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母の愛情

私は約10年前に、夢と希望を持って、海外に移り住んだ。
その頃はまだ私の住む街には日本人も少なく、私が日本人である事実だけでも希少で価値を持っていたことと、今よりは円高だったので、バリキャリOL時代に貯めてきた長年のボーナスや退職金は数割増に化けて海外で使えることになり、最初の数年はお金に困ることもなく、勉学や仕事で充実した毎日で、海外生活も楽しかった。

10年経った今、恐ろしいほどの円安になってしまったこと、なのに北米の物価や家賃は信じられないくらい上がっていること、治安がどんどん悪化したこと、移民社会に拍車がかかり2ヶ国語がネイティブレベルでももはや強みにはならなくなってしまったこと、働き口がないことなど、海外に住む旨味がもうほとんどなくなってしまったのだが、それでも大金をはたいてでも得られている価値があるとするならば、それは「地震がないことと」と「気候」である。

まず、地震については、私は3.11がなかったらきっと海外に移住することはなかった。3.11に私が経験した恐怖が、私の新たな価値観の目覚めとなり、本能的に地震のない世界へと突き動かされるように導かれた。
ただ、実際地震のない世界に住んでみると、「地震がないこと」のありがたみは日常の中では気付かされることはない。
「地震がないこと」が当たり前になっているからだ。

「気候」についていうと、私の住む街はとても涼しい。
田舎すぎて娯楽もエンターテインメントも何一つないが、唯一自慢できることがあるとすれば、夏でも蒸し暑くなることは皆無で、爽やかな風さえ吹くことである。
毎年つまらない日々を過ごしてきたが、私は夏の過ごしやすさだけに助けられてきた。何か面白いことが起きるわけではないが、快適でしかない毎年夏がやってくると、オアシスに辿り着いたような感覚になる。私が私の住む街で、私を離れがたくさせている唯一世界に誇れるポイントだ。

そんな中、私はこの夏、日本に本帰国する(しかなくなった)ので、計画を立てているのだが、この素晴らしい私の街の「夏」と離れることが寂しいなあと思っていた。地震に対しての恐怖も覚悟もしなければいけないと、その二つのことで頭がいっぱいだった。

母にそのことを話すと、夏に日本に帰国することについて大反対された。
それは私のためではなく、なんと私の犬のためである。
犬は体温調節が人間よりも苦手らしく、日本の夏と私の住む街は10度以上の差がある。それだけでなく、湿気も全然違う。そんな中で、犬が生まれてこのかた経験したことがない35度超えの亜熱帯気候レベルの環境に急に降り立って、体に不調をきたさないはずがないというのだ。
以前実家で飼っていた犬は、体がとても弱かったので、気温の変化ですぐ体調を壊していた。その苦しみを私の犬に味わわせたくない、万一熱中症や病気になってしまったらどうするのだと言うのだ。

私は全くそんな発想が頭になかったので、母に脱帽した。
私は結局自分のことしか考えていなかった。
私の街の大好きな「夏」とお別れしなければいけないことが寂しいとか、地震の恐怖に耐えられるだろうかとか、あとは日本で妊活を続けられるかなとか。全部自分だけの悩みである。
私は自分の愛犬が大切だったはずなのに、海外で生まれた愛犬が見知らぬ日本という国に初めて引っ越して、適応できるかを何も考えていなかった。

私は犬という守るべきものがあるのだから、その子のことを一番に考えてあげなきゃいけない、と母にさとされた。
渡航時期を変えることで、費用が多くかかってしまっても、犬の健康はお金に変えられないと言われた。

その通りだと我に返った。
やはり、母は「母」を達成してきた人で、他を思いやる気持ちのレベルが違う。
私は、これまで妊娠したいとひたすらに叫んでいただけで、持つべき【母のマインド】が全然足りていないことに気づいた。
そんな自分が情けなくなったし、そんなんで正直母になれるはずがない、人工授精がうまく行くわけないのだ。
本当の「母」の脳みそはデフォルトで、一番小さな弱きものを守るようにできているのだ。

本物の「母」の愛情のレベルはえぐい。
私は、自分の母に「母」の持つべき考え方を学んだ。
犬の母親としての役割も果たせないくせに、人間のベイビーの母親として合格できるわけがない。

妊活に向けて、卵子も育てなければいけないが、「母」になるためのマインドも本気で育てなければいけない、そう強く気付かされ、考え方を見直そうと深く反省した。

「母」になるなら、もう自分中心の考え方は捨てよう。
自分ではなく、自分以外の誰かのために生きる。
それが「母」としての私の新たな後半戦の人生の始まりなのである。

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