった

その時否定したのって
やさしさ
母性
純粋さ

そして、取り入れるようになったには
クールで斜めに意地悪に見てる感じ
ピュアさを馬鹿にする感じ
人を小馬鹿にしてジャッジして切り捨てる感じ

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ああ、瞑想してあの時に帰ってみよう

今日の昼にやろうと思たけど
次女が風邪で具合が悪くなって早退してきたので、また今度

最近背中ばかり描いてます

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