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心のストッパーを制御させるには

最近、京王線と九州新幹線で悲しい事件が起こってしまいました。

容疑者の男性は、残念なことに狂気のストッパーが、なんらかの原因で外れてしまったようです。

人の心に支障が生じると、「狂気(攻撃的)」もしくは「憂鬱(閉鎖的)」のいずれかの方向に向かっていくのだなと思いました。

殆どの人は、心に支障が生じ、狂気の方向に向かっても、人やモノに危害をくわえないように心のストッパーを制御できていると思います。
「人やモノに危害を加えてはいけない」という「倫理観」があるからですかね。

では、心に支障が生じ、憂鬱の方向に向かった場合、何の観念が心のストッパーを制御できるのだろう?と考えた時、すぐに答えが見つかりませんでした。

「狂気」 の対義語は 「正気」 のようです。「正気」を保つためには、「倫理観」が必要。
「憂鬱」 の対義語は 「明朗」 のようです。では、「明朗」を保つためには何が必要?

難しいですね。。

「明朗」という言葉を調べてみると
① 明るくてほがらかなこと。さっぱりしていてわだかまりのないこと。また、そのさま。
② はっきりして嘘やごまかしがないこと、また、そのさま。
(日本国語大辞典より)

さらに、「わだかまり」を調べてみると
① わだかまること。かがみ伏すこと。
② 心がねじけていること。 いつわりの気持ちや悪意をもっていること
③ 心の中にこだわりとなっている感情。 また、心中のはれない思い。屈託。「胸のわだかまりがとける」
(日本国語大辞典より)

おっ。「いつわりの気持ちや悪意をもっていること」!?

たしかに憂鬱に感じているときは、
「社会や世間から自分が疎外されたと感じる」=「自分らしさを出せない状態( ->いつわりの気持ち)」
「他人の言動に納得がいかない」=「他人の言動に敵対心がある( ->憎悪 ≒ 悪意) 」
となっているのかもしれません。

ここまで考えてみて、「狂気」と「憂鬱」の心のメカニズムって、実は「紙一重」なのかもな。と思いました。

っということは、「憂鬱」を制御させる心のストッパーも「倫理観」ということになるのかな?
「憂鬱(閉鎖的)」の場合は、その危害の対象が自分に向かってしまうので世間に表立たないだけで。

憂鬱だなぁと感じているときは、「実は他者への狂気と同じ気持ちを持ち合わせている」と思うと、ちょっと「うつ」に対する考え方かわるかも。


なんてことを考えた、ある晴れた秋の日でした。


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