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結局、ひとりが好きなのね。寂しがりやでもなくなってきたからね。

ひさびさに往復感が増してきた。

それでは、ぼくのほうもAIで返してみよう、ということで、なぜぺんぎん氏は今、コミュニケーションやクリエイティブに回帰しているのか、その原体験、好きだと感じた理由、うれしかったこと、楽しかったこと、などを聞いてみたい(もうだいぶ書いてくれているかもしれないけれども)。

少し時間を置いて書いてみようと思っていたが、いまひとつクリアにならないので書きながら考えようと筆をとった次第である。だが、その前に。

それで、なぜ自分はファシリテーションやワークショップが得意なのかと考えるに、おそらく以下のような色んな経験の組み合わせなのだと思う。学生の頃に留年するぐらい真剣に塾講師に打ち込んでいた経験(授業の内容を自分で組み立てる、個人の進捗状況を常に確認しながら進める、楽しく取り組める空気づくりをするなど)

ほかの広告系の経験も興味深いのだが、この記述に惹かれた。というのも、これがいぬ氏のファシリーションの原体験のように思えたから。アイデア生成や即興についての放送作家のノウハウなどもたしかに結びつくのだが、原体験と紐づくことでやりたいとか面白いという動機が最大化されるよね。

自分がファシリテーションとかに興味が離れつつあるのは、どことなく予定調和な感じになっていると思っているから。進めかたとか、手法とか、そういうの。仕事で関わりすぎたというのはあるかもしれない。(余談。昔はコーチングとかも似たように興味もったりした。あとはカウンセリングとか)

昔、さる業界2位の代理店の友人が言っていた一言をやたら覚えている。曰く「儀式」のようなものだと。研究開発部門の彼はクライアント先でワークショップとかやることも多いようで、ファシリテーションも任されることもあるようなんだが、物事を前に進める「儀式」という側面があると聞いてなるほどねと思ったことがある。

みんなで決めた、とかそういうことが今は嫌いなのかもしれない。集合知で創造を生み出す、というロマンはパワフルだしそういうこともあるんだろうけど、それでなにか良い経験があったかというといまパッと思い出せなかったりする。

「これからも好き勝手やっていきます」とか言って前の会社の上司に伝えて辞めたりしたし。人に依存するとか支配されるとかが嫌なんだろう。それがベースにあるから、人のインタラクションの場を整えたりすることが億劫だし必要性を感じていないということなんだと思う。こういうこと思うと、ああつくづくいまのビジネス社会の不適応者だなと少し落ち込むような気もするが。自分に正直になるとそうなんだからしょうがない。

答えに行き着く前に思ったことなので書いてみたい。いつも通りサッカーと投資のふたつで。

サッカーの文脈でいうと、個の力、とかいって打開できる個人の力が大事と言われ続けている。集団がどうのと言っても、その口火を切れる存在が大事だと解釈している。チームの大事さは否定しないけど。カタリスト、と言い換えてもいいかもしれないが、影響を与える因子としての個が必要で、それが今は中島翔哉だったりするのだろう。ま、それでいうとファシリテーターは黒子というけれど、俺の今までの経験ではちょっと個性があったり、議論そのものに下手したら介入するくらいの勢いあるファシリテーターのほうが場がいい意味で荒れるので、そういうのは好き。ここで言いたかったのは、個性あるファシリテーターこそがキーだということかな。頼ってんだよね、結局メンバーが。それが俺がやってきた経験の中で嫌なところでもあるんだが。

投資との関連で。なぜいま俺は投資にハマっているのか。それは自由だから。意思決定を下すのは俺で自己資金だからとやかく言われない。それが心地よい。自己責任で損失も起きるわけだが、そうならないようにしっかりと勉強する。企業も社会についても。それが身になって跳ね返るフィードバック感もしっかりある。その結果、働くのに困らない原資ができたらネクストステージに行けそうな気がしている。できれば5〜10年以内にはそういうステージにいたいと思う。それから俺の人生はまた別の変化を起こすだろうから。

中間まとめ。結局、自己決定につながる、ということが価値観として大きいんだろうね。ファシリテーションは合意だから好き勝手にやりたいという自己決定ではない。投資は、自己決定できるという点と、それにより資本ができたら自己決定できる自分が広がっていくという予感がもたらされるからハマっている、というわけだろう。

さて、やっとこさこの質問を考えてみよう。

それでは、ぼくのほうもAIで返してみよう、ということで、なぜぺんぎん氏は今、コミュニケーションやクリエイティブに回帰しているのか、その原体験、好きだと感じた理由、うれしかったこと、楽しかったこと、などを聞いてみたい(もうだいぶ書いてくれているかもしれないけれども)。

ほんとは、会社員の最初のころの経験とか(代理店、出版社)本作りしたかったこととか(編集経験はない)クリエイターの知人が好きで面白く人生を楽しんでいそうだから(いぬ氏もそのなかのひとり)ということが中核です、と言いたいところだけど、しっかり考えてもそういうことではないようだ。

底辺のところの理由は、そのほうがポータブルスキルぽいと感じているからである。個人で仕事する時にひも付きやすい。プログラマーとかデザイナーはもっとそうだけど。そこまで職人でなくても広告PR系というのは仕事がある。採用や人材育成もアウトソーシングされる世界ではあるが、なんかそっちはモチベーションもあがらないし、相対的に好きな方を伸ばしたいとかどっちも出来たら間口が広がるという程度の低い動機もある。

人に影響を与えたい、という動機は隠れて、でも深くありそうだ。なので、ファシリテーションの集合知的にはファシリテーターとかでカタリストになりたいんだろうし、クリエイティブで言えば自分の言葉とか表現とかコンセプトとかで影響を与えたいという表現者動機はあるんだろう。ま、でも飽きたことでなく新しいことにチャレンジ出来そうということが根本にあるだけなんだろうね。

・すごく飽きっぽいから新しいことが楽しみ

・自由でいたいからそれにつながることにはモチベーションが高まる

それには、いま自分にはクリエイティブとかコミュニケーションのことが寄与するんだろうなあという感じが正直な思いです。人生を動かされたような作品、というのはオッサンになったいま、ビビッドに思い出せない。そんな程度のクリエイティブ志向です。

とはいえ。俺がうまいこと資本を持ったあとにやりたいことは、コミュニティデザインという、ワークショップやらファシリテーションの世界なんだよねwこれをどう考えたらいいものやら。たんに天邪鬼なだけなのかな。ゆるりと考えていくことにしよう。それでは。Dag.

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